いぶき
つたと呼べ。
かづらの分身はそう言ったきり、口を噤んだままであった。
圭は圭で、人間だったら絶対体験できないこの土潜りに感激しながらも、大切な〝なにか〟探しに精神を尖らせていたので別段困らずに、むしろ好都合でさえあった為、先導する以外の言葉しか発さなかった。
本来なら死が迫ってなければ、願ってもない状況であった。
地上では焦げ茶色と一色しか見せない土も、中では海波のように緩やかに、時に激しく赤から茶、黄、黄から茶、赤へと、こんなにも色があるのかと驚くくらいに細かく色相を変えるのだ。人間国ではまず見られない、まるで土そのものが脈動している山紫水明な光景に魅入っていただろう。
何時間でも、それこそ何日間でも。
本来ならば。けれど、今の圭の眼には素通りするだけであった。
ハヤク、ハヤク。
言葉は一つ。けれど、籠められる想いはいくつになるか。
マンドレイクの為。ラグナの為。かづらの為。やしろの為。己の為。
ハヤク、ハヤク。
言葉のままに身体が動いてくれたのなら、どれだけ早く事がなせるのだろうか。
どれだけ早く、
(我を忘れている。という表現が正しいか)
言葉だけではもどかしいと言わんばかりに自らの手を離れ、先導する圭を注視しながら、つたは周りの気配を読む事も怠らなかった。
分身の術。本体を分裂させて、姿はそのままに力を等分する術は、けれど、主(本体)とその他で存在する。
分裂している間は、主もその他も人格と意識は別個に存在しており、共通していなかった。故に、主であっても、分裂したその他がなにをして、なにを考えているのかはわからない。術を解いて、一個体に戻らない限りは。
(妖怪に出くわさなければいいが)
主の負担を減らす為に自らの判断で事を為そうと決めていた、つたの懸念は二つ。
一つは妖怪の出現である。
妖怪を魔界に還す。
烏天狗の仕事の内の一つである。
魔界では姿かたちは多種多様ではあるが、地上に来てしまえば、灰色のもや一択の妖怪。
主に術を使って強制送還。時々、説得して穏便に還す事もあれば、地上在留を許可する事もあり、許可された妖怪はその証として、魔界での姿かたちを地上でも維持できるようになる。
地上に来るには地上と魔界の合間にある結界を通り抜けなければならないので、力が強いものと限定される。またその中でも好戦的な妖怪が多く、妖怪最強と謳われる九尾の妖狐に挑む為に地上に来て、肩慣らしにと烏天狗にちょっかいを出すものもしばしば。結果、九尾の妖狐に出会う事なく魔界に戻されるわけだが、地上に来る最たる理由として、九尾の妖狐に挑む以外には、暇潰しが挙げられるだろう。
暇潰し。その中に、感情を惹き起こす事があった。
喜怒哀楽に恐怖。
躊躇も容赦もなく、冷酷無比に行動を起こす。
結界ができた百五十年よりも昔。戦争があった時に、その味を知ってしまったのだ。
人間や妖精の感情を惹き起こす事で得られる快楽を。
同種族間では得られなかったものであり、結界ができてしまってからも、諦めきれずに地上に出てくるものもいるのだ。
島が一つにならなければ、
かづらが漏らした言葉。
そこにどんな感情が乗せられていたのかは、つたにはわからなかった。
(マンドレイクに支配されているのではないか?)
