第5話 キッチンの場合


 寒々しい空気を布団の外に感じながら、スマホのバイブレーションを早めに切る。

人の姿に戻る掛け毛布さんたちを起こさないようにそうっとベッドから抜け出し、朝の身支度を始めた。


寝ぼけ眼には眩しい朝日が窓から注がれる。

一仕事した翌日とあって、朝の空気はより爽やかに感じられる。

レポートが昨日無事に書き上がった。大学に行ってから内容の確認・修正をして、大きなミスがなければ今日中にも提出できるかな。

胸中に広がる安心感と共に、心臓の鼓動と重苦しい荷重が嘘のように消えていた。


いつもより、少しだけ重いまぶたを冷水で洗うと赤みを増した手をさすり、キッチンが朝食を用意しているであろう部屋へ戻ろうと、洗面所の扉に手を掛ける。


いつもなら決まって、オーブンで焼いたバターがのったトーストとサラダ、珈琲がプレートに乗って出てくる。騒がしい毎日を彩る、ささやかな楽しみだ。

しかし、本日のメニューは違った。

どおりで今日はなんだか目覚めが少し悪いと思った。


珈琲の匂いがしないからだ。




洗面所の扉を開けると、目の前には台所がある。

すると、そこから申し訳なさそうにキッチンが出迎えてくれた。


「ご、ごめんなさい。

今日はまだ、支度出来てなくって。」

「それは良いんだけど…何かあったんですか?」

キッチンの姿はいつもと変わらない、高めに結んだポニーテールとエプロン姿。その体調もパッと見は悪くなさそうだ。


しかし、台所がいつもより騒がしい。

掛け布団さんや枕たちもその音に気づいたのか続々と起きだしてくる。

「なにごとですかー?」

その前に、前だけ妙にはだけたその格好をどうにかしてくれないかな…



 台所を覗いてみると、そこには穏やかな朝を遮るように、甲高い声で言い合いをする少女が二人居た。

そこは、2つの家電を一緒に置いておいた場所だった。


「なっ…

電子レンジやポットまで擬人化したのか!?」



2人ともまた妙な格好をしていた。

1人は青のジャージ姿。加えてその袖はやけに長い、キョンシー?みたいな感じだ。

もう1人は長い髪を後ろでひとつにまとめて、きっちりとしたスーツに身を包んでいる。

…おそらくジャージ姿がポットで、真面目で万能そうなのがオーブン機能付き電子レンジかな。


2人とも言い合いをしているとはいえ、声がずいぶんと大きい。良く言えばよく通る声といったところか。流石電子レンジとポット。


というか、昨日までは普通に家電の姿だったのに、どうして今頃擬人化したんだ!?

しかもなんだか喧嘩みたいになってるし!

最初は言い合いだけのように見えたが、放っておくと手や足まで出しそうな雰囲気だ。


なんかどんどん悪化してないか、これ…

朝からまた騒がしい様子を見て、頭を抱えた。加えて彼女たちの声は狭いこの家の中でよく響いた。



しかしこの騒動、放っておくわけにもいかない。

1人暮らしのこの部屋、急にこんなに騒がしくなったとなれば周りの住人に迷惑がかかるだろうし、しかも男の部屋から女の人の声が複数となると…それこそあらぬ噂をたてられそうだ。


彼女たちを早く元の姿に戻さないと…



「戻さなくてもいいんじゃないですか?」

パソコンが背後から突然声を掛けてきた。

「うわっ!

