葛の裏風
「他国でも力が使えるとは大したものだ」
「ここの草たちが協力的なだけよ」
素直な称賛の言葉にむず痒くなり、かづらと共に飛翔を続けるラグナはそっけなく答えた。
植物に呼びかけ、協力を仰ぎ、承諾を得られれば、植物の力を増長させて、手伝ってもらう。
妖精の特別な力の一つであり、今現在、ラグナは結界の傍に生えているつる草たちの協力を得て、結界の穴探しを手伝ってもらっていた。
「草の言葉がわかるのか?」
「承諾と否定の言葉しかわからないわ」
「草限定なのか?」
「植物なら大体は。マンドレイクは全然わからないんだけど」
(どうして急に話すようになったのかしら?)
寡黙な印象に反して、実はお喋りだったとか。
沈黙よりも遥かにましだと、嬉しくさえ思うラグナは深く考えなかったが、かづらは意図して話していた。
(見られているか)
自分たちの土地から離れた事、いくつも術を使っている事で結界を張る力が弱まっている所為で、誤魔化しきれぬ妖怪や烏天狗がいる。
有難い事に、仲間である烏天狗は黙視を決め込んでいるようだが、他の妖怪は違う。虎視眈々と狙っているのだ。
ラグナの感情の惹き出しを。
久々の獲物なのだ。そう逃しはしないだろう。
(厄介か、幸いか)
戦の単語に過敏な反応を示していた事から、戦を経験したのだろうと予測はできた。
もし、その当時の感情を惹き出されてしまえば、ラグナはまともに動く事はできないだろう。
故に、なるべく楽しくなるような会話を続けているのだが。
(次はなにを問えばよいのか?)
ラグナの見立ては正しかった。かづらは本来、寡黙で口下手であったのだ。
仲間からは日常やっている事から変わり者扱いされて、遠ざけられ。息子のやしろからも何をやっているんだと怒りを喰らい、遠ざけられ。懐いている圭とも必要な会話しかしなかった。総じて会話の必要性に迫られる事がなかったのが今は災いした。お菓子とお茶を傍らにきゃっきゃっと楽しく明るくするような雑談というものができないのだ。
かづらの苦悶が視認化できていたのなら、今頃冷や汗で全身が水浸しの様子を目の当たりにできていた事だろう。
(第一に、戦を匂わせる言葉は使わない)
「妖精国ではどのような事をしていたのか?」
(深くは考えない。きっと必要なのよ)
考えたところで泥沼にはまるだけ。そう理解していたラグナ。だから深く考えはせず、加えて、努めて明るく、楽しい話をする事にした。
「朝は本当なら日の出と一緒に起きなければいけないんだけど。私、いつも寝坊するのよね。両親には優しく起こされて。上司には怒られながら起こされる事もあるわ。まあ、割合的には上司が多いかしら。せっかちなのよね。もう少しゆとりを覚えてほしいわ。そのまま家にいついて朝食も食べていくし。図々しいったらないわ。いつも文句を言うのに」
「文句とは?」
(しまった。追及する事柄を間違えたか)
もはや滝の汗でかづらの全体像が見えない。苦悶が視認化できていたら、の話である。
(…まあ、話しても大丈夫よね)
