つむじ風
「薬ならある。取ってくるから待ってて」
用件だけ伝えて、結界へと飛び込む。来られたのならば、帰れると考えるのは自然。
ざわめく心臓が命じるままに加速を続けて、前髪が結界に触れようとするまさにその瞬間。荒々しい風がラグナを人間の髪の毛へと一直線に追いやる。何をするのと、いきり立つラグナの視界に映るのは、荒々しい風を生み出した漆黒の翼。
「おまえ、莫迦か。結界に触れたら消滅するぞ」
「普通ならね。私はどうやら特別みたいだから、平気よ」
「一回目が平気だからと言って、二回目がそうだと限らないだろ「な「解決する為に必要なおまえが消えてしまったら困るんだよ」
「……この子は今、仮死状態なの。一日経てば本当に死んでしまう。それまでに結界の向こうに、妖精の国に戻りたい。できるのならこの子も連れて。詳しい妖精に診てもらいたいから」
触れた純黒の髪の毛も、卵の殻色の皮膚も、今はまだ温かい。けれど、一日経ってしまえば。
ラグナは烏天狗の眼前に身体の位置を定め、向かい合った。
「ここは人間の国?それとも烏天狗の国?あなたは、もしくはこの子はどうやってここに来たの?私みたいに偶然?九尾の妖狐に選ばれたから?」
結界を行き来できるのは九尾の妖狐だけ。
例外があるとしたら、行きたいという強い意志を持ち、九尾の妖狐とその行きたい国のものの了解を得たものだ。
(俺の手とそう変わらない大きさなくせに)
この強気な態度はどこから生まれて来るのか。ここに来た時は目を白黒させていたくせに。
感心よりも呆れが生じた事により、若干の平静さを取り戻した烏天狗は一息吐いた。
「ここは烏天狗の国。こいつは選ばれた人間だ」
「妖精の国にも行った事はあるの?」
「いや、聞いた事はない……おい。こいつの命を奪ったのはそこの生き物か?」
烏天狗が忌々し気に見る先には、枯れ木の根っこで人形を作ったような生物、マンドレイクがいた。走り疲れたのか。人間の傍らで腰を落ち着けるマンドレイクの前にラグナは立ちはだかり、両腕を広げた。
「この子、知っているの?」
そこの生き物。と、烏天狗は言った。
つまりは、マンドレイクの事は知らないのだ。
知っていたのなら、ここでも何か解決策があるかもしれないとの希望が潰えた事への落胆。
生じる新たな疑問。
一つ目は、何故、マンドレイクが命を奪ったと断定するのか。
妖精である自分が命を奪ったとの考えも生じて然りなのに。
「知らん。だが、そいつがこいつの命を奪うのが見えたからな。真っ赤な生の色を吸い取る様をな」
摩訶不思議な能力を持っていると感心するよりも早くに、凍てつく視線を浴びて、背筋が凍る。だが、眼光は解かない。
「殺さないでよ」
「殺さねえよ。奇声を上げるのを止めてくれたならな」
「言い聞かせる。私からもいいかしら?」
マンドレイクの手を握ったラグナは視線を人間に向けた。わらわらと集まる木の葉。風はない。木の葉自体が意思を持って、人間に集まっているのだ。
よくよく見れば、卵円形の鬼灯の葉に似た形と深紅色の身体に、三角の白の目が二つ、口が一つ付いていて、葉の上には角が二本、下には糸のように細い三本の足指が生えている。
木の葉鬼といい、烏天狗の誕生時の姿である。治癒能力を持っており、仲間が怪我や病気を患った場合に群がる習性を持ち、一晩木の葉鬼がくっついていれば大抵は治る。今回ばかりは役には立たないだろうが。
「害はないし、こいつの生存を高めてくれている」
「詳しく教えて」
「よそ者に教えるわけないだろ」
「……わかった。なら、これからどうするのか教えてくれる?」
ラグナは言い募ろうとしたが、そんな場合ではないと即座に思い直し、なにか策があるのでしょうと断定して問いかけた。
烏天狗はラグナの視線に気に入らないと舌打ちしながらも、九尾の妖狐を探すと答えた。
「おまえが九尾の妖狐に選ばれたわけじゃない上に、対処法も知らない役立たずだって事はわかった。なら、九尾の妖狐に結界を通らせてもらうように言った方が早い。一応は、この国が九尾の妖狐の棲み処があるからな」
九尾の妖狐が烏天狗の国に棲み処を構えている事は知っていたので異論はないラグナ。ただ問題があるとすれば。
「どこにいるのか知っているの?」
「半日あれば足りる」
「知らないわけね」
「うっせ」
「早く探してきてよ」
「おまえがいちいちなんか言うから行くに行けなかったんだろうが」
「私の所為にしないでよね。さっさと行って来たら?私はここでこの子たちと待っているから」
「せいぜい妖怪に食われないようにな」
「さすが。この島で一番血気盛んで野蛮な種族の台詞は違うわね」
「減らず口もいつまで続くだろうな」
「さっさと行ったら?」
早く行きたいそぶりは見せているにもかかわらず、なかなか飛び立たない烏天狗の様子に思い当たる節があるラグナは、けれどこればかりはどうしようもないと思い、さっさと行きなさいよと重ねて告げた。
他種族である自分が危険因子ではないとする保証はどこにもない。
それを証明する術も持ち合わせてはいない。
大丈夫私は敵ではない、と、言葉を使う?
いいえ。
状況次第で敵味方など変動する。そちらが危害を加えようとするならば、容赦なく敵対の道を選ぶ。
手のひらほどの大きさなどと見くびってもらっては困る。
この身体で、三つ巴の戦を同等の戦力で以て向かい合った事を忘れてもらっては困る。
百五十年の月日が流れようと、力の差がない事だけは変わらない。
ラグナの雰囲気が変わった事に気付き、闘い好きなこの烏天狗の血肉は踊ったが、そのような本能など鼻で笑って吹き飛ばした。
結界をすり抜けてくるほどの危険因子。本来ならば、仲間に引き渡すべき。
だが、こいつの命を奪った生物の生態がわからない以上、この妖精に委ねるべき。
下手に仲間を呼んで引き渡してしまえば、面する事も叶わなくなるだろう。
助ける糸口が断たれてしまう。
(いや。あいつにも来てもらって調べてもらうか)
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