家庭的ハーレム

藤井杠

第1話 始まりの夜

 夜、道路沿いの歩道に設置された街灯の下をゆっくりとした歩みでひとつ、またひとつとくぐり抜けていく青年の姿が。角を曲がると夜の闇にポツンと建った、白い外壁のアパートに到着する。

取り付けの古びた赤茶色の階段を、カンカンと音をたてて登る。ポケットを探り、紛失防止用のキーホルダーがついた小さな鍵を取り出す。

1人帰路についた、黒のジャケットに身を包んだ青年の頭の中は、至って普通の平凡の思考で、ふうっと息を吐く。


この後はとりあえずご飯と風呂と、あぁそういえば課題も出てたんだっけ。

…今日も疲れたなぁ。

いつも通りの日常を過ごす予定を考えていた。


勉強はしんどいし、人間関係もしんどい。

けれど、生きていくためには仕方のないこと。そう考えないと、見えない何かに押し潰されそうだったから。そう思うと、生きるってなんだろうなぁ。

そこまで考え付いて、思考は自動的にストップする。これ以上のことを考えさせないように。冷えたドアノブに鍵を通し、いつものようにハンドルを右に回す。


「お帰りなさい!ユウト!」

夜特有の鬱々とした気分をぬぐい去るような、快活な声が出迎えた。

そのまま視線を上げると、そこには桃色のエプロン姿で長めの髪をポニーテールで纏めた、同い年くらいの女の子の姿があった。


可愛い。第一印象はそれで決まりだった。



 …ちょっと待て。

一旦ドアを閉める。

俺はユウト。大学2年生。ここは大学に入学した時から借りているアパートだ。時折、合鍵を唯一ゆいいつ持つ県外に住む両親が突然部屋を訪ねてくることはあれど、基本は1人暮らしだ。


そんなところに、こんな可愛い女の子が俺の帰りを出迎えてくれるはずがない。

閉めたドアをもう一度、確かめるようにそろそろと開ける。


「お帰り!」

「お帰りなさい!」

「おかえり。」

しかも、こんなに沢山。

彼女たちのビジュアルはまるで流行りのソシャゲみたいに、それなりの個性を持っているが皆とても美人で…

「って増えてる!?なんで!? 何事!?」



 見慣れたはずの玄関の奥には大勢の女の子達。しかも全員美少女ときている。最初は家を間違えたのかとも思ったが、アパートの位置、ドア前の表札、何よりたった今この鍵で玄関扉を開けたこと。そのどれもがここが自分の部屋であることを証明している。

 考えたいことは色々あったが、今は秋も終わりかけの季節。このままずっと外で立ち尽くしているのも厳しい気温だ。

とりあえず困惑しながら、俺は自分の家に入った。

「た、ただいま…」



 玄関で出迎えてくれたポニーテールの彼女は、俺の後ろをにこやかな笑顔を浮かべてついてくる。

廊下を過ぎて、部屋のドアを開ける。

 このアパートに住みはじめて1番賑やかといってもいい。とりあえず目に入るだけで10人近くの女性が、狭い俺の部屋の中に居た。


 これは一体、どういうことだろうか。

俺は気づかないうちに何らかの事故にでもあって、どこかゲームの世界の中にでも転生してしまったのだろうか。

しかし、思い出せる限りでそんな出来事はなかったし、何故か美少女たちが沢山居ることを除けば、いつもの俺の部屋となんら変わらない…はずだった。

スマホに友人から、変わらず連絡もぽこぽこと入ってくる。

…とりあえずいつもの俺の部屋で間違っていないはずだ。


 混乱し続ける俺を、さらにドキマギさせる状況は続いた。部屋のなかでたむろする彼女たちの中から、1人の少女が俺の前に歩み出てくる。

 白のスラッとした衣服に身を包み、紅色の瞳をゆっくりとこちらに向ける。

その姿を見た瞬間、言い知れぬ心に刺さるものがあるというか、1番好みというか。とにかく、嫌な気持ちはしない。そう思った。

「お帰りなさい、ユウトさん。」

だからなのか、不思議なことに俺は彼女らを特に不審がることもなく、今の状況について冷静に尋ねていた。


「あの、そもそもここは俺の家なんですが…あなたたちは一体?」

「お分かりになりませんか?」

そう言うと、目の前の彼女は悲しそうな表情を浮かべる。眉尻を下げたうつむき顔。その表情もまた儚げで、どうしてこう、彼女の行動1つ1つは俺の心に刺さってくるのか。


 ふと、彼女たちのさらに後ろ、背景、この家の様子に違和感を感じた。

「そこに…確か机がありませんでした?あと、そこに本棚も。」

部屋のに置いてあった机、本棚、さらにはベッドはあれどその上の敷き布団、掛け布団、枕も見当たらない。これには流石に不審に思い、部屋のあちこちを見渡すと、家中の家具やその他のものが見当たらない。その場所に妙に見慣れた女性の姿はあれど。

