あなたをお見送りいたします。
Sasayaki Fuhn
あなたをお見送りいたします。
トーン トーン トーン
少しくぐもった足音を響かせて僕は階段を上がっていく。
鉄とコンクリートで作られた歩道橋の階段、それは頑丈ながらも薄いため踏み鳴らした音は下に抜け独特な足音を鳴らす。
何でだろう、ここに来るのは久しぶりだ。忙しかった訳でもないのに不思議とこの場所にはしばらく縁がなかった。
日が傾き始め幾らか空の色が変わり始めた十六時、ここは国道一号線宮の前十字路の上を×型に渡した歩道橋の上。
眼下には遠くまで一直線に見通せる東西に延びた国1と南北に伸びたバス通りを車幅灯を付けた車やそうでない車がひっきりなしに通っている。
僕はこの時間帯ここから見える景色が好きだ、本当はもう少し日が傾いた夕暮れの黄昏時が一番好きなのだけど今日は仕方ない。
×字に架けられた歩道橋の真ん中に立つと景色が広がる。
だから新しく買った一眼レフデジカメで最初にここの、この景色を撮ろうと僕はやって来た。
しかし、そんなに長く訪れなかった訳じゃないのにここの景色は少し違って見える。歩道橋の真ん中で周りを見渡すと西にある古本屋が目に入った。
そう言えば、あのビルに入っている古本屋一度も行った事がないな、今度入って覗くだけでもしてみよう。
僕はまず、古本屋のある西にカメラを構えシャッターを切った。
カメラは瞬時にピントを合わせシャッターを切ると小気味良い音を立て風景を切り取ってくれる。
その証拠だと言わんばかりに三インチモニターには先程撮った画像が一秒ほど映し出された。
なかなか良い。
やっぱり最近のカメラは技術が素晴らしいな。
僕は複数のアングルで西側を撮り、次は南側平塚駅に向けてカメラを構えシャッターを切った
先程と比べ僅かだけど空が暗くなってきている、カメラには相当な手ぶれ補正機能が付いているようだがそれも完璧ではないだろうシャッタースピードも遅くなってきているだろう、カメラがブレないように歩道橋の手すりに肘を乗せ上体を固定させた。
時折一段と重量のあるトラックが歩道橋下を通過すると歩道橋全体が揺れ、肘や靴底を通じて身体に感じる。
たまに歩道橋を利用する人が階段を上がってくる足音が聞こえ、ファインダーを覗く僕の後ろを通り過ぎていく。
しかし明らかに異質な足音を僕は感じていた。
歩道橋は人が上を歩くだけで微かに揺れる、その揺れで人が真ん中を歩いているのか端を歩いているのかも大体分かる。
二つの足音は僕の居る側の端を歩いて真っ直ぐ向かってきていた。
写真を撮っているだけで変な人間と決めるける者やからかいに来る者もいる、しかし純粋な好奇心やカメラを趣味としている人が話しかけてくるといった場合もある。
僕はその足音、気配には気付かない振りをしながらも警戒しつつ写真を撮り続けた。
二つの足音が僕の横で止まる。
やはり二人は僕に何か用みたいだ。
僕はファインダーから目を離し少し伏し目がちに足音の止まった方向へ顔を向けた。
「やあ木島、久しぶり」
「えっ…」
まだ相手の胸元に視線を向けた辺りで何の悪意もない聞き覚えのある声が僕の名前を呼んだ。
僕は少し驚き、そして少しの安堵で肩の力が抜けた気がした。
伏し目がちで胸元にあった視線をさらに上げると、顔の横に手をあげて挨拶をしているのは僕と同級生の…。
「滝本じゃん、久しぶり」
「よう、こんな所で写真撮ってるんだな」
滝本、中学一年の時に同じクラスだった友達だ。同じクラスだったというだけで毎日話をしていたという訳でもなかったけど知らない仲ではではない。
滝本とは中学二年に進級する際クラス替えがあり違うクラスになって、それからは学校の廊下ですれ違う時に挨拶を交わす程度になっていた。
もう一人の方は色白で髪の長い女子だが見た事がない、服装は滝本と同じくブレザーを着ている。
まあ同じクラスになったことの無い女子の顔だ、分からないということもあるだろう。女子に限らず同じクラスにならなければお互いに一度も話をしないまま卒業するということも大いにあり得る。
不思議なのは二人共十六時を過ぎているというのにまだ学校のブレザーを着ていることだ。
「お前、学校終わってまだ家に帰ってないのかよ」
僕らの通っている中学校は駅の近くではなく自転車通学は原則禁止のため歩いてここに来ようと思ったら三十分はかかる、それなら一度家に帰って着替えて自転車で来る方が効率がいい。
