ならい
体感温度が先程よりも低く感じる。今更ながらに地中の温度を実感しているのか。あるいは、妖怪が冷気を発しているのか。
つたは圭を胸元に隠しながら、妖怪を見据えた。
一に説得。二に術を使って強制送還。
通常ならば、
「地上になにをしに来た?」
「世界を知りに来ましたんたんっってぇえ!」
つたは眉根を寄せた。術を行使して即刻おかえり願おうとしたのだが、想像以上の俊敏さで逃げられてしまったのだ。
「え?ちょ。え?おかしいですな。烏天狗はこちらの話を丁寧に聴いてくれるはずですのに。今までの烏天狗はいてもいいよって言ってくれましたんたん。わたくしめは地上に好きなだけ来てもいいよって登録してくれているはずですのに」
「そんな話は聞いた事がない。謀れたな」
「え、え?うーん。まあ、それならそれで。あなた様が許可をくださればなにも問題はありませぬ。さあ、わたくしめに許可証をくだされ」
「ふざけたやつめ。即刻魔界に還れ」
「ふむふむ。なにやら至急解決せねばならない事案が発生しましたか。焦燥が見て取れますよ」
「おまえには関係ない」
蛇行するような話し方に加えて、話が通じない苛立ちを覚えたつたはまだしかし、眼前の妖怪を格下と見なしていた。
力は半分以下でも還せるだろうと読むほどには。
けれど、次の発言でその読みは覆る事になる。
「例えば。その胸元に隠してあるマンドレイク、と、そのマンドレイクに憑依しているどこぞの魂様が原因ですか?」
脅威になり得ないと読んだ相手であったはず。今この瞬間、マンドレイクと憑依している魂発言を耳にし、加えて、灰色のもやであるにもかかわらず、舌なめずりする様子が手に取るようにわかった時点で、つたの警戒心は頂点を軽く超えた。
標的として捉えた今、この妖怪は圭のなにかを惹き出すまでは、執拗に追いかけて来る事は明白。
つたは素早く手首に隠していた笹の葉を五枚、手の内に滑らせて、妖怪を囲むように投げつけ、速攻で術を唱える。
最強と言っても過言ではない術。にもかかわらず、つたはどうしてか、この妖怪には通用しないとの考えが過ってしまった。
力を配分された分身が、しかも、のちの事を考えて力を制御してしまっている。故に術の効果も下がる。
(いや、)
「即刻去れ」
妖怪の背後には確かに、五枚の笹の葉によって描かれた五芒星の入り口が出現し、その中から魔界へと引きずり還そうとする風が蠢いていたが、妖怪は微動だにしていない。
つたは代わりの分身を伝術で直ちに来るように呼び寄せてのち、しかし、その姿を確認する事なく、全身全霊を懸けてこの妖怪を魔界へと引きずり堕とさんと力を爆発させようとした。まさにその刻だった。
「わたくしめが解決できるやもしれませぬ」
謀り。最初に過り。反射的にふざけるなと怒鳴る。その動作はしかし、実際には行われず。
つたの思考は、仮定で埋め尽くされる。
今回の問題を解決する為には九尾の妖狐が不可欠であるが、本当に見つかるのか。見つかり、妖精の国に行けたとして、本当に薬があるのか。薬があったとして、それはすぐに用意できるものなのか。すぐに効くものなのか。
時間制限がある中、どれも現実味に欠けているように思えてならなかった。
主たちの結界の綻び探索の方がまだ、かろうじて現実的に思えてならないが、それだけに頼るのは心もとない。
ならば、代替案を見つけねばならない。
この妖怪は力に関して言えば、己よりも強い。もしかしたら、主と同格かあるいは、
正確な力量は計り知れぬが、敵わないのは明白。それは妖怪にもわかっているはず。にもかかわらず、力を使ってこちらをなぶる事もせず、圭にも手出しをしていない。
話が通じる可能性もあり、あるいは、味方の振りをして手酷く裏切る事で快楽を得ようと画策している可能性も確かにあり、後者の方が割合としては大きい。
妖怪の言葉に耳を傾けるか否か。どちらかに傾けるべき天秤。
その主軸はなにで構成されている?
(圭が死ねば、主もやしろも傷つくな)
助けられる可能性があるのならば、
つたは短い時間の中で、決断を下し、交術で見ていた主に伝術で話しかけた。
要請ではなく、許可を求める為だ。
ーー主。この妖怪に力を貸してもらおうと思う。いいか?
