凱風

「烏天狗が人間を懐に入れるなんて、驚きもいいとこだわ」

「相も変わらず、妖精は口を閉じるのが苦手らしい」


 ラグナは肩を揺らした。自覚はある。

 陰鬱な雰囲気も沈黙も苦手だった。自分が喋らずとも、誰かが喋っていればまだ耐えられるが、眼前の相手ではそれは叶うまいと察したからこそ、口を開いた。

 ただ、妖精がすべてそうだとは限らない。と、心中だけで訂正を入れながら。

 あなたたちのようにと。


「圭もいなくなっちゃった今、ただあなたに見られているのは無理。お仲間が戻って来るまで、おはなししましょう」

「例えば?」


 かづらは圭の身体の傍で胡坐をかいた。ラグナも苔を椅子にして腰を落ち着かせた。

 圭の身体には、木の葉鬼がまだまだ集まっている。


「そうね。私が質問するから答えてくれる?」

「ああ」


 ラグナは微笑み、軽やかな口調で告げた。


「私に封印の術を使わないのは何故かしら?」

「圭を助けると告げたからだ」

「無駄だとは思わなかった?」

「その考えはなかった」

「マンドレイクに術が通じなかった理由はなにかしら?」

「対抗手段を見つけたか、圭が憑依した事で変容したか、おぬしが破ったか」

「選ぶとしたら?」

「圭が憑依した事での変容」

「力を見くびられているのかしら?それとも、思ったよりも信用されている?」

「どちらも考えてはいない」

「直感型なのね」

「ああ」


 戦に参加した事はあるか否か。


 掠めた疑問は意識の彼方にでも追いやり、この畏まった言動も終わりにしよう。

 頭脳戦など、性に合わない。

 緊張感に満ちた重い空気など、さっさと変えてしまおう。

 眼前の相手に引きずり込まれるな。

 微笑みも、軽やかな口調も変わらない。

 変わったのは、取り戻したのは、自分らしさ。

 らしくもなく、緊張はしていたらしい、と、ラグナは内心で苦笑を零した。ぎこちなくとも。


「圭の身体を安全に持ち運びながら、結界を調べる事は可能かしら?」

「ああ」


 かづらは即答した。望んでいた答えにもかかわらず、ラグナは肩を落とした。

 否定もせず、提案もしなかったかづらに呆れたからだ。


「さっきみたいに圭の身体をあなたの中に取り込むのかしら?」

「ああ」

「あなたに負担があるんじゃない?」

「ああ」

「その事も踏まえて、安全だと言えるのね?」

「ああ」

「じゃあ行きましょうか?」

「おぬしもわしの中にいた方が安全なのだが」

「そうでしょうね。でも、ごめんなさい。最終的な手段としてでいいかしら?」


 ここが無条件に助けてくれる自国ではなく、他国、烏天狗の国だから。

 殺されるかもしれない中。

 マンドレイクも助けなければいけないから。

 巻き込んだ圭も助けなければいけないから。

 重責は思っていた以上に、圧し掛かっていたらしい。

 うまく逸らせないほどに。


(今になって、)


 今になって、込み上げて来そうな震えを抑え込みながら、ラグナはかづらを直視する。


 その前髪に隠れた瞳が見えたのなら、判断できたのだろうか。


「不自由があるのなら、告げてもらえると助かる。先刻申したように、事が解決するまではそうしてほしい」


 偽りか真実か。

 どうしたって、ごちゃごちゃ考えてしまう頭よりも早く、身体は勝手に判断してしまったらしい。

 安堵に、涙腺が緩んでしまった。


(だめよ、警戒は怠ったら)


