第2話 パソコンの場合

 朝、スマホのアラーム音と液晶の光で目を覚ます。

結局俺はあの後、クローゼットの中で擬人化を免れた服たちを床に敷いて眠りについた。


彼女たちと一緒の空間で寝るなんて絶対無理!いろいろな意味で耐えられない!

たとえ俺が童貞であったとしても!それは関係ない!

 なんてことを思い出しながら。あー、今日は1限から授業だったな。


…とにかく、このままじゃ駄目だ。女の子が沢山居たとしても、ここは俺の家だということに、変わりないじゃないか。賃貸だけど。


それに、もしかしたら疲れて変な夢を見ていたのかもしれない。そう思いながら、確認するようにクローゼットのドアを、そーっと開ける。



 カーテンから注がれる朝日、さわやかな鳥のさえずる声。

そして、珈琲とトーストのいい香り。


「「「おはよう!ユウト!!!」」」

可憐さとはつらつな声で、見目麗しい方々が迎えてくれる。


「夢じゃなかったか…。」





 クローゼットから出ると、ポニーテールに桃色のエプロン姿の女の子が朝食を持ってくる。


「…昨日は食べてもらえなかったから、お腹すいてるでしょ。良かったら。」

 あぁ、そういえば。昨日はゴタゴタしていて結局夜ご飯を食べないままだったけれど。

彼女の姿と台詞から、きっと昨夜もこうして食事準備していたことが予想できた。


「…ごめん。」

ありがとう

「いただきます。」

そう言い、食卓に向かう。

と言っても机も擬人化しているから、お盆にトーストが乗った皿と珈琲の入ったマグカップが置かれているだけなんだけど…。まぁいいか。

元机だというロングヘアの彼女に、机 わりになってもらうわけにもいかないしな…

少しその姿は想像したけれど。


 いやしかし、こうして簡単ながら朝食ができるってことは、トースターやポットも擬人化ラインはセーフってわけか…

トーストにかじりつき、バターの味を舌に感じながら、甲斐甲斐しくいろんな女の子たちが家事をこなす様子を眺める。


 パッと見、誰がどの家具・家電の擬人化なのかはよく分からないけれど、元々の役割に近い行動を今のところはしているようだ。

 例えば、さっき朝食を持ってきてくれた彼女はシンク・IHコンロなどを合わせた、いわゆるカウンターキッチンの擬人化だそうで。料理全般を担当しているそうだ。

…ずいぶんざっくりしてるな。


台所を覗くと、他にクールな顔つきをした少女が、数少ない食材を囲んでいる。

もしかして、冷蔵庫まで擬人化してるのか…

そんな感じだ。



 まぁ、数多い彼女たちをどうするかはひとまず置いといて、とりあえず大学に行かないと。

珈琲を飲み干し、キッチン?の彼女に再度お礼を言う。


昨日廊下に放りっぱなしだった鞄の中身を確認して、玄関へと向かう。


「「「いってらっしゃい!」」」

…玄関扉をまだ開けなくてよかった。

何人もの女性が玄関先で俺を見送る様子を近隣の人なんかに見られたら何て言われるか。


あ、いや待て。俺が出掛けたらこの後彼女たちはこの部屋に残るわけだろ、


戸締まりはちゃんとしてるんだろうか。

彼女らの声は近隣の方に聞こえてないだろうか…

色んな想像が頭を駆け巡り、そのほとんどが心配事へと繋がった。


そこで、彼女らの先頭に立つパソコンに声をかける。

「…まさかと思うが、外にまで俺についてくるとかないよな?」


「いいえ。そのような行動は今の所考えていません。昨日のあなたの行動から、とりあえずあなたが私たちの身体では満足していただけないことが分かりましたから。」

「当たり前だ!俺はただ、いつもの生活に戻りたいだけなんだから!な!