ーーもしもの時は、わしが行く。
それだけ告げるや切られる伝術。力を温存する為の処置。
不甲斐ない。やしろが感じたように、つたもまた、その感情に苦しめられたが、心の奥底に封じ、態度を一転させる。かづらの後押しもあって、腹は括れた。
つたは術を解き、頭を下げた。深く。真摯に。表面上は。心の内は半分より超えて。
「非礼は詫びる。助けてもらいたい」
つたの耳に笑声が届く。莫迦にしているのか、この状況を面白がっているのか。どちらでも、どちらともでも、不快さは拭えない。未熟さ故だと、丸ごと受け止めるが。
「その潔さに感服いたしまして、わたくしめも全霊で問題解決に挑まさせていただきます。さささ。憑依マンドレイクをわたくしめにお預けくだされ」
「渡すわけがないだろうが」
渡すべきだとは理解している。理解はしている。が、一刀両断せずにはいられなかったつた。口では。手はとてもつない時間をかけて、胸元に隠している圭を手渡すべく動いていた。
じりじり。じりじりと。やおら近づける。手。
渡しはするものの、手は離さぬ。
つたが決意する中、つたと妖怪のやり取りの間も、つたの手が届こうとしている今も、黙視していた圭。自分なりに考えを纏めてから、口を開いた。
まだ、つたの手は圭に触れてはいなかった。
「憑依を解く方法に目星は付いているのですか?」
「物理的に回し続けて離れるのを待つか、竹の薬を使うか。前者は場所を選ばずにできますが、後者はわたくしめの秘密基地に来ていただかなければなりませぬ」
「回し続けるだけなら、私たちだけで解決しますよね」
「いえいえ。回し方にも作法があるのですよ。門外不出でわたくしめしか存じないでしょう」
「秘密基地はどこにあるんですか?」
「竹林にございます」
「薬はもうできた状態であるんですか?それとも一から作らなければいけないですか?」
「一応あるにはありますが、あなた様の状態によって作り変えなければいけないでしょうから、時間はかかりますでしょう」
「定着しているみたいなんですけど、見立てではどう診ますか?」
「さてさて。そうでございますね。診た限りでは、確かに。憑依の域を超えていらっしゃいます。混じり合う寸前と言っても過言ではありませぬ。ですので、薬は作り変える必要がございますね」
「具体的にどれくらいかかりますか?」
「五時間。未満で必ず仕上げてみせまする。どのような状態であっても必ず」
「五時間。効果はすぐに出ますか?」
「ええ」
「回し続ける方法では、どれくらいかかりますか?」
「十二時間ほどでございます」
「十二時間……成功の確率はどちらが上ですか?」
「同程度でございます」
(秘密基地だと。地上にいついているのかこいつは)
問いただしたい。締め上げて問いただしたい。力で敵わぬとわかっているのに。何故だろうか。こんなにも気に食わない。耐えろ。こいつの協力は必要不可欠だ。
妖怪と圭のやり取りを凝視しながら、責務と疑問と忍耐が渦巻く中、つたの手はとうとう圭の身体に触れた。
小指。薬指。中指。差し指。親指。一本一本の指が順々に触れた。ここでもまた、それはもうじれったいくらいに、おもむろに。第一関節のすべての指が圭に触れ終えたら、沈み込ませた掌で圭を包み込み、引き上げて、妖怪へと近づける。
じりじり。じりじりと。
「つたさん。妖怪さん。お願いがあります」
「却下だ」
つたは即座に一刀両断した。大体予想は付くので、内容を聞くまでもない。故に手の動きは続行中だ。
「今暫く、憑依したままで捜索を続けたいと戯言を告げるのだろう。却下だ。認めん。断固としてだ」
「お願いします」
「だめだ」
「つたさんの好物を今度差し上げますから。なんですか?赤ピーマンですか?とまとですか?梅干しですか?」
「おまえ。状況を理解しているのか?この妖怪が「おやおやおや。申し訳ございませぬ。わたくしめとした事が名をまだ告げておりませんでしたんたん。こごめと申しまする。仮名ですが」
「真名を告げる莫迦がどこにいる…ではない。おまえの名前などどうでもよい。圭。この妖怪の「こごめ」「…この妖「こごめ」「こ「ごめ」
(我慢我慢我慢我慢我慢がまーん。こいつは必要必要必要。もし。万が一にも。役立たずであったなら、身命を賭してこいつを魔界に還す)