「えっ…ああ、まあな」
滝本は少し目を丸くし首を傾け自分の服装を確認しながらそう言った。
「もしかして、二人でデートか」
僕は滝本に小声で言った。
「え…違うよ、安藤だ、ただの友達」
滝本は照れるでも慌てるでもなく淡々と言った。
「よろしく」
安藤といった女子は抑揚のない声で少し素っ気無く頷くくらい頭を下げながら言った。
「で、何撮ってるんだよ」
滝本は僕の胸の前で両手に収められたカメラを指さしながら言った。
「ここから見える景色」
僕は今まで撮った画像をディスプレイに写しカメラを滝本に渡した。
「ふーん、画像で見るとこの景色がこんな風に見えるんだな」
滝本は画像を自分よりも背の低い安藤にも見せながらカーソルを操作している。
「きれいね」
安藤の声は先程より温かみのあるように聞こえた。
「ここは好きな景色なんだ、だから今の景色を写真に撮っておこうと思ってね」
「歩道橋の上は私も好きよ、いつもの景色なのに上から見下ろすだけでまったく違った景色に見えるのよね」
安藤はディスプレイから目線を僕の方に上げたあと回りを見渡しながら言った。
そうなのだ、ほんの少しだけでも視点を変えればまるで違ったものに見えてくる。普段通っている道でも大抵は同じ目線で行きと帰りの二パターンしか見ることがない、そこを俯瞰で見るだけで今まで見ることができなかった多くの事柄に気付くことができるんだ。
同じビルでも地上から見るのとビルの三階部分から見るのではやはり違うものだ。
「やっぱり景色ってのは変わるものだろ。明日もここは同じ景色だけどそれは違う景色、だから今を撮っておきたいんだよ」
ドクンッ!!
あれ、なんだろう…。
僕は急に胸が締め付けられるような感覚に陥り思わず胸に手を当てた。そして何か大事なことを忘れているような…何か大事なことが頭に浮かんでくるような変な気分になった。
思い出さなきゃいけない…でも思い出したくない、思い出してはいけない…? そんな気がする。
僕はいったい何を思い出そうと? いったい何を忘れているんだろう? まるでつい今しがたまで憶えていた夢の内容を全て忘れてしまい必死に思い出しているような…。
「そう、景色は変わっていく…いやもうあれから変わっている」
滝本は胸を押さえ少し俯いた僕に肩に優しく手を置きそう言った。
変わっている。いったいどういう…滝本は何を言ってるんだ?
「木島、大丈夫か? ゆっくりでいいから思い出すんだ」
僕の胸はまだ「きゅー」っと締め付けられたようなままだ。
「ああ、大丈夫。なんか急に胸がさ…」
僕は顔を上げて滝本に笑顔を見せる。
おかしい、僕の視界が…いやビルが、木が、電柱が、歩道橋が景色が薄くぼやけたように見える。
僕は思わず自分の手を腕をそして身体を見るが自分の身体にそんな異常はないみたいだ。
「木島?」
滝本が僕を心配そうに呼ぶ。
「すまないちょっと、体調が悪いみたいだ」
そう言い滝本を見ると、滝本までぼやけて輪郭があやふやに見えてしまっている。しかしその横に佇む安藤に変化はなく僕を真っ直ぐに見つめていた。
僕は手すりに腕を預け、顔と手すりの距離が二十cmほどとなり手すりを凝視する形になった。しばらくその状態で固まる。
これは……。
汚れが付き水しぶきが撥ね塗装が剥げ錆が浮き、それが広がり塗装が新しくなる。
ぱっと見るだけではぼやけて見えている景色、十秒ほど一点を見つめるとそれはすごい速度で物の時間が動いていた。
滝本もぼやけているんじゃなく、髪がだんだん長くなり短くなる。顔つきも少しずつ変化していき身長も先程より高くなっている。
しかしなんだろうこれは…? 周りの景色が、変化していっている・・・・・…?
やがて景色のブレが収まり、視界が静かになっている。
僕は回りを見回した。
どこが変わったとはハッキリと断定できない、しかしさっきまでの景色とは明らかに違うのを僕は感じ取っていた。
平塚駅へと続く道がきれいになって駅周辺の道の形が少し変わってる。
街路樹の形も先程とは少しおもむきが異なり、西側にあった古本屋の看板が塾の物に変わっている。
「これは一体」
僕は自分の身に起きたことが信じられなかった。
こんなことがあるわけがない、まるで僕だけが時間から取り残されたようじゃないか……取り残された…?
「思い出したかい?」
先程とは違う高さから滝本の優しさを含んだ声が聞こえた。
「えっ、何で」
そこに立っているのはさっきまでの滝本ではなかった。身長は20センチくらい伸びていて、どこか中性的だった顔つきもしっかりと性別の分かる顔つきになっている。服装も制服ではなく普段着になっていた。
安藤の方には全く変化が無く同じように滝本の隣に立っている。
「滝本…? どうして急に背が高くなったり、顔付きも少しかわったんだ」
多少容姿が変わっていようと目の前にいるのは滝本だということは分かった。
「俺はずっとこの姿だったよ」
滝本は自分の身体に目線を落としながら言った。
「え、じゃあこの周りの景色は?」
僕は明らかに変わってしまった景色を指さそうと四方八方に腕を振り回した。
「景色は、元に戻ったんだ」
滝本は背中を曲げ手すりに肘を付き、南に広がる駅前の風景を見ながら言った。
「現在いまの姿にね」
安藤が学校指定の革靴を鳴らしながら僕の方へ近づき、あと二歩ほどの所で止まった。
「木島君、あなたは随分前に死んでいるのよ」
まるで無音の空間に鈴の音が響いたような、凛とした声で安藤は僕を真っ直ぐ見据えて言った。
「何言ってんだよそんな事ある訳無いじゃんか!」
あり得ない!
「木島俺を見ろ。俺はもう大学生だ、同級生なのに年齢が違うなんておかしいだろ」
滝本は昔から背が高かった、さっきまでのは錯覚だったんだ。
「そんな訳無い、僕は生きて…」
そんな事無い、認めない。
僕は生きているからここにいるんだ、だからカメラを持って撮影できているんだ。
認めない、認めたくない。
僕が死んでいるとして、じゃあ滝本と安藤はなんなんだよ。どうして普通に喋ってるんだ?
認めたく…ない…。
そうだここは僕の安息の場所じゃない、ここではなくもっといい所へ行けばいいんだ。
僕は二人に背を向けて、ゆっくりと歩きながら心地良い思い出を探した。
「木島君どこに!? 滝本君捕まえて!! 彼、また現実から逃げるわよ」
認めたくないって事は…僕は……嫌だ、そんな事ないんだ。
「木島」
滝本の呼びかけに僕は歩みを止めた。
滝本、僕は死んでないよな、そんな事ないよな。
「大事なカメラを忘れてるぞ」
滝本の真っ直ぐな声が僕の背中に響いた。
えっ? そういえば…
「みんな、木島の事を忘れたりなんかしてない。この一眼レフデジカメ君はどうやって手に入れたんだ?」
肩に斜めかけした僕のカメラに手を添えながら言った。
このカメラいつ手に入れた物だっけ。
「このカメラは君のお父さんが買った物で保管場所は君の部屋、机の上だ」
お父さんが…僕の机の上に…?
そうか、僕は見ていた。お父さんが新しいカメラを買ってきて僕の部屋に入ってきて「いつでも好きに使って良いからな」そう、見えない僕に呟いて机の上に置いてくれたんだ。
ああ、そうだったんだ僕は…。
「滝本、思い出したよ」
僕は振り向いてそう言った。
僕が死んでいる事、滝本が何度も僕の前に現れて、それを気付かせようとしてくれていた事、僕は忘れられていないという事実。
「ありがとうな」
僕は目の前に広がる一瞬一瞬を忘れない為に写真を撮っていたんじゃない、そこに僕が居たという事実、僕の事を忘れてほしくない気持ちがあったからだ。
「木島君、安心して。いつか、どこかで再開しましょう」
安藤は先程開いた僕との距離を縮めると僕へ微笑みかけながら優しく言った。
ああ、この人も僕と同じだ。
僕は安藤の横を通り過ぎ、滝本の目の前まで行く。
中学生の頃でも背が高い方だったけど、大学生になってさらに高くなったんだなー。
手招きをして、僕より頭一個半ほど高い滝本の頭を下げさせた。
「滝本、彼女の事もちゃんと救ってあげてくれな」
僕は滝本に耳打ちすると、彼の肩にかかったカメラに優しく触れそのまま指先で撫でた。
カメラの少しザラっとした質感が心地いい。
「返しておいてくれ」
「ああ、まかせとけ」
僕が死んでいるということは分かった、未