パソコン…いつの間に。」

「私はいつでも、ユウトさんのそばにいますから。


…ところで、彼女たちを元に戻す件についてですが。キッチンさんが擬人化してからユウトさんの健康状態は、食事の面で言えば改善されてるかと思います。

私たちが擬人化する前のユウトさんの食事は、あまり良いものとは言えませんでしたから。」


だから、戻さなくても良いんじゃないか。パソコンはそう言った。特に君は元に戻る気無さそうだもんな…

「それに、人の身体の方がなにかとユウトさんのことをお手伝い出来ることがありますから。」


とはいえ、厄介ごともそれなりにあるんだけどな…現に今も。

などと考えていると、美味しそうな匂いが鼻を、腹の音をくすぐった。

まだ朝食を食べていないから、余計にそう感じられる。


 目の前には、美味しそうな料理が何品も並んでいた。どうやら電子レンジとポットの2人がそれぞれ作ったものみたいだ。


「私が作った方が美味しいんです!」

「なんの!私のだって、負けていませんよ!」


しかし、当の2人はなんだか険悪な雰囲気だ。

「ぐぬぬ…どうやら私たちだけでは決めかねるようですね。」

「やはりここは、公正な判断をしてもらいましょう。」

なんだか嫌な予感がする。


「「ユウトさん、私の料理

どうぞお召し上がりください!」」



「とりあえず、…いただきます?」

料理を一口。

どちらの料理もとても美味しい。

そのまま二人の食事を綺麗に平らげた。

「けふっ…ごちそうさま、美味しかったよ。」


そう告げると、2人とも満足そうに笑顔を浮かべる。だが、まだ元の姿には戻らない。

「だが、まだ決着はついていません。」

「その通り。私たちのどちらが優れているか、決めていただかなくては。」


「うん?」



「「今度は夜ご飯で勝負です!!!」」



…どうやら、俺が使っていたこの2人は電子レンジとポット、どちらがより優れているか、決着をつけようとかねがね思っていたようで。

今回誰が願ったか人の形をとった所、いざ勝負。その種目は何故か料理対決になったわけ。

俺がどちらかに勝敗をあげるまで終わらないのか、これ?


そんな2人の様子に、キッチンさんは俺の横で苦笑いを浮かべていた。



しかし料理を作り、それを俺に食べてもらったことで2人の次の意識は夜ご飯のメニューへと移る。どうやらこの騒動はひとまず終わったようだ。

料理勝負をするのは良いが、あまり声を立てて騒がないようにと2人に釘を刺し、急いで支度を済ませて、俺は大学へと向かった。






 紙の送られる機械音が部屋に響く。

規則的な動きに満腹度も相まって、あくびをしながらレポートを印刷する。

ここから内容を確認して、修正した後再度印刷して提出する。1度印刷してからの方が気づかなかったミスや誤字に気づきやすいし、修正点をボールペン等で記入しやすいから、俺はこの方法をとっている。


レポートのコピーが無事に終わると、印刷室を出た。講義室に向かう廊下で、ヒロカズが後ろから挨拶をしてくる。

「おっはよう!

ユウト、なんか今日眠そうだな~。」

「…おはよう。昨日レポート仕上げてたから、疲れてるんだよ」

そう言い、先程印刷したレポートを2度、ヒロカズに見せるように振る。


「レポート終わったのか!すげぇな!!

オレはなんとか書いてはみたんだけど、文字数足りなくってさ。今日は徹夜かな~。」

「お前、大丈夫かよ…これで単位ほとんど決まるんだぞ。」

自分はほとんど完成している余裕からか、ヒロカズを脅すような一言が出る。自分も数日前は同じ状況だったのにな。


「わ、分かってるよ!

