木の芽風
(私、役に立っているのかしら?)
結界に穴や薄れといった異変がないか、つぶさに凝視しているが、全く見当たらない。そもそも視覚化できるものなのか。疑問はあるが、かづらに問いかけてはいない。そうだと言われてしまえば、本当にやる事がないからだ。
(かづらに任せきりなような気がする)
気がするのではなく、実質そうなわけだが。
(私も術を使えれば、色々できる事が増えるのに。なんて、そんな弱音を吐いている場合じゃないんだけど)
ちらと、ラグナは並んで飛翔しているかづらを一瞥して、即座に結界に視線を戻した。
(速度も私に合わせて遅くしているのよね)
慎重に調べる為でもあるだろうが、そう思っても仕方ない。
(だめだめ。もう話す必要もなくなったわけだし。集中集中)
妖怪への怯えがなくなった今、会話の必要性はなくなったのだ。
ラグナは結界を凝視した。見えるのは、鏡と鏡に映る自分。目が血走っている以外、異変はない。協力してもらっている草たちも結界に触れないようにしながらも、茎や葉を伸縮させながら探し続けてくれている。
つる草たちにも異変は、
「一か所に集まっているな」
「ええ」
かづらとラグナの視線の先には、一か所に円を描くように集まったつる草たちがいた。
かづらとラグナは下降して、その場所に向かい、捜索してから初めて、飛翔を止めて、羽と翼を休めて、宙に留まった。
ラグナはつる草たちに退くようにお願いした。かづらは露わになった結界に掌を触れる寸前まで近づけた。
「なにも感じられない、が」
ちらとつる草たちとラグナを一瞥してのち、かづらはその場で胡坐をかいた。
九尾の妖怪を種別に分けるのなら、確かに妖怪になる。
されど、最強と謳われる妖怪。手の届かない次元にいるのだ。同じ妖怪にもかかわらず、存在も術も読み解く事が叶わない。
故に結界を調べてはいるが、異変をそう容易くは読み取れないだろうとは思っていた。もしくは、読み取る事は不可能だと、諦めも確かに持っていた。
(集中しろ)
視認できるのは鏡に映る己の姿。結界が磨き上げられているからこそ、鮮明に映る。曇りも歪みもひび割れも微塵もなし。確認し、鏡に映る己の瞳を睨むように凝視する。黒の瞳のその奥、己を映さない鏡を想視する。どこまでも無限に広がるほどに分厚く、傷も曇りも一つとしてない、磨き上げられ反射する強固で柔軟な石。この奥に存在する妖精国の認知など不可能なほどに、結界だけがここにある。完璧な結界しかここにはない。
(疑え)
完全無欠な妖怪。結界に穴はない。信じて疑わずに来た。その現実を今は、今だけでも疑え。
(疑え)
綻びはあるのだ。
(お願い)
髭や髪の毛の先から、ぽつり、ぽつりと、汗が滴る。ぽつり、ぽつりと。汗が一本一本の毛を丁寧に伝い、先で雫を形成する。雫となって落ちる瞬間、毛が僅かに跳ねる。跳ねた瞬間、雫は僅かに分裂する。分裂し、大小形が別れれば、弧を描き落下する雫もあれば、垂直に落下する雫もある。そんな細かな瞬間まで見て取れてしまう。
髭や髪で隠れている顔はどれだけの汗が噴き出しているのか。どんな表情をしているのか。
今はただ願うしかないのだ。
かづらの横顔を注視する中、ラグナは組んだ掌を強く、強く握りしめた。いっそ、白くなってしまうほどに。
「ラグナ」
「なに?」
音としては弱弱しい。だが、どうしてこんなにも覇気に満ちて聞こえるのか。
「結界にひびを見つけた。今から分身を使い、おぬしが通れるほどの大きさまでひびを広げて道を作る。通る際も分身を共につける。危険は承知だが、薬を持ってきてもらいたい。頼めるか」
「もちろんよ!もちろん。頼まれるまでもないわでも」
大丈夫なのか。術をそんなに多用して。気遣う言葉を継げない。告げられずに飲み込む。薬の有無はもちろん、圭の魂が身体から弾き出されたのも憑依もマンドレイクの仕業なのかどうか訊く必要があるのだ。対処法も。可及的速やかに。
役割分担。すべき事をお互いにするだけ。
お互いにやり遂げられる確信もある。
「道ができるのを私は待ってられない。分身と一緒に行くわ」
「危険だ」
「知っているわ。それがなに?」
「結界に閉じ込められれば死ぬかもしれない」
「考えている」
「…わかった。頼む」
折れないだろうと予測は付いていた。それでも言わずにはいられなかった。
命を奪いたくはなかった。二度と、奪いはしないと、
(ひるがお)
刹那、過去へと意識が飛ばされる。
胸が引き裂かれる、慟哭の記憶。今もなお、傷は開いたまま。
「私も。お願いするわ。どうか」
かづらはやおらラグナへと顔を向けた。怒っているようにも、泣いているようにも見える。
見覚えのある顔。危険な場所へと向かうものを見送る顔だ。
思わず、口元が綻ぶ。見送るのはこちらなのに、何故そんな顔をするのかと不謹慎にも。
(約束を、)
「ベリー系の実を食してみたい」
ラグナは弾かれるように目を大きく見開いた後、くしゃりと顔を歪ませながらも、笑おうとした。変な顔になっているだろうと自覚しながらも、笑ってみせた。
「莫迦ね。そこは薬を頼む、でしょう」
かづらは口元を緩ませたままで、肯定も否定も口にしなかった。心中だけで、間違ったとは思わなかったと零す。この刻伝えるべき言葉はこれだった。
「今、おぬしと大して大きさが変わらぬわしの分身がひびをこじ開け続けている。できた空間には全方位に補強の術を施している」
「わかったわ」
ラグナはかづらの真正面へと飛翔して、力強く伝えたから、結界の穴へと一切の躊躇なく飛び込んだ。
「頼む」
かづらはラグナの姿を見届けて後、固く目を瞑った。今使っている術すべてに集中する為に。
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