第4話 本棚の場合

 星々が遠くの夜空に瞬き始め、街灯の明かりの下、地面に出来た影を追い抜いて。寒空の中、冷えた空気にコンクリートの足音がよく通る。

本選びが終わり、課題と空腹具合がほどよく進んだ後、俺は図書館でヒロカズと別れ、大学から帰宅する道中にあった。寒さに首を縮めて下を向きながら歩いていると、頭の中で考えがぽくぽくと巡る。


 何で普通にベッドで寝るだけで、また2日も浪費してるのかな俺は…。

今のところ人の姿をとる彼女たちも、夜だけは元の姿に戻るのではないか、とこれまでの状況からこの結論を考えるに至った。

朝や夕方は何かと密着したり騒がしい彼女たちだが、本来の目的であるレポートを書きながら夜の良質な睡眠をとることが出来れば、とりあえずこれ以上の問題はない…はずだ。

擬人化の謎が解けていない以上、なんだか問題を先送りにしているだけな気もするが。

とにかく、目下の課題は単位取得のためのレポートだ。


その課題締め切りまで残り3日。そして、明日はレポート締め切りまでの最後の休日。


計画としては、この日を利用して文献を調べて、レポートを書ききる。そして残りの日数で内容の推敲と修正。最後に教授の部屋に提出して完了!


数日前はどうなることかと思ったが、これなら余裕のスケジュールだ。

いけるはず。…いけるよな?

未だ数々の不安要素を抱えた我が家への道を辿りつつ、そんなことを考えていた。




 というわけで、その翌日。レポートを仕上げるために図書館から借りてきた文献を読みつつ、家にある教科書や参考書を開こうとしたわけだが…


「君まで擬人化したのか…」

ベッドの横、窓の下の壁際に置いてあった本棚は人の姿となり、今まさに俺が手に取ろうとしていた本を、大事そうに胸に抱えていた。

癖のない黒髪を三つ編みにして、下で2つにまとめている。短めのお下げ髪と言った所か。

前髪は綺麗に切り揃えて、その瞳は髪色と同じく、黒縁の眼鏡に覆われていた。

窓から差し込む光に照らされて、髪の毛にハイライトがかかる。

いかにも、文学少女というようなビジュアルだった。…元々はただの黒いカラーボックスなんだけどな。


本棚が擬人化した所でパソコンや寝具たちのように困るわけじゃないだろうと思っていたのだが、その期待は大きく外れることになった。


「その本を貸してくれないか…?今から課題をするのに必要なんだ。」

「だ、駄目…だよ。」

「どうして!?」

「ぼ、僕は本を持つことしか能がないんだ!これが無くなったら、僕に出来ることは何もないんだ!!!」

「そんなことないから!君はそのまま居てくれるだけで十分素敵だから!!!役に立ってるよ!」

ただ本棚から本を取り出したいだけなのに、なんだこの会話は…。

いつもは物静かな本棚が人の姿になっただけで、こうも一悶着あるとは…



 いくらか説得を試みても、本棚はその腕に抱えた本を離してくれそうにない。

「仕方ないな…」

今日は彼女たちとの言い合い掛け合いで時間を潰すわけにはいかないんだ。


とりあえず本棚が抱えている本は置いておいて、図書館で借りた文献から先に読み込むことにするか。

「よいしょ、っと…。とりあえずこれから読むとするか。」

袋から何冊か取りだし、自分の横に積み上げる。

そこから1冊ずつ、ざっと広げて必要そうな箇所を見つけると、その内容についてメモを取りつつ、スマホに移した書きかけのデータにポチポチと文字を打ち込んでいく。最後に参考文献を書くためにページ数と書籍名のメモも忘れずに。