「……こごめの言葉が正しいと仮定すれば、どれほど危険な状態にあるのか、莫迦でもわかるだろう」
「わかります。が。今、マンドレイクと色々話していて。相変わらず言葉はわからないですけど。意気投合している感じなんですよね。目と目が合うだけで気持ちが通じると言うか」
「莫迦が。それはもう混じり合っている状況にあると言うのだ」
「え?あー。なるほど。だからなんとなくわかるんだ。へー」
味方はいない。ここに己の味方など、一体もおらぬ。つたは痛感した。
「おまえはどれだけ呑気に構えているのだ。主とやしろがどれだけ心身を痛めているのか理解しているのか?そもそもおまえが、」
おまえが烏天狗国にいなければこんな事態には陥っていなかったーー。
伝えるべきではない言葉。けれど伝えたかった言葉。
結界ができてから、他国へ渡ろうとしたものはいなかったのだ。
自国で満ちていたから。
圭が烏天狗国に渡った理由は知っている。だからこそ、容認できた。それでも、
(なにを、)
つたは目を見開き、臍を噛んだ。こごめの所為かどうかは関係ない。波紋を起こした。それだけが事実。
(重要なのは伝える事だ)
つたは圭を包み込む手とは逆の手で圭を受け取り、真正面を向くように仕向けた。
「圭。己の命が懸かっている。命を取り戻す事だけに専念してくれ」
「つたさん」
申し訳なさが募るも曲げられないので一度は閉口してしまった圭。つたの顔は髪の毛や髭で覆われているので表情はわからないが、きっと、それはもう凶悪な顔をしているに違いなかった。切なげに懇願していない事だけは確実にわかる。まかり間違っても、眉尻や口の端が下がっている事は決してないだろう。
「この身体は自分のではないって、魂が出ていきたがっている。違和感は大いにあります。でも同時に、憑依している今しかできない事があるってわかるんです」
「それはマンドレイクの仕業だ。そう思うように仕向けられている」
「それでも。ごめんなさい」
「…頑固な、」
(私が断れないのを知って、)
円らな赤い瞳はその色のままに、使命に燃えていた。
説得は所詮、焼け石に水。水をかけ続ければもしくは。など。徒労に終わるのは明白。
今の時間さえも。つたは何度目かわからない溜息を吐いた。
「何時間だ?」
つたは圭とこごめに問いかけた。
こちらからは具体的な時間は提示しなかった。見極めるべきは、本人と解決法を知っているこごめだからだ。
「「四時間です/でございます」」
圭とこごめの言葉は一糸外さず重なった。つたは小さく頷いた。先に動き出したのは、こごめであった。こごめは圭に腕を振るように告げた。圭がその通りにすると、マンドレイクの腕から、微かな煙が立った。木の粉ですよ。こごめは言いながら素早くそれを回収した。
「では、わたくしめは先に竹林へと向かい、考え得る限りの薬を作っておきまするので、失礼いたします」
そう告げるや一瞬にして、こごめの姿は消えた。
次に動き出したのは、圭であった。つたは地の下へと飛ぶように向かう圭の背後に添った。
恐らく。否。確実に。圭の意識はマンドレイクのそれと混ざり合ってきている。
呑み込まれるか否かを決めるのは、圭次第。
(……まさか、逆はあり得ないだろうな)
そうであったのなら、どれほど気が楽か。けれど、あり得ない事でもないだろう。
「やるべき事があるのだからな、」
ぶつぶつと聞こえて来る小声を積極的に拾わずに聞き流す程度に留めても、意識の混濁が見られる発言だとわかった。
抗っているのか、繋がろうとしているのか。
「四時間」
憑依を解く事だけが目的ではない。時間は足りるのか。
(こごめに蘇生もできるか、圭は何故問わなかったのか)
圭がマンドレイクの悲鳴を聞いてからすでに、五時間は経っていた。
太陽はまだ、沈んではいなかった。
イヤダイヤダイヤダ、
コワイ。
ハヤク。
ハヤクハヤクハヤク、
「ハヤク コワイ イクサ ハヤク モドル」
「ココハ キケン」
「ココ」
「ココハ キケン」
「チカラガ」
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