「私たち妖精は本来、その季節に咲く花の蜜や葉雫、植物の実だけを食べて生きていけるんだけど、母はなにを思ったのか。加工物を作るようになったのよ。植物の実を乾燥させて長持ちさせたり、熟成させてお酒を作ったり、土と混ぜてパンって食べ物まで作り出しちゃったのよ。お酒はわかるわよね。パンって言うのは。うーん。なんて言えばいいのかしら。柔らかかったり、固かったり、もちもちしたり、さくさくしたり、触感が色々で。植物の味をより惹き出したり、優しく包んだり、何種類もの植物を使う時はなんて表現すればいいのかわからないくらいに口の中も外も芳醇な味と香りでいっぱいになるの。植物そのものももちろん美味しいのよ。でも、パンも同じくらい美味しいの。大多数の妖精は自然そのものを味あわないなんて愚弄しているって白い目で見るけど。こっそり食べに来る妖精もいるのよね。上司なんかは堂々と来るけど。何やってんだかとか文句を言いながら。母と上司は同い年に生まれたらしくて、それ以来の友人で、大体いっつも口げんかしているわ。父はにこにこ安全地帯で見ているんだけど、私は飛び火が来るから大変で…あら、ごめんなさい。早くおしゃべりし過ぎたかしら」
(確かに。半分以上内容が入ってきていない)
やしろが怒っている時と同等の早さだと、目を点にしながらも追い切れていない事を素直に謝るかづら。気にしないでと言いながらも、ラグナは少しだけ落ち込んだ。
「もう少し落ち着きを見せろって、上司にもよく叱られるの」
だめね私と苦笑した後、ラグナは穏やかに微笑んだ。
「今度の機会があったら、パンを実際に見せてあげたいわ。食べてもらいたいし。あなたたち烏天狗はなにを食べるのかしら?」
「烏天狗は年中実っている鬼灯に杉の酒、秋にだけ実るきのこ、栗。わしとやしろは圭が持ってくるとまとと赤ピーマン、か。赤くて歯ごたえがよかったり、酸っぱ甘かったりする食べ物が好みのようだ」
「へえ。ならベリー系なら気に入るかもしれないわね。ふふ。圭はなにが好きかしら?妖精国にも来たいって言っていたし、色々と案内したいわ」
「圭が好きなもの、か」
ベリー系の果物に囲まれたかづらを想像して口の端を上げたラグナ。閉口してしまったかづらが答えるまで、ベリー系の種類と数は次々には増え、さらに髪形や着物まで可愛らしいものに変えてしまった。
(今は灰色一色だから、思い切って白色にするのはどうかしら。一枚の布でできているものじゃなくて、上下で別れている服。今かづらが着ているみたいなの。それで、私みたいにスカートじゃなくて、圭が履いているズボンで。うん。素敵じゃない?背景がベリー系っていうのがちょっと締まらないけど。ふふ)
想像するのは楽しい。とても楽しいのだが。
時間がかかり過ぎている。
「圭が好きなものはそんなにたくさんあるのかしら?なにを言えばいいのか迷わなくていいのよ。ぜんぶ言ってくれれば」
「いや」
「ええ」
「あー」
「あー?アーモンドかしら?人間国にもあるのね」
「いや、そうではない。その。わしは、圭が好きなものは知らない」
聴き間違いだろう。ラグナは一声も漏らさぬようにとかづらの方に手を添えた耳を向けて、今一度聞き返した。
「ん?」
「い、や。知らない」
「え?」
「知ら、ない」
「…かづら?」
「知らない」
聴き間違いではなかった。かづらは圭が好きなものは知らないと言ったのだ。こんなにも必死になる相手にもかかわらず。
ラグナは半分がっかり、半分なるほどと思った。
確かにそんな会話をしそうにない。とは思ったのだ。思いはしたのだ。けれど。
ほんのちょっとだけ、寂しい気持ちにもなった。