見てな!オレのタイピングが火を吹くぜ!」

「重要なのは打ち込む速度より内容だと思うけどな…。」



 講義の合間の休み時間に、レポート課題の修正をする。誤字脱字がいくつか見つかるが、内容はほとんど問題無さそうだ。

ちなみに、横の席のヒロカズは教科書を広げチラチラとこちらの様子も気にしながら、自前のノートパソコンと必死ににらめっこしている。

よし。教授から指定された体裁と枚数もクリアしているし、修正したら後で提出するか。


 昼食をそれなりに済ませた後、その後も眠気マックスの講義が終わり、修正したレポートを再度印刷する。


印刷の状態とページ数を確認し、ホッチキスで用紙を留める。

そして、課題提出が完了した。


その瞬間、どっと肩の荷が下りたように楽になる。これまでの苦労が嘘のように、頭の中がスッキリする。同時に、背中に羽が生えたように足取りも軽くなった。

そのまま足早に家に帰ろうとするが、戻った後の一騒動を想像し、昼食を少なめにとっておいて良かった、と思った。



 寒さも夜になると、グッと厳しくなる。特に暖房の効いた講義室から家に戻るまでの間は無心で帰らなければ、意識を向ければそこでは『寒い!!』しか考えられない。

そんなわけで、あっという間に家に到着していた。



そして、再び対決の時間が始まった。

彼女たちの声の大きさは、やっぱり元々の家電譲りのようで、今朝よりは押さえぎみだが、やはりよく通る高い声だと思う。


「「それではユウトさん、

これから私たちの料理対決を始めます!」」


「不正の無いよう、監督はキッチンさんにお願いしました。」

「ユウトさんには、公正な判断をお願いしますね。」

そういうと、すでに仕込みは昼の間にしてあったようで、次々に料理が完成する。

夜ということもあってか、たくさんの料理が食卓…は今無いから、床になるわけだけども。そこにいくつも並んだ。


「いろんな品目を作って、総合的に評価してもらいましょう!」

「負けませんからね!」

けれど2人とも競いあっているとはいえ、とても良い表情をしていた。

誰かのために作る料理っていうのは、俺は今までしたことなかったもんな。


そして、2人の作った数々の料理を眺めて、今朝の2人の様子と料理も思い出して。

うん、決めた。


「電子レンジ、ポット。」

「「はい!!!」」

「2人とも、1位だよ。」

「えっ」

「ど、どうしてですか!?」


「2人とも、凄いから。」

「えぇ…。」

「そ、それだけじゃ納得いきません!」


「2人とも、電子レンジとポットとして役に立つのはもちろんだけど、そこに優劣を考えたことを俺は1度もないよ。

人の姿になった2人の料理も凄く美味しいし。

料理をしている2人の姿も何だか、とても楽しそうだった。

だから…2人のどちらかが1番ってのは決められない。だから、2人とも1位だよ。」


2人は顔を見合わせて、互いの驚いた顔をごまかすようにこちらを向く。

「ユウトさんに…1番と言ってもらえた。」

「決着はつかなかったけれど…その言葉が一番嬉しいかも。」


2人はそれぞれ、悔しそうにけれど嬉しそうに頬を緩ませる。そして、また向かい合い

「「だけど、今度は私が勝つからね!!!」」


そう言い残すと、2人は元の家電の姿に戻った。


なんだか所々息があってたみたいだし、もしかしてあの2人実は仲が良いのかな。

まぁ翌朝にはまたどうなってるか分からないけどな…


「っていうか、また勝負する気か!?お前ら!!!」







 対決が終わった後。電子レンジとポットが作ってくれた夜ご飯を食べながら、俺はキッチンと会話をすることにした。


昨日の本棚との会話から、『もの』の気持ちを知ることもこの擬人化の謎を解く鍵になるかもしれない。そう思った。


それに、彼女たちのドタバタは今はなんとか対処できているが、このまま続けば学業にも支障が出てくるかもしれない。

というかレポートの面で言えばそれが出そうになったことが何度あったことか。


本棚のように会話をすることで、彼女たちの心を知ることが出来れば、もう彼女たちが擬人化することもないかもしれない。

そうすれば、また以前のような平穏な日常が戻ってくるはず。



彼女たちを元に戻す…

しかしいつもの生活も恋しいが、今の状況も一概に悪いとも言えないんだよな。

キッチンは料理関係の家事全般をしてくれているし、今食べている電子レンジやポットの作る料理もこれまたすごく美味しい。


料理をしなくていいのは凄く楽だ。

いつもそんなにやるわけじゃないけれど。


…いつの間にか女の子達に囲まれるこの生活に、慣れてきてしまっているのかもしれない。



けれど、俺が本当に1人の生活に戻ったら、自分1人で全部出来ないといけないんだよな。

いつも騒がしいこの部屋も、元々は俺1人だった訳だから。


「…キッチン、君が料理を作ってくれるのは凄く嬉しい。けれど、俺も出来るようにならないといけないと思う。

だから、だから…

まずは家事を、料理を手伝わせてくれないか。」


キッチンは少し意外そうな顔をして

「はい、勿論です。ユウトさん!」

そう答えてくれた。


「頼ってもらえて、とても嬉しい。」

「いや…。いつもお世話になってるから、頼りっぱなしなんだけどね」

「普段のことは私たちがユウトさんのことを思ってしていたことだから。助けになっていたのなら何よりです。


ですが、ユウトさんから私を頼ってくれたのは、初めてだから。」



 量の多い食事をなんとか終えると、食器を台所へとキッチンと一緒に運ぶ。

2人ならんで、食器や調理器具を洗い、片付ける。

キッチンは元に戻すことは出来なかったけれど、今はこれで。いつか擬人化した彼女たちが満足した時、話を聞くことが出来たら、彼女たちは完全に元の姿に戻るだろう。


それにこれなら前よりずっと、楽しいような気がする。



そんな雰囲気に甲高い声が2つ、再び割って入った。

「私たちも手伝う!」

「キッチンに負けてはいられません!」


「おわっ!?電子レンジにポット!

もう人の姿に戻ったのか!?

って、勝ち負けとか関係ないって言っただろ!」


失敗もありつつ、皆で家事をこなす。

落ちた箸を拾おうとして、キッチンと手が触れる。

「出来ないことは、苦手なことは、助けを借りても良いんですよ。

私たちは、ユウトさんのために居ますから。」


変にドキドキする鼓動を抑えつつ、立ち上がる。片付けを続けながら、改めて彼女たちが擬人化した理由について考え、思考が回らないことに気づいた。


思考を変えよう。明日の講義は午前2コマと午後2コマだから…また忙しくなりそうだな。


そうだ。

明日、ヒロカズのレポートの様子少し見てやろうかな。

眠気覚ましの珈琲…は苦手って言ってたから。

あいつが好きなコンポタでも買って持っていくかな。








 家の中での穏やかな時間。彼女たちと紡ぐ時間が増えていく。




しかしそれは、つかの間の心の余裕が見せた、泡沫うたかたのような時間だった。それが、いつか覚めてしまうとも知らずに。

いつか迫る、向き合うべき現実を知る由もなく。


今のユウトにはただ、この穏やかな時間を過ごすことしか出来なかった。

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