ったく…何でこんなことに。」


 そうこぼすと、パソコンの顔がさっと曇った。そんな顔もどこかはかなげで、素敵だ。

彼女の表情の1つ1つは本当に、俺の心に何故か刺さってくる。


けれど、そんな彼女の口から放たれたのは信じ難い、辛辣な言葉だった。


「あなたのせいですから。」




扉が勢いよく、バタンっと閉じる。

「俺何かしたか…パソコンに…」

しかし、その場で答えが見つかるわけもなく。


「朝からなんだか疲れたな…」

そのまま大学に向かうルートを、俺は選択した。



 いつもと同じ道を歩いているだけなのに、なんだかほっとする。いくらかの憂鬱をはらんだ空気も、いつもと変わらないというだけで何故か落ち着いた。

それほど、昨晩から起こった俺の家での出来事は、現実離れしていた。


 大学に到着すると、購買に寄って昼ご飯を買い、講義室へと向かう。これもいつもの習慣だ。廊下を歩くと、後ろから近づく駆け足と共に、どんっと強めの挨拶を受ける。


「おはよう、ユウト!」

友人のヒロカズだ。

実家生で大学からの友達。同じ学部ということもあって、講義をよく一緒に受ける仲だ。

しかしよく授業に遅刻したり、忘れ物を借りに来ることもある。

まぁ、よく言えばマイペースでおおらかなのかもしれない。それに、明るいその性格と快活な空気は一緒にいてとても心地いい。


「そういえばレポート終わった?オレまだ手ぇつけてないの!ヤバくね?」

しかしその勢い余って、直球を投げてくることもしばしばだ。


また人が気にしてることを…俺の方がヤバい位だっての。

「…それが、レポート書いてた俺のパソコン、今使えなくなったんだよな。」

「えぇ!?壊れたのか、あのノートパソコン?お前気に入ってたやつだったじゃん。」

「壊れたわけじゃないけど、どうも調子がいつも通りじゃないというか、バグってるというか…。」


書く内容は半分以上終わっていた。しかし、そのデータが入った愛用のパソコンは何故か昨日突然超美少女になってしまい、レポートが出来なくなってしまったんだ!!!


…と、言い出せるわけもなく。

そんな俺の気も知らずに、淡々と死刑執行の日を友人は口にする。

「確か締め切り1週間後だろ?あー、俺もそろそろ取りかからないとなぁ。」

こんな、たかが数千字で単位が決まるなんて。不思議な話だと思う、本当に。



 講義中。昨夜あまり眠れてないこともあって、退屈な内容を朗読する教授の声にあわせて睡魔が襲ってくる。

レポートの提出が絶望的に思えると、かえって清々しくさえなってきた。

けれど、今後のことをまた想像して、書かざるを得ないことを悟った。


 どうにかしてパソコンに元の姿に戻ってもらわないと…

やっぱり、パソコンの言うように俺の望みを彼女たちが叶えられれば、元の姿に戻ってもらえるんじゃないだろうか。

いや、パソコンに何かしてもらうってどういうことだ?

そもそも、俺の望みって何なんだ?

つまり俺が満足すればいいんじゃないのか…?