圭の動きに躊躇が全く見られない事。
もう一つの懸念である。
人間はこんな風に物体の中を透過できない。ぶつかってしまうと危険信号が出て、意識よりも早く身体が停止させるものだ。なにより、意識が衝突の恐怖を感じて、例えば大丈夫だと認識していても躊躇うもの。
それが圭には一切合切見当たらないのだ。
やしろ曰く、正体不明な人間だから、恐怖が欠如している。もしくは、状況が状況なだけに、恐怖を感じていないから。
そんな読みだけで片付けてしまっていい問題ではないだろう。
一つの身体に二つの魂。
一つの身体の支配権を我がものにせんと、一つの魂がもう一つの魂を喰らおうとするのは自然な事。
マンドレイクにしてみれば、己の身体なのでなおさら、異分子を排除しようとするのは容易に考えられる。
なによりも先にすべきは、憑依を解き、圭の魂を圭の身体に戻す事だった。
だが、かづらの術を以てしても、それは叶わず、もはや、妖精に頼るしか道はない。
こちら(烏天狗)ができる事は、圭の身体と魂の保護と一刻も早く九尾の妖狐を探し出し、妖精の国に行けるようにする事くらいだった。
だと言うのに。
(この娘はなにを考えているのか)
自ら危険度を増すような行動を起こして。
もしも、今憑依しているマンドレイクが死んでしまえば、己も死ぬというのに、
それともやはり。己の意見を言えないまでに、マンドレイクに支配されてしまったのではないか。
ならば、強制的に行動を封じるべきではないか。
主の意見に反する思考だが、娘を思案する主を慮ってこそ。
(私が口を考える事ではないか)
早々にあるまじき思考を放棄すると、つたは圭の名を呼んだ。前を見たままではあったものの、圭はなんでしょうかと返した。
「おまえは私が必ず護る。故に好きに行動して構わん」
「……つたさん」
「どうした?」
「自分の身体って。当たり前ですけど。私が私だって証明を、自分にも、自分以外にも伝えていますよね」
「ああ」
「…私。自分の身体を大切にしますよ」
「ああ」
「今はこの身体も。なので、お願いします」
「任せろ」
圭がなにを想って告げたのか。正直つたにはわからなかった。
己の身体ではないので、己だと、生きているという確信が持てない恐怖。
それを仕舞い切れぬが故の発言か。
声に怯えを感じ取れていれば、そう結論付けていただろう。
「圭。なにを探しているのか、真に思い当たらないのか?」
「…多分。マンドレイク、です」
「……この地にマンドレイクがいると言うのか?」
「確実ではありません。マンドレイクと会話をしようと思って、色々話しているんです。でも、なにを言っているのか、さっぱりわからないんで。直感でそう言ってるんじゃないかって」
「…おまえの探しものである可能性はないのか?」
「マンドレイクに。一方的にですけど、声に出して話しかけていく内に、考えを纏めて答えを出す事ができました。その可能性はないと断言します」
「確実か?」
「はい」
「真にか?」
「はい」
「声音に芯が通ってないように思えるが」
「………断言したいという私の希望的観測です」
「…おまえにはすでに呆れを覚えている。嘘偽りを言うな」
「だってですね。この状況で、私の願いを優先して動くって、あり得ないじゃないですか」
「死に直面しているからこそ、であろう」
「…そう、なんですよ、ね」
歯切れの悪い返答に、気落ちをさせたのかと思うとなにやら苦い気分になり、つたは会話の方向転換を図った。
「マンドレイクだと仮定すれば、この地にいる理由として考えられるのは四つ。戦争時にこの地に取り残されたか。九尾の妖狐の仕業か。九尾の妖狐の力が弱まって結界に穴ができたか。マンドレイク自身が結界を超えられる能力を身に着けたか」
圭の心臓が強く脈を打った。嫌な予感が身体中を駆け巡る。
考えるべきか、それとも、放棄すべきか。迷う心をよそに、頭はすでに思考を巡らせていた。
もしも。もしも、そうであったなら、と。
(違う。そんな事はない。だって、約束した)
過るのは、悲痛な顔。あんな顔をもう見たくはなかった。だから。
だから、
無意味だとしれなくても、
(私は九尾の妖狐に、)
過去の邂逅へと陥ろうとする瞬間、圭の身体は勢いよく後方に引っ張られたかと思うと、つたの片手に収まっていた。しかし、圭には何故急にと疑問に思う必要はなかった。
圭とつたの眼前には今、灰色のもやが在った。
一体の妖怪の登場である。
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