に 双手腕之瞬
夜長
渇仰の眼差しを向けられたら、恭敬の言葉を告げられたら、どうしたって、腰を上げなくてはいけない気分になる。
けれど、気分は気分のままで終わり、実行に移さない事もしばしば。
歩き出そうとする相手の腕を引っ張って、共に横になる。
散り際を愛でられる花のような相手ではないと、百も承知。
しぶとく枝から離れないでいる葉だと知っている。
知っていても、休息を与えたくなる。
光からも、風からも、水からも、陰からも逃してやりたくなる時もある。
「警察が泥棒に手を貸す。なんて、世の理よね。それから警察が恋に落ちるのも」
(僕は一体何を聞かされているんだろう)
私ね、日付盗賊改の貴さんが好きなのよ。
金を狙う者、金目の物を狙う者、暴れ回る者、腕試しに走る者、幻灰を狙う者。
背負う金庫が軽く感じるまで、それらの者たちを、時に縛り、時にいなし、時に逃げ続けた寿と竹蔵は今、絃が住んでいる平屋で茶を傍らに置いて向かい合っていた。
話題は竹蔵の恋。
連携を深める為にまずは互いの事を知ろう。当たり障りない話題。何か気になっている事はあるのだろうか。そこから話題を広げていければ。
そう考えた寿が端を発したわけではない。
茶を淹れた竹蔵が話し始めたのである。
「貴さんが危機に陥った時に助けて胸きゅん?うーん。共闘の中で腕を振るう私の凛々しさを見せて意識を向けさせる?腕っぷしだけじゃなくて、家事全般もできる有能さをさらっと表現して、貴さんの心を奪っちゃう?どれにしても日付盗賊改をおちょくっている幻灰の印象を覆さないとだめよね」
「おちょくっていたんですか?」
「真剣におちょくっていたわよ」
「否定しないんですか?」
「しないわね」
「…真剣でも遊びでも彼らにとっては同じだと思いますけど」
恋する乙女なんだなあ。
瞳を輝かせながら、ころころと表情を変える竹蔵を見て、寿は読んでいた物語を思い返していた。加えて、仲間の一人も。
感心や呆れよりも、どうして恋とは人を浮かれさせるのだろうと疑問を浮かべる寿に対し、苦笑を溢したのち、お茶を飲んだ竹蔵は綺麗な微笑を湛えた。
「…おちょくるだけ。で、終わりだと思ってたのよね。幻灰以外、盗んでいる刻以外に接点は持たない」
挑戦し続けても、報われない事実を知っているから、どうせ、と、諦めてしまう。
加えて。
未来を見ない絃に対して、未来を見てしまう罪悪感。
絡み合って、息苦しくなっていたのは事実。
『竹蔵。お願いします。僕は、絃さんに笑っていてほしい。すべてが終わってからも。終わりにはさせない。主が必ず世界を救う。だから僕はいつでも絃さんが笑えるようにしたい』
いつか。
先の見えない未来に向けた希望観測的な言葉ではなく。
いつでも。
先を見据える現在に誓った現実的な言葉。
「あんたの青春に感化されちゃったから、妄想しちゃったのよね」
現実問題として、行動に移す気はないのだが、暗闇がまた少し、どころか、かなり薄らいだ。
若旦那と寿のおかげだ。心が軽くなったのは。
「妄想できるだけの力をもらえた。若旦那とあんたには感謝の言葉しかない。ありがとう」
「いえ。若旦那には有難く頂戴しますが、僕には感謝の言葉はいりません。僕はまだ、何もできていません」
「できてるって言っても今は意地を張って撥ねつけそうね。でも何度でも言うわ。ありがとう。そして、これからもよろしく。と。あともう一つ。二人であいつを止めるわよ」
寿は目を見開いた。
いつかは必ず対峙する日が来るのは知っていた。もしかしたらそれが今日明日かもしれないとも。補佐は任されるとは思っていた。後方。援護に徹する。前方は竹蔵。もし加えるのであればあの人だと。
けれど今の竹蔵の言い方では、
血の気が引く。
血が沸騰する。
相反する感情が渦巻く。渦巻いて。拮抗して。雌雄を決したのは。
(青春よねー)
竹蔵は寿の顔を見て、やや苦笑う。むずがゆい。青春だ。
忍びの本分は、主の為に情報収集に徹する事。いかに敵を出し抜き、欺き、躱し、逃げ出し情報を持ち帰るか。拳や剣を交わすのは愚の骨頂。敵方に遭遇しても戦わずに無事に逃げ出せた者が一流の忍び。
そう教育されても、どうしたって、高められた身体能力を逃げの一手を制するだけでは物足りずに試したくなる者は現れる。
どうしたって、拳や剣を交わしたい欲求を持つ者は現れる。
(私は、私も)
面白おかしく相手を出し抜きたい。
無骨に強い相手と戦って勝ちたい。
本当ならば一対一で叶えたい。叶えたかった。
叶えられなかった。
過去の話。今の話。未来は、
(一人で相対する場面が思い描けないのよねー)
寿に宣言されてからだ。二人で相対している場面しか思い描けない。
否。端っこに一人いる。おまけだけれども、正確にはだから三人。
情けないと憤慨するだろう。
昔の自分ならば。手を撥ね退けていた。
『あなたの命を私にください』
忍びの己に向けられた言葉ではなかったはず。
知っていても解釈してしまうのだ。
求められた。
真意はどうであれ、その事実に感極まるのだ。
「お互いの主の為にやり遂げるわよ」
心が強くなるのは、絃のおかげ。
気弱にはもうならない。
「はい」
粛々と返事をした寿と相槌を返した竹蔵。
この場は静謐な雰囲気が漂っていた。
地に大の字になった尚斗は、同じ体勢になりたいだろうに立ち続けている絃に疑問をぶつけた。
破壊したいのは、
岩なのか。
短刀なのか。
絃自身なのか。
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