「どういうことだ…うちの家具が無くなってる。」

しかし、よく見ると消えたのは棚や大きな家具ばかりで、服や本や小物など、肝心の中身はそっくりそのまま残っている。妙な物盗りでも入ったっていうのか?だとしても彼女らは一体…?


「私たちに、見覚えありませんか?」

「うわっ!?」

先程の少女の顔が視線の真ん前に映り込む。上から下まで白いその姿と、胸元のマーク。それに、裾下からちらりと見えるキャラクターのシールで、思い出した。

「パソコン…」

 高校生の時に購入した、白のノートパソコン。メーカーマークがデスクトップの裏側にあって、しばしば資料作りや検索なんかに使っていた。そして自分の好きなキャラクターのシールを目のつくところに、とマウスパッドの横の部分に貼った。

「俺の、ノートパソコン!?」

「はい。気づいてもらえて、嬉しいです。」

「で!でもどうしてそんな姿なんかに…」

「あなたの好みは、なんだって知っていますから。」

いたずらっぽい笑みを浮かべる。うわ、可愛い。やっぱりどこかでみたような顔だよな…


よく思い出そうと、彼女たちの顔は記憶の中の表情と重なる。

と、同時に思い出される昨日深夜の検索履歴。

「うわー!!!!!」

言い知れぬ羞恥心が、全身を震え上がらせた。


どうしてこんなことに!



「動揺されるのも無理ありません。ですが、私たちはあなたのために生まれたのです。」

訳のわからぬまま、少女は言葉を続ける。ちょっと待って。とりあえず、ちょっと待ってくれない?




 少し時間を置いて、落ち着いた所で床に座る。

自らをパソコンと名乗る彼女と俺を中心に、美少女たちが周りを囲む。…やっぱり落ち着かないかも。


そんな俺の苦悩をよそに、パソコンは淡々とこの状況についての説明を始める。

「私たちはこの家にあるあなたの『もの』です。こうなった理由の子細は私たちにも分かりませんが、人の形をもってここにいます。

私たちの心に共通するのは、あなたのお役にたちたい、望みを叶えたいということ。」


 そして彼女は、ここにいるのはベッド・敷き布団・掛け布団と寝具の3人娘、本棚、机、キッチンや冷蔵庫その他に何人か…そして元パソコンである自分。というように、この家のもの全て、というか…家具やインテリアを中心に擬人化していることを説明してくれた。

どういうご都合主義か、服とか本などの小物類はそのまま、擬人化していないらしい。まぁそこまで擬人化していたら、とてもじゃないが生活できないし、おそらくこの狭い部屋には入りきらなかっただろう。

そこまで考えて、大きなくしゃみが1発出る。


「とりあえず、…ちっさい毛布はないか?確か布団の近くに折り畳んで置いといた筈なんだけど…」

「彼女でしたら、こちらに。」

と、ふわふわした衣服に身を包んだ少女が、若干顔を赤らめながら俺の前に立つ。

「あのー…もしかしてあの毛布も?」

「はい。少女の姿となりました。」

パソコンはそう答えると、おもむろに彼女、毛布の胸部を、俺の肩に押し付けてきた。

「はい?」

「彼女、毛布の役割は暖をとること。そしてユウトさんは今それを求めています。…好きにして、いいんですよ。」

肩の柔らかい感触と、そこからほんのり伝わる身体独特の温もり。


「い、いいいいいや、いい。やっぱりいい!毛布今はいらない!!!」

動揺しながらも、パソコンと毛布から距離をとる。

2人はしゅんとした顔をする。

「この体では、満足できませんか。」


「そういうことじゃない。

そういうことじゃないと思うんだ。


…えーっと、そりゃ君たちの提案は魅力的なものかもしれないけれど、君たちがまだ酔っぱらってるだけとかそういう可能性も捨てきれないわけで!!


…とにかく!魅力的だというだけで手を出す理由にはならないでしょ!

俺は、そんな『もの』をぞんざいにあつかったりしない。もっと、…優しくするから。

俺はそんなことを女の子に望んでるんじゃない!」


家具とパソコン相手に何を言ってるんだ俺は?



