あおち風

「ちょ、ちょちょちょっと、待ってよ!」


 ラグナはジグザグに走り続けるマンドレイクを必死に追いかけた。

 日光色の長い髪を風に任せて流し、透き通る空色で、アイリスの葉のように鋭い細長葉の形をした四枚の羽を羽ばたかせながら。


 そう。ラグナは空中を謳歌できる妖精であり、仕事をしている最中であった。


 地中から飛び跳ね、地上を謳歌するマンドレイクを地中に戻す事。

 数ある妖精の仕事の中の一つである。

 この世のものとは思えない奇声を上げるマンドレイク。人型の植物であり、人間がこの声を聞けば死に至るのだが、人間以外は平気であった。


「ちょっと!いい加減にしないとあとでひどい目に遭うわよ!」


 俊敏に逃げ続けるマンドレイクへの、ラグナの叱咤には盛大な焦りが入り混じっていた。

 追いかけているマンドレイクが立ち入り禁止区域に迫っているからだ。

 立ち入り禁止区域、行きつく先で待ち構えているのは結界。

 万が一、

 万が一にも、結界に触れでもしたら、マンドレイクは、


「アンタこのまま突っ走ったら消滅すんのよ!」


 言葉は理解しているはずなのだが、マンドレイクは疾駆を止めない。

 まるでその結界に用があると言わんばかりに。

 身の危険がある事を承知だから、下手にジグザグに動いて、距離を稼ごうとしているのか。

 行きたくない。けれど、行かなければ。と。

 だが、ラグナにしてみれば、マンドレイクの事情など知った事ではなかった。

 兎にも角にも、さっさと捕まえて、元いた場所に戻す。それだけである。


「ったく、仕方ないわね。手間をかけさせるんじゃないわよっっと」


 命中率十割を誇るラグナの手腕により、腰に下げていた袋から取り出された丸い球は見事、マンドレイクに直撃。瞬間、網がマンドレイクにまとわりついて、動きを封じる。

 地に伏しながらも、もがくマンドレイク。追いついたラグナは一息ついて、帰りましょうかと網に紐を繋げて持ち上げる。マンドレイクは見た目に反して軽いので、楽々と持ち上げられた。

 その時だった。


「は?は?なによこれぇえ?」


 網がまとわりついたままのマンドレイクが宙に浮いたかと思えば、抵抗が不可能な勢いで結界へと引っ張られる。否、釣り上げられる、が正しいだろう。


「ちょっとぉおおおおお!嘘でしょおぉおおおおお!」


 絶叫するラグナの頭の中では走馬燈が走っていた。

 優しい父や母の笑顔が与えてくれる元気。初めて羽が生えた日の喜び。どこまで飛べるか友と競走した楽しみ。風と一体化する心地好さ。仕事で失敗して叱る上司への悔しさ。叱る上司への怒り。叱る上司憎し。


「もっとましな記憶を寄こしなさいよおぉおおおおお!」


 結界にぶつかる。この急展開にそれだけは認識できたラグナ。せめてマンドレイクだけは助けねばと紐を天高く持ち上げようとしたが叶わず。臍を噛んで、しかし、せめてもと瞳は瞼の内に隠さず、鏡に映る己を、迫る結界をつぶさに見つめた。


 マンドレイクの奇声が、一層高く、その場に木魂した。








「「え?」」


 助かった。その次の認識は、教科書でしか見た事がない、烏天狗と人間の存在。


 禍々しい、空さえも奪わんとする漆黒の翼。睨み付ける瞳。横たわる人間。何故人間と烏天狗が一緒?奇声を上げるマンドレイク。マンドレイクも無事。見た感じも殺傷なし。よかった。こうやって元気に奇声を。上げ。人間。横たわる。寝ている?それとも?


 サァッと、ラグナの血の気は引いた。


 烏天狗はともかく、人間は、マンドレイクの奇声を聞いたら、


「てめえ!」


 何故。

 意識の彼方で疑問が生じる。

 何故、烏天狗と人間が一緒にいるのか。

 何故、烏天狗は怒りを顕わにしているのか。

 異形のものである私に警戒心を抱いているから。

 横たわる人間に危害を加えたからか。

 自分の顔と同じくらいの、そして、怒りを湛える純黒の瞳に、危害を加えられる、下手をすれば殺されるという思考もまた、意識の彼方で生じるも、芯には届かず。


 今はただ、


 ラグナは横たわる人間の手の甲に手を添え、表層で鼓動がない事を確認。喚き立てる烏天狗の怒りを真っ向から受け止めつつ、こちらも睨み付ける。






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