「かづら。あなたと圭の付き合いはどのくらいなのかしら?」
「年月は数えていないので正確にはわからぬが、圭が今の身長の半分くらいからの付き合いだ」
「どういった会話をしているの?」
「ほとんど会話はしない」
「じゃあ、なにをしているのかしら?」
「土を見ている」
「土?」
「ああ。土が元気でないと杉も鬼灯も草たちも力を失う。わしは土の様子を毎日見ているのだ」
(へえ。じゃあ、かづらはマンドレイク、みたいなものなのかしら)
妖精国では昔からマンドレイクが土に息吹を与えて、命を芽吹かせ成長させると言われており、生きて行く上で、絶対に欠かせない存在だった。
(仲間は必要ないと言うがな)
感心しているような様子のラグナに、かづらは心中だけで一言添える。
土を作り、命を与える役目は、杉が果たし続けている。われら烏天狗は他の妖怪の管理と飛翔力を上げればいい。
自分以外の烏天狗の意見。息子であるやしろも同意見である。
天へ行く存在なのに、地にへばりついてどうする。
背中に生えている翼が泣いている。情けない。
ほとんどが、怒るか、背を向けるやしろしか見ていない。
そうしていつの間にか、荒々しく広げられる純黒の翼は、己と同じくらいの大きさになっていた。
「ねえ。圭を見た時から疑問だったんだけど、なんで圭は烏天狗国にいるのかしら?その。もしかして捨て子だった圭を九尾の妖狐が見つけ出して、かづらに見守ってほしいとか世話を頼んだのかしら?」
神妙な顔つきのラグナの発言に対し、思わず吹き出しそうになるかづら。どれも的外れなのだが、吹き出しそうになった原因は九尾の妖狐の親切行動発言である。あの九尾の妖狐がそんな情を持ち合わせているわけがないのだ。
「いや。圭は自分の意思で烏天狗国に来た。事情は本人から聴いてくれ」
「かづらは全部知っているの?」
「…いや。圭はすべてを語ってはいないだろう」
「なぜ圭を受け入れたの?」
なぜ受け入れられたのか。だった。正確には、
戦争をしたもの同士。敵なのだ。例えば当時の人間でなくても、憎悪を抱き、拒絶するはずだろう。
(今の私たちの状況もおかしなものよね)
今更ながらの感想。
敵だと認識している。かづらも、助けるべき圭も。
敵にもかかわらず、こうして並んで飛び、世間話に花を咲かせている。
(敵、なのよ、ね)
仲間が殺された。妖精も、烏天狗も、人間も。憎悪は消える事はない。
だから、結界が希望だった。戦争を止めてくれた結界が、復讐を諦めさせてくれる結界が。
憎み続ける事はとてもつらいから、
(こんなに近くにいて。復讐が果たせるのに、する気さえ起きない。だって。私は、私が一番許せないのは、)
(なぜ、か)
改めて問われても、正確な答えはきっと言えない。己の中にさえ見つけ出す事は困難だろう。
『土は一緒なのか知りたくて協力してもらって来たの。色とか、感触とか、匂いとか。水はどんな風に吸収するのか。風でどんな風に舞うのか。踏まれた跡はどんな形になるのか。命をどんな風に受け入れるのか』
無知故の行動だと最初は思い、圭には戦争を問うた事はなかった。
年月を重ねてもなお、否、一層に、問う事はしないという想いは強くなる。
文字だけのものであってほしかった。戦争を知らずに生きてほしかった。
こんな形で知ってほしくなどなかったのだ。
(そこにわしはいるのか?)