そこまで考えて、講義にふっと意識が戻る。

内容に全然集中できない…

とりあえず教授の言葉や板書をノートに書き留めていく。

と、1つの案が浮かんだ。

それを慌ててノートの端に殴り書きする。

隣のヒロカズが不思議そうな視線をこちらに向けるのも今日は気にならないほどだ。


授業中の方が妙に絵やネタがいい感じに書けたり思い付くってのは、あながち間違いではないのかもしれない。




家に帰ると、昨日と同じような挨拶と歓迎を受ける。

相変わらず人が多いな…


「…ちょっといいかな。」

講義中咄嗟に思い付いた計画を頭の中でシミュレートしながら、パソコンを呼ぶ。

とにかく、やってみるしかない。

俺の声に振り向くパソコンは、やわらかな笑みを浮かべる。朝の表情もあってか、少しぎこちなく見えた。

先ほど固めた決意も、彼女の前ではもろく砕けそうだった。が、必死にとどめて話を続けた。


「君を使わせてくれ。」


「お任せください、ユウトさん。」

そういうと彼女はおもむろに服を脱ごうとする。

「そういう意味じゃなくて!!!」

やわらかな曲線を描く肩を片目に、彼女を制止した後目をそらしつつ言葉を続ける。


俺が彼女、パソコンにしてほしいことはー




 休みの日、といっても講義がないだけで平日なのだけれど。

この方が人も少なくてちょうど良いだろう。

パソコンと外に出掛けるには。


…文字にするとなんとも不思議な感じだ。


 今日、パソコンにしてもらうことは外出先、それもあまり来たことがない場所で俺が疑問に思ったことを調べてもらったり道を案内してもらうことだ。

彼女は元ある能力を人の姿になってもある程度持っているようで、人の姿を持つからこそ、道案内や情報の伝え方がある種分かりやすい。

…まぁこれくらいならスマホでも事足りることだけれど。

パソコンを元の姿に戻すために、俺の役に立ってもらうために、今の俺にはこの方法しか思い付かなかった。



 慣れない道をパソコンと一緒に歩きながら、

その話し方や雰囲気で、他の人に怪しまれるんじゃないかと、ドキドキしながら行動した。


知り合いとかに見られてないといいな…

ちなみに友人ヒロカズは1日店でバイト中なので会う可能性はゼロ!のはず!


 パソコンの案内で、前から気になっていた喫茶店に入り、珈琲を頼む。ここの珈琲がいかに他店と違うのか、パソコンはその産地から店長のこだわりまで事細かに語ってくれる。

…この時間を楽しむっていうのもアリかもしれないな。


 そんないろんな意味でドキドキする1日は、あっという間に過ぎ、夕焼けを眺めながら2つの長い影は帰路につく。


「ありがとう。今日は1日すごく助かったよ。いろんな所に行けて、楽しかった。」

「私も、あなたに満足してもらえて、とても嬉しいです。」

そういうと、パソコンはこれまでで1番まぶしい笑顔を向ける。

橙色の光が彼女の白い肌に色をのせて、赤く色づいたその頬は、きっと暖かな熱を持っているんだろう。




 夜ご飯を済ませて、今はクローゼットの中。

俺は、パソコンと2人で向かい合っていた。

彼女の顔は帰り道と同じで、おそらく俺も。


どうやら、他の女の子達には戻る姿を見られたくないとかで、このような状況になった。


淡い光を上げて、パソコンが目を閉じたかと思うと、パソコンは、元の姿に戻っていた。


 白のノートパソコンを1日振りに見て、なんだか懐かしくさえ思った。

これが、彼女の美しい姿だったなんて、なんだか嘘みたいだ。

そして、電源を入れ、いつものように起動してデスクトップのデータを確認したところで大きく息を吐いた。


「やれやれ…」

俺の望みを叶えてもらう。考えてみれば簡単なことだったんだ。

この調子で、他の家具たちにも元の姿に戻ってもらおう。

そうすれば、すぐに元の日常に戻れるさ。



「とりあえず、バックアップ取っとくかな…」

手持ちのUSBに、レポートと他に必要なデータをいくつか移行した。


そしてレポートの続きを書き進めること数時間。風呂に入り、眠りにつく。

俺の望みが叶ったのかどうかは分からないけれど、パソコンは元の姿に戻った。

…これで、よかったのかな。


そういえば夜はずいぶん静かだよな、彼女たちは。




 朝。珈琲の香りで目が覚めた。スマホの画面を確認すると、アラームの鳴る数分前だった。

そして、なんだか変な姿勢で寝たせいか身体が若干痛い。そういえばパソコンを横に起きっぱで寝たんだっけか…


ふわっとした感触が、手のひらに伝わる。

寝起きの視線を動かすと、そこには見覚えのあるマークが、白い双丘の間に見えた。

「なんで?」



 熱めの珈琲を口にいれ、パソコンが人の姿に戻ったことが夢でないことを確認する。


「昨日のあれで満足しなかったのか!?」

「昨日のデートで、一時的に満足しました。

ですが、まだまだユウトさんのお役にたちたい。その心が私を再び人の姿へと変えたようです。」


元の姿で十分なんだけれど…

どうしてそこまで人になりたいんだ彼女たちは…?



人間なんて、めんどくさいだけなのに。



どうやったら、彼女たちを元の姿に戻せるのか…

とりあえず、トーストの1口めをかじり、

退屈な授業に向かう目的がもうひとつ増えたことに、なぜか可笑しささえ感じ始めていた。











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