山背
(いらない情報を流しやがって)
杉の間を飛翔しながら、鬼灯へと向かっているやしろは舌打ちをした。
交術によって、かづらの動向は筒抜け状態。逆も然りである。心中は、その限りではないが。
(戦争、か)
百五十年前。戦争が終結されたとする年に生まれたやしろにとってもまた、知り得ない世界。
無論、習ってはいる。悲惨さも理解している。二度と起こすべきではないとも。
その世界を、圭は経験しているかもしれないのだ。
「くそっ」
「すごく響くから、舌打ちとか悪態をつくのは止めてほしいかな」
「あ!?」
思わず、その声に反応してしまったやしろ。きょろきょろと辺りを見渡すも、視認できるのは幾百もの杉と、遠方では情報を求め応じてくれた烏天狗のみ。
(幻聴かよ。どれだけ切羽詰まってんだ)
「違う違う。胸元」
(うるせえなあ。幻聴のくせに、)
即座に否定するも、どうしてか、否定し切れずに、だが誤魔化しが効くようにと、戸惑わずに片手を胸元に向けて触る。
通常であれば、つるつると滑らかな布地の感触がするのみ。
だが今は、なにやら、触り慣れていない、ふわふわした柔らかい感触がする。
つい先程、触った覚えがある、ような、そうでもない、ような、
やしろの手が否定する心中に構わず、そのふわふわしたものを掴んで、眼前に持ち運ぶと、
「最初に言っておくけど。私はなにもしてないよ」
圭が憑依したマンドレイクの姿が瞳に映った。
瞬間。声なき怒声が圭を直撃した。
大きさは先程別れた圭より一回り小さく、分裂したのではないかと、やしろは推測した。
「魂も分裂するって、おまえ」
交術で状況は知られているが、やしろは伝術を使ってかづらに報告と確認をした。
圭の魂は、確かにかづらの中にあると。
この状態はマンドレイクの影響一択。
そう断言したいものの、し切れないのはやはり、圭自身が正体不明な人間だからだろう。
曰く、計り知れない人間。
九尾の妖狐の承認がそれを後押ししている。
「いやいやいや。私は普通の人間だって」
「おまえが自分をどう思ってようが、俺は何かしでかすだろうなとは常日頃思っていた」
「そう言われても。私だって、どうなってるのか。ごちゃごちゃしてるし」
ふてくされてはいるものの、そこに絶望の響きは見当たらない。
やしろは秘かに安堵した。
そうだ。絶対、大丈夫だ。
「この分じゃ、おまえ、まだ分裂してるかもな」
「んー。まあ、身体が無事だったなら、面白いし、嬉しいけどね。分裂できたら、調べものもはかどるし」
「うっとうしい事この上ないから、早く解決させるぞ」
やしろは胸元の、衣と衣の間に戻した圭の頂上を、人差し指でちょこんと触れた。
「やしろ」
「あ?」
「喉渇いた」
「もう着くから待ってろ」
「うん」
圭とやしろの眼前には、たわわに実る鬼灯が広がっていた。
仄かに発光して、宙に浮いているように見える鬼灯。
まるで、見知らぬ世界へ、誘い、導く為の灯火のようだ。
実際には、光も放っておらず、杉の木に巻き付いて、上へ、上へと昇っているだけなのだが。
「九尾!九尾の妖狐!」
小さな泉で水分補給をしてのち、やしろは飛翔を再開。鬼灯が巻き付く杉の間を通り抜けながら、眼下に九尾の妖狐を探す。
鬼灯が生るこの一帯はそう広くはない。間もなく一周を回り終える。だが、九尾の妖狐の気配はない。
断っているのか、本当にいないのか。
危惧すべきはほかにもある。
例えば、今現在の九尾の妖狐の性格がどうなっているのか。
見つけたとしても、もし厄介な性格であったのならば、万が一も。
(いや、そん時は、無理矢理)
ころころと、秋の空のように変わる性格。
謹厳実直であったならと、願わずにはいられない。
「九尾!」
やしろは吠えた。
大気にさえ広がるその振動が、圭にも強く通じる。
焦りも強く。
圭は目を伏せた。いつもは素通りする事。意思通りに身体が動く事。感覚がある事。
生きているのだと、口元を綻ばせずにはいられない。
一日だと、ラグナは言った。
一日経ってしまえば、死んでしまう。
焦りも恐怖も抱いて当然。
やりたい事があるから、一層その感情は強く。
(私ができる事はなんだろう)
マンドレイクに憑依した状態で。かづらに取り込まれているもう一人の自分とは違い、自由に動く事もできるこの状態で。
マンドレイク。調べものをする過程で、確か、どこかで見たはず。
地中を潜れる生物だと。
(私も自分で)
危険を承知で?
木魂する声に、即座に噛みつく事はできない。
死にたくない。
死にたくないのだ。
あの刻とは違う。
危険を承知。けれど、危機感よりも探求心が上回っていたあの刻と。
本当に?
「やしろ」
声質が変わった事に、やしろは嫌な予感を覚えた。硬質な声。似合わない。
「あ?」
「別々に探そう」
「は?んなの、許すわけないだろ」
「うん。でも、行く。地中だから地上よりは大丈夫」
「莫迦が。透過できる力を持つ妖怪には場所なんぞ関係ないんだぞ。死にたいのか?」
押し殺しているその低い声は、本気で怒っている証。
額に血管を浮かばせてるんだろうなと、容易に想像できる。
わかっている。このまま、やしろの胸元にいればいい。かづらの身の内にいればいい。それが最善であると。わかっている。
焦燥も恐怖も押し殺して呑気に、やしろ、かづら、ラグナに任せればいい。
(だめだ)
ハヤク。
声が聞こえる。
自分の声。そして、
ハヤクモドリタイ。
「圭」
芯が強く、透き通る声。怒りはどこへ行ってしまったのだろうか。そんなに優しく諭すように呼ばれては、我を通せなくなる。
「マンドレイクに引っ張られているな」
「違う」
「同じ気持ちだと?」
「そう」
「圭」
「なに」
「今心に占めてる言葉、全部吐き出せ」
「ごちゃごちゃで、わかんない」
「出せ」
圭は口をへの字にした。
胸が張り裂ける。口を開くも、閉じて。幾度か繰り返し。
「死にたくない」
「怖い」
「早く戻りたい」
「焦っている」
「早く調べたい」
「ぐるぐるしてる」
「わかんない」
「怖い」
「早く探したい」
「戻りたい」
「じっちゃんばっちゃんに会いたい」
かづらの中にいる自分から伝わってくるのは、恐怖の渦。具体的な映像も音声もない。ただ、恐怖が渦巻いている事くらいしかわからない。
ぐるぐるぐるぐる。目まぐるしく何かが眼前を通り過ぎる。立っていられずに、うずくまり、目を固く瞑る。それでも、なにかは頭の中まで攻撃してくる。
死への恐怖。言葉に表せない恐怖。
恐らくは、マンドレイクが経験した戦争だ。
「戻りたい」
平和な自分の国に。
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