 注意勧告は継続して、でも、今だけでも、小指の爪ほどは、緊張を解いて。


「ありがとう、かづら」


 心からの感謝を告げよう。


「愚息だけでは頼りないので、致し方ない」


 ぱちくり。ラグナは目を丸くして、次にはかづらの傍へと飛んでいた。

 自ら禁じていた飛翔が、やはり身を軽くする。

 どの国も変わらぬ風を感じた為でもあるだろう。


「やしろはあなたの息子なの?」

「ああ」

「この国では親を名前で呼ぶのね。それとも、私に血縁関係にある事を知らせたくなかったからかしら」

「父親と認めたくないらしい」

「へえ」

「一つ訊きたい事がある」

「なにかしら?」


 尋ねておきながら、答えは予想できた。わざわざ断る理由。それはきっと。


「このマンドレイクは先の戦に出ていたか?」


 刹那、意識が過去に飛ばされそうになるも、ラグナは常より僅かに長く細い煙をくゆらせるように、息を流す事で平常心を保った。

 好奇心、での、質問ではないと理解している。

 必要な事なのだ。


「マンドレイクはすべて戦に出ていたわ」


 すべて、という表現は正しくはないが、今はマンドレイクの生態について詳しく告げなくても構わないと、ラグナは判断した。そうか。そう発したかづらの音は沈んで聞こえ、ラグナは嫌な予感を覚えた。


「もしかして、圭になにか影響が出ているの?」


 マンドレイクに憑依している圭。憑依とは乃ち、意識を混在させる事。意識を保っているのならばいい。けれど、マンドレイクの意識が圭の意識を侵しているとしたら。


 人間の寿命は短いらしい。妖精や烏天狗とは違い、人間であの戦争を直に知るものは最早いないのかもしれない。

 圭も同様に。


 文字ではその悲惨さを知っているだろうが、その当時の映像、マンドレイクの意識を直に経験するのとでは比べるまでもない。最悪の場合、意識が崩壊してもおかしくはなかった。

 何故、この事態をもっと重く捉えなかったのか。


 口を結ぶラグナ。次には、慎重に口を開いた。


「憑依を解かないのは、魂を留める為に必要だったから?」

「ああ」


 憑依を解く方法が通じるか否かの問題ではなかった。

 通常、身体が命途切れるまで、魂は身体に定着するもの。

 しかし、圭の魂は何故か弾き飛ばされて、マンドレイクの身体に憑依してしまった。

 器に守られていない魂の行きつく先は、消滅。

 身体が死ぬよりも早くに、魂が死んでしまう。


「わしの身体に取り込んで、憑依を解ければと目論んだが、憑依の域を超えて定着してしまっている。もはやそちらの薬に頼るほかない」


 寒い。

 実感したのは今。

 けれど、実際には、かなり前から身体は訴えていたのではないか。

 心が否定していただけで。

 薬はある。

 上司にその薬の存在は確認済み。

 いつかの戯れた会話の中。

 効かなかったら、

 否。それよりも戯れの言葉で、現実にはその薬が存在していなかったら、

 とめどなく溢れて来る、あらゆる負の可能性。

 そんな想定になんの意味があるのか?

 やたらめったらと不安に陥るだけ。


(くだらない)


 気を抜けば、あっという間に引きずり込まれる己に、だ。



 ラグナは圭の身体の傍へと飛んで行き、木の葉鬼に少し退くようにお願いしてから、飛翔したまま身をかがめて、露わになった圭の額に口づけた。

 仄かに温かいのは、木の葉鬼が圭の身体を守っている為。

 圭が生きている為。


 ラグナは体勢を整えて、身体をかづらに向けた。

 かづらは胡坐をかいたまま、逆さに見える圭の頬に手を添えてのち、目を閉じ、呪文を唱えた。木の葉鬼ごと、かづらは圭の身体を身の内に取り込んだ。

 かづらは漏れそうになる息を呑み込み、乱れなく立ち上がった。

 交術(まじわりのじゅつ)、芯術(むかえのじゅつ)、断術(たてのじゅつ)。

 三つの術を同時進行で使い続け、身体の消耗はあるものの、おくびにも出さなかった。


「結界を張りながら、調べる。わしの傍から離れるな」

「ええ」


 かづなとラグナは飛躍した。

 荒々しい風は生まれなかった。

 忌々しく感じていたはずなのに、惜しいと思った。

 その風に添って飛んでみたい。

 湧き出たこの想いは、負けん気なのか、欲求なのか。

 抗うのでもなく、打ち破るのでもなく。

 一瞬間だけでも。









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