かづらはそっと鳩尾に手を添えた。
(わしがおまえを恐怖で怯えさせているのか)
「かづら」
「わしの中に入るか?」
先程の質問に対し返答を急かされているのではない事は、少し青褪めているラグナの表情でわかる。結界は継続中なのだが、やはり弱かったのだ。惹き出されつつあるのだろう。戦争時の記憶を、感情を。
ラグナはかづらの問いに、きっぱりと首を振った。
中に入っていた方が迷惑をかけない事はわかっていた。足手まといになるのは嫌だった。
それでも、恐怖に怯えて、隠れ続けるのはもう、
もう、二度と御免だった。
ラグナは短く、柔らかい吐息を出した。
当時の戦争は、どの国も加害者であり、被害者だった。
突然島に大きな揺れが襲い、強く長く続いたかと思えば、衝突。島が崩れる音を確かに耳にしながらも間を置かず、自分たちとは違う種の出現。すでに負傷者も出ている混乱時の恐怖で、咄嗟に過る最悪の未来への恐怖で、生存本能を最大限に引き出して、攻撃に走った。攻撃に走って、機会を見失った。
「やっぱり、結界は必要ね」
ぽつり。零れ落ちたはずの言葉は、強い音を持っていた。
どうしたって、烏天狗や人間に接すれば、戦争を思い出さずにはいられない。
恐怖を思い出さずにはいられない。
恐怖に蝕まれて隠れ続けた己を思い出さずにはいられない。
妖精国では、目を逸らし続けられていた恐怖も弱さも。
烏天狗国に来た事は天命だ。などと戯言を言うつもりはない。ないけれど。
奪ってではない。救う事で克服できる機会が今というのなら、
(ああ。笑い飛ばしたい)
こんな姑息な事を考えてしまう自分を、
ラグナは直視した。かづらを。かづらの中にいる圭、マンドレイクを。そして、後ろに視線を向けて笑った。不遜に笑ってみせた。
妖怪が他種族の感情の惹き出す事で、快楽を得る事は知っていた。そんな妖怪に確かに怯えていた。戦争を思い出したくなかった。
違うだろう。身体にある感情は戦争で引き起こされたものだけではない。
感情はそれこそ、楽しかったり悲しかったり多種多様に存在する。
では今の私は?私が今抱いている感情はなに?
「私の中から一欠けらでもなにかを惹き出したいのなら、ちゃんと名乗りなさい。こそこそと機会を窺っているあんたたちには、絶対に無理だから」
惹き出したいのなら、惹き出せばいい。
今抱いている感情を。怒りを。表面上に浮かぶそれを好きなだけ掬い取ればいい。
「かづら。ありがとう」
ラグナは柔らかく笑った。自然とその笑みが浮かんだ。
名を呼べる相手がいる事。助けを求め、応じてくれる相手がいる事。
(弱い私には必要だった)
情けないと思うが、強く引きずりはしない。目を背けもしない。持って進んでいける。
弱い姿は一度見せた。一度だけ。二度目はない。
「もうあなたに言わせないわ。絶対。わしの中に入るかって」
「ラグナ」
強いな。続く言葉をどうしてか呑み込む。ラグナが望んでいないような気がしたからだ。
ラグナは笑い声を一つだけ零して後、真顔になってかづらに問いかけた。
「圭の身体は大丈夫なの?」
「少し熱が下がってきているようだ。木の葉鬼が付いているので大事ないが」
「そう。なら、急いで結界の穴を見つけないと。やしろはまだ九尾の妖狐を見つけられないのかしら?」
「神出鬼没だからな」
「結界の通り抜けを承認した圭がこんな目に遭っているっていうのに。がっかり」
「ラグナは九尾の妖狐に会った事はあるのか?」
「いいえ。でも私だけじゃなくて、遠目でならなんとかって妖精が多数で、直にあって話した事があるのも少数だって。母と上司はその少数に入るらしいんだけど。すごく紳士的だって言ってたのに」
「ああ。それは恐らくそういう性格の時だったのだろう」
なにそれと、ラグナは眉を潜めた。
「知らなかったか。九尾の妖狐は性格が変わるのだ。色々とな。期間や条件は不明だ」
「ええ?なによその困る……いえ。元々の性格が最悪だったら、変わってくれる方が助かるの、かしら。でも。ううん。今はどんな性格か知っているの?」
「いや」
「最近会った時の性格はどうだったの?」
「臆病になっていたな」
「九尾の妖狐にからかわれている可能性はないのかしら?」
かづらは肩を上げて落とした。
「考えるだけ無駄だからな。わしらはそうやって割り切っておる」
「ふぅん。救世主はやっぱりややこしいものね」
(救世主、か)
ラグナの言葉に異論はないのだが、妖精や人間が見ていない姿を目にしているだけに複雑なかづらであった。
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