第7話 鏡の場合
顔を洗って
キッチン達が作ってくれた朝食を食べて
歯を磨いて
いつも通りの朝の支度。
けれど…ここ数日、
特に今日は妙に視線を感じる。
誰かに、見られているような。
部屋の中の家具達が擬人化してから、
人が増えたから。誰かの視線なのかもしれないが、
けれどこの感覚はそのどれでもない、彼女達の視線とは少し違う気がする。
その妙な視線を感じるのは家の中だけで
1度外に出てしまうと大学ではまったく視線を感じない。
「…なんだか嫌な感じだな」
講義室の席に座って、ぼそっともれた一言。
そんな小さな声が聞こえたのかそうでないのかは分からないが、隣の席にいたヒロカズが、俺の顔を見て声をかけてきた。
「どうした、ユウト。
レポートも課題も終わったのになんか暗い顔してさ。腹の調子でも悪いのか?」
「いや、そうじゃないんだけど
…家の中でなんか視線を感じるんだ」
「なにっ!?泥棒か!?」
表情を変え、真剣な顔になるヒロカズ
けれど、その表情にもどこか抜けた空気が感じられるような。本人は至って真剣なはずなんだけど
「ユウトは一人暮らしだからな。今とか、部屋開けてるとき何あるか分かんないだろ」
いや、あの部屋が無人になることはここ最近ないんだけどな…とは口にせず。
「いや、それはないと思うな…」
と曖昧に答える。
「うーん、泥棒じゃないとすると…
精神的なものとかだったりしてな」
「精神的なもの…」
大学生活2年目。次は、3年生。単位のためのレポートも、他の課題も終わって一段落。
今は春休みに向けて残りコマ数少ない授業を受けている。
まぁ、おそらく今学期の単位は問題なくもらえるだろう。
そんな中でどうストレスを感じるっていうんだ?
「ストレスとかって気づかないうちに溜まってるっていうし、ユウト真面目だからさ。」
「…」
「まぁストレスとかでもないとするなら後は…幽霊とか!?」
すこさしおちゃらけた口調でヒロカズは答える。
「それは一番嫌かな…」
「お、なんでさ」
「幽霊はどうしようも出来ないからだよ。」
授業もそこそこに、いつものように帰路につくも、ここ数日部屋の中で感じられるあの視線。いつもとは違う理由でまた、家に帰るのがためらわれた。
けれど、他に寄れるような場所もなく。
アパートの一室、自分の部屋へと帰る。
玄関扉を開けると、擬人化した彼女達が明るく出迎えてくれた。
荷物を片付けて、夕食を済ませて。
入浴中
少しずつ温かくなってきた気候に汗ばむ身体を流しつつ、がしがしと無心に頭をこする。
けれどその間にもやっぱり何か視線を感じる。
擬人化した家具達は、風呂まで突撃してくることはない、なかった。
ざあっと頭を流して、後ろを振り向く。
もちろん、そこには誰も居ない。
しかし、無意識の内にこんな言葉がふっと思い出される。
『後ろにいるなと思ったときは、実は上にいるんだってさ。』
恐る恐る、上を向いた。
そこにあるのは、白い天井
いつかテレビで見たような、誰かが覗けるような隙間もない。
…やっぱり気のせいだったんだ。
誰かが見ているなんて、そんなことあるわけないよな。
少しドキドキしながら、正面を向きなおす。
目の前には1枚の鏡。
振り返り様の自分の顔が写るはずなのに
そこに、鏡に写る少女の姿があった。
驚き声をのむ。
身体が一気に強張って、叫び声すら出なかったものの、心臓は飛び出そうなほど鼓動している。
けれどその顔をよく見てみると。あ、可愛い。
白い肌に、長い黒髪。不気味に見えたその姿もよく見ると、長い前髪の奥にまっすぐこちらを見つめるぱっちりとした瞳があった。
あんまり、怖くないような。
もしかしてこれはまた…擬人化した家具、寝具やキッチンさんなど、彼女たちと似たような存在なのだろうか?
鏡に写る少女はその大きな瞳でこちらをじっと見つめてはいるものの、それ以上動こうとはしない。
おそるおそる、話しかけてみた
あ、一応冷えるといけないから
近くにあるタオルを足元にかけておいて。
「君も…鏡も擬人化したのか?」
鏡の中の少女はゆっくりと口を開いた。
「そう。私は、鏡。
他の家具達みたいに、人の形となるまでにはいかなかったけれど。」
「君は、いつからこんな風に?」
「…いつから、と言われると難しいかな。
よく、覚えていないんだ。」
ぼんやり湯煙でぼやける鏡の中に、
黒髪の少女の姿がゆっくりと動く。
「ここ数日俺のことを見ていたのは、君か?」
「そう。
鏡越しだから見える範囲は限られているけれど、あなたの、あなた達の姿はそれなりに見てきた。」
「そうなのか…」
「そうして鏡越しからあなたの様子を見ているうちに少しずつ分かったことがある。
あなたは変わった。
彼女たちと出会ってから。」
「変わった…俺がか?」
自分では全く気づかなかった。
なにも、レポートが書き終わって少し気が抜けた部分はあるかもしれないけれど。
「彼女のおかげ、と言うのはまた違うのかもしれないけれど。」
「おかげって…何か知っているのか?」
「鏡は、いつ何時も目の前の物事を
この出来事を引き起こしたのは、
ユウトさんの部屋の家具を、擬人化させたのは
あなたの望みを一番知っている人。
あなたが欲望を一番吐き出した人。
この物語の元凶は、彼女です。」
鏡の奥の少女が、ある家具の名前を口にする
それは、鏡である彼女だからこそ。俺が見ることの出来ない部分を見てきた彼女だからこそ告げられた真実だった。
「どういうことだ…
どうして、彼女が。」
「それは…」
鏡の顔が、だんだんひどくぼんやりしてくる。
鏡を手で擦っても、曇りを払っても、
その姿と声は消えそうになっていく。
「私の口からは言えません。
あなたが彼女と直接話して、決着をつけるべきだと、そう思います。」
そう言い残すと、彼女の姿は完全に鏡の向こうに消えてしまう。
鏡の前には、自分だけが写っている。
それは、焦りと困惑が入り交じった顔をしていた。
そして先ほど鏡の中の少女から告げられた名前を、同じように自分も口にする。
「パソコンが…この出来事の張本人……」
思えば、怪しい部分はいくつもあった。
初めて擬人化したあの日、パソコンは困惑する俺の前に、状況説明のために真っ先に出てきたこと。
1度元の姿に戻ったあの日から、再び元のパソコンの姿に戻ろうとしないこと。
先日元に戻りかけた机さんを改めてけしかけたこと。
パソコンを中心にこれまでの騒動が起こっているような、けれどそれ以上決め手になるものもこれまではなかった。
しかし、自分ではない第三者からその答えを言われるとこれまでの出来事が少しずつパソコンに向かって繋がっていった。
どうして、こんなことを
パソコンは、いったい何を望んでいるんだ。
…とにかく、話してみるしかない。
パソコンとは、これからも長いこと付き合っていかなければいけないのだから。
例え、人の姿であれ、元のパソコンの姿であれ。
そう決心して、
風呂椅子から立ち上がり
浴室のドアを開けた。
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