 そうしてこの作業に集中することしばらく、ふと目の前の本から意識を離すと、背後からの視線に気づく。

そっと視線を移すと、肩の上に小さな顔が1つ。

本棚が、肩越しに俺が今読んでいる、図書館から借りてきた本をじっと見つめていた。

黒縁眼鏡にかかる厚いレンズの奥に、まっすぐな瞳がきらきらと輝いている。というかこれは…

「何読んでるか、気になるの?」


そう聞くと本棚は一時いっとき間を置いて、こちらを向き、次第にその目を大きく見開いて、

「うわぁ!!」

と叫んで、勢いよく後ずさりした。

そのままちょうど真後ろにいた掛け布団さんの胸元に頭をぶつけて、ぐえっと声をあげた後、赤い顔をしてまた元の場所に戻る。


 どうやら本棚は俺にちょっかいをかけようとしていたというより、俺が読んでいた本に興味を持って、邪魔しないようにと後ろからこっそり覗きこんでいたらしい。

で、静かに読んでいたは良いものの、集中しすぎて俺が動いて話しかけるまで気づかず、驚いたと…。


そんな本棚の奇妙な反応を眺めた後、視線を下に向けると、図書館から借りて読み終わった教科書が、床に綺麗に積み上がっていた。

「本棚…君が整頓してくれたのか?」

本を納めるための本棚だ。書籍に対する感情としてそんな本能があってもおかしくはないか、と思ったのだが。


「…よ、読んだの。そのついでに、片付けた。」

驚きの答えが出た。


「読んだって…これ、全部!?」

昨日大学の図書館から借りてきた参考書の数は薄めの本から単語集くらい小さくてもそれなりに分厚い本など、あわせて6冊。

俺でも全ページ読んだ訳じゃない。レポートを書くためにざっと目を通して、そこから必要な部分だけをピックアップして読んである。

それをこんな短時間で読むなんて…

流石本棚、本に関する能力は長けているって所だろうか。


すると、おもむろに本棚が本を差し出した。それは、この本棚に仕舞ってあった教科書や参考書たちだった。

「…さっきまで、あんな頑なに離さなかったのに」


「そう。ぼ、僕には本を持つことしかできない。それか、何か荷物を持つことしか。それは僕じゃなくても出来ることだけど、僕はこれしか出来ない。だから、この本を君に渡してしまうことが最初は怖かった。…もう、使ってもらえなくなるんじゃないかって。


でも、…や、やっぱり僕は。その僕が大事に抱えてた物が君たちの手に渡って、その嬉しそうな、変わらないものを見たときの顔が、物が必要にされるときの顔が見れるから、嬉しいんだと、思うから。」

そう言って、本棚は教科書を俺の手に渡す。


「ゆ、ゆ、ユウトさんは、あの借りてきた本たちをとても、一生懸命読んでた。内容を見て、この本たちもやっぱり、君に読まれるためにここにあるから、と思って。」


本棚が途中たどたどしくも雄弁に語る様子を見て、初めて彼女たち『もの』の持つ感情が少し、見えたような気がした。


「ありがとう、本棚。」

今の俺には彼女に対して、こんなありふれた返事しかできなかったけれど。




 チクチクと時計の針が進む音、時折外を通る車の音、パソコンや寝具、キッチンたちが家事をこなしながら、たてられる物音や足音。


それらの音は今遠く離れた所にあるように、俺の耳には、本のページをめくる音だけが流れていた。

参考書のページをめくりながら、必要な箇所には付箋を貼って、ルーズリーフにメモを取る。読み終わると自分の横に置いて、次の本を手にまた作業を始める。

後ろの方では、本棚が俺が読み終えた本を手に取って、すべてのページに目を通していく。そして読み終わると綺麗にそれらを整えている。


 昨日までのパソコンや寝具たち、擬人化した彼女たちとの騒動が嘘のように、俺の部屋には穏やかな時間が流れていた。



 スマホのキーパッドにあるエンターキーをタッチして、データを保存する確認項目に『yes』と答える。日が傾き始める頃、なんとか課題レポートが書き上がった。データを忘れず保存して、バックアップをとる。

これなら、明日には内容の細かいチェックと印刷をして、期限までに提出出来そうだ。

「なんとか、終わったか…。」

長時間の座り作業ですっかり固くなった身体をのばし、ふうっと一息。

後ろを振り返ると、律儀に図書館で借りてきた文献を元の袋に入れる本棚の姿があった。そして、傍らに積んだ教科書と参考書を手で撫でながら

「き、今日は、あなたと本が読めて、一緒な時間を過ごすことが出来て、楽しかった。」


夕焼けに照らされて、黒髪の縁が橙色に色付けられる。

その目元はよく見えなかったが、その不器用にけれど愛らしく微笑んだ口元に、彼女の感情を読み取ることが出来た。

俺も自然と笑顔を返す。


彼女の口元が少し動くと、オレンジ色の光が窓から強く入り、とっさに目を細める。


そして、本棚は元の姿に戻った。




それからも、不思議なことに本棚が人の姿をとることはなかった。

俺が、そして彼女自身が満足したからだろうか。



 時計は夕刻を指し、次第に賑やかさを取り戻しつつある自室を眺めて思う。

「彼女たちを戻すには、まだまだ時間がかかりそうだな…。」









 暗闇の中、液晶のブルーライトが部屋の中をぼんやりと照らす。時折布団がもぞっと動き、照らされる箇所が反転する。



どうにかレポートが書き上がって、俺はこれを明日以降提出する。そうすれば、とりあえず単位はもらえて、問題なく進級できるんだろう。


そして、大学を卒業して、

…それから



それから、どうするんだろう。


授業風景を思い出して、自分の感情を照らし合わせて。

誰かの結果を見て、自分のこれまでの日常を振り返って。

そこまでして、どうしてだろうかと自己問答をして、息が詰まる。



はぁっと息を吐いて、眠くない瞳を閉じ、睡眠を始める。それが、もっとも最適解だと、教えられてきたから。



スマホの画面を消し、部屋の中か再び暗闇に包まれる。




数秒後、ノートパソコンの電源ライトが1度だけ、光った気がした。



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