中編

 あれは私が中学2年生の時の、まだ蒸し暑さの残る日だった。



「あっつ……」


 テニス部の部長になり立てで、人一倍努力をしなきゃと思っていた私は、誰もいない早朝から朝練をしていた。

 まだ日差しの強い中、練習し続けたこの日の私は、ふらふらしていた。普段通りの時間から朝練を始めたみんなには申し訳なかったけれど、早めに練習を切り上げさせてもらって、私は更衣室へと急いだ。

 水分補給し、着替えを済ませ、更衣室のベンチに倒れ込むように座ると、私の意識は途切れた。



「…………、でしょ?」

「わかる、わかる!」


 いつの間にか眠ってしまったみたいで、私は騒ついた声で目を覚ました。


「なんで一ノ瀬先輩が部長なんだろ」

「元気だからじゃない? それ以外に取り柄ないし、朝練も自分アピールの為に必死だしね」

「あれ、困るよね。私達にも同じ事やれ、って言ってるようなもんでしょ?」

「あっ、でも今日は一ノ瀬先輩が早めに切り上げてくれてよかったよね! 私達も『ふらふらしちゃって……』、って言ったら早く終われたし」


 更衣室の外から聞こえる後輩達の声に、私の目は完全に覚めた。

 

 そっか。

 そんな風に思われてたんだ。

 きっついなぁ。


 まだふわふわしている身体を無理やり起こしたからか、少しだけ吐き気がした。そして情けない、と思いながらも滲んできた涙を拭った。

 その時、なぜか小鳥遊の声が聞こえた。


「ねぇ、君達1年生? その一ノ瀬先輩がさっきから出てこないんだけど、中で倒れてるかもよ?」

「えっ!?」


 えっ!?


 後輩達の声と私の心の声がハモった。


「サッカー部の小鳥遊先輩、ですよね? なんでここにいるんですか?」

「そんな事聞いてる暇があったら、早く確認してきてくれない?」

「は、はいっ!」


 普段、女子にはへらへらしている小鳥遊の声が妙に冷たくて驚いた。

 

 って、今はそれどころじゃない!


 起きているのが知られたくなくて、私は再びベンチに横になった。


 ガチャ


 間一髪間に合った私は、更衣室のドアが開いたタイミングでまた身体を起こした。


「一ノ瀬先輩、大丈夫ですか?」

「あっ……、大丈夫。ちょっと寝てた」

「なんだぁ、心配しましたよ!」

「ごめんね。朝練、お疲れ様!」


 そう言い残して、私は急いでロッカーから鞄を取って外へ出た。


「無事?」


 まだ外にいた小鳥遊に声を掛けられ、私は立ち止まった。


「心配してくれたの? ありがと。じゃあね」


 ひどい顔をしているのが自分でもわかるから、私はすぐその場を立ち去ろうとした。それなのに小鳥遊は私の左腕を掴んで、引き止めてきた。


「いつも1人で頑張りすぎじゃない? 一ノ瀬がどんな気持ちで努力しているか、ちゃんと言った? 1回、しっかり話してみれば?」

「何言ってんの……?」

「後輩達の本音、聞こえてたんでしょ?」


 その言葉で私の心臓はギュッと締め付けられた。


「何の事? いきなりどうしたの?」


 私は引き止めていた小鳥遊の手を払い除け、敢えて元気に返事をした。それなのに小鳥遊は無表情でこっちを見ていた。


「あっそ。じゃあこれは何?」


 そう言って、小鳥遊は私の目尻をそっと拭った。


 しまった!

 まだ涙が残ってたんだ!


 そう気付いた私は、咄嗟に言い訳をした。


「そ、それは汗だよ! 今日暑すぎだし!」

「ふーん……。じゃあ1度だけしか言わないから、ちゃんと聞いて」


 いきなりのその言葉に身構えた私は、小鳥遊からの言葉を静かに待った。


「一ノ瀬の事、ちゃんと見ている奴は見てる。泣くほど悔しいって思えるぐらい頑張ってる事、俺は知ってるから」


 まさかそんな事を言われると思っていなかった私は、不覚にも嬉しくて泣いてしまった。


「なっ、なんでそんな急に……」

「あー……、逆効果? ほら笑って笑って」


 困ったような顔で笑って、と言われても私も急には笑えない。


「うぅっ……。ちょっと、待って」

「とりあえず歩くか。誰かに見られるの、嫌でしょ?」

「うっ、うん」


 急いで涙を拭って歩いてみたら、またふらっとした。


「おっと。こんな頑張り屋な一ノ瀬の行き先は1つだね」

「どこ?」


 そんなふらつく私を支えながら、小鳥遊は笑顔でこう言った。


「癒しの楽園にお連れしますよ」


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