「でも、好きでしょう?私たちのこと。」

彼女たちの姿形は、俺がこれまでどこかで見たような、俺が好きな『人の姿』だった。もしかして、パソコンにあったこれまでの検索履歴を参考にしているのか。

考えれば考えるほどもう、頭がどうにかなりそうだ。


「俺の望みは…今はとりあえず、元の生活に戻りたい。元の姿に戻ってくれ。」

「でも、私たちはあなたのお役にたてないと、元の姿に戻れません。」


あぁもう!なんだそれは!!

「とりあえず1人にしてくれ!!!」

しかし、狭い部屋のどこに行っても女の子たちの姿がある。

ものが多いな!この部屋は!





そして、俺はクローゼットに逃げ込んだ。


先程の視界の暴力とは真逆に、クローゼットの中は真っ暗で、次第に荒ぶった思考と感情が少しずつ落ち着いてくる。


 何が起きてるんだ一体…。

とはいっても、何かいい手だてを思い付くわけもなく。いつものようにポケットに入ったスマホを触ることしか出来なかった。

あぁ、こいつだけはこのままでよかった…。


 しばらくスマホをいじって、画面右上の時間を見る。この家に戻ってから、ずいぶんと時間が経っていた。

先程の光景、美少女たちに囲まれた自分の姿を思い出す。

なんだこの状況は。漫画やアニメじゃあるまいし、俺は悪い夢を、大学のラウンジの机辺りに突っ伏しながら見ているんじゃないだろうか。


スマホの画面を開いて、何人かの連絡先を眺める。紛れもない現実を画面を見れば見るほど感じる。明晰夢だとしたらたちが悪すぎる。

…こんなの、誰にも言えるわけない。大体なんなんだよ。家の中のものの大半が美少女に擬人化してるって。


…どうしよう。

そりゃ可愛い女の子となんとかー。とか、考えたことは星の数ほどあるけれど。現実そうなってみると、そのささいな憧れは一転、気苦労の連続だった。

彼女たちの言うことを信じる信じないにせよ、とにかく、

…とにかく、

………どうすればいいんだ?



 そういえば、クローゼットの外がやけに静かになったことに気づく。

そっと、クローゼットの戸を開ける。部屋の電気は消えていて、ひっそりとしている。スマホのライトをつけて確認しても良かったが、もし眠っている彼女らを起こすことになれば面倒だ。

暗くてよく見えないが、とりあえず風呂にだけは入りたい。たくさんの女子たちに囲まれたことと、狭いクローゼットに長時間居たせいか、身体がみょうにうずかゆかった。


暗闇の中、記憶を頼りに風呂場へと無事に到着する。

 …ここにも擬人化した子達がいるんじゃないだろうな。服を脱ぐ前に、恐る恐るスライド式の戸を開けると、

そこにはいつも通りの浴槽とシャワーがあった。

ほっと一息をつく。

また明日も大学に行かないといけないし、とりあえず今のうちにシャワーだけでも済ませておこう。


 キュキュっと蛇口をひねり、シャワーを頭から浴びる。

熱めのお湯が身体を流すと、少しの間ではあるが不思議と気持ちが落ち着いてくる。

シャンプーを手にとって、無心で頭を洗い始める。

…そして、過去最高に面倒くさいことを思い出してしまう。


「あー…レポート。パソコンにデータ入れっぱなしじゃん…。」

一気に重たくなった腕を上げて、頭をがしがしとこすり洗う。

これで全て、忘れることが出来たなら、どれ程良かっただろう。

「どうすんだよ…これ…」

そんな訳は無かった。


水の流れる音が、浴室内で反響する。

浴室の曇り戸の向こうに、少女の影が写る。

「ユウトさん…私はあなたの願いを叶えて見せます。…必ず。」

その小さな声は、浴室の中の人物には届いていない。





 シャワーで泡を流しながら、先程まで擬人化した家具たちについて混乱していた頭の中は課題一色に染まる。どうやってパソコン無しで課題をこなすか…。いや、6割近くは書いてたしそもそも締め切りまであと1週間だから…今から書き直すのはきついから、やっぱりパソコンからデータを取り出すのが先決だな…



というか今日、俺どこで寝たらいいの?








この時は知るよしもなかった。

彼女たちが何故人の姿をもって 彼、ユウトの前に現れたのか。どうして、ユウトの願いを叶えるまで元の姿に戻れないのか。


関わらざるを得ない、擬人化した彼女たちとの不思議な同居生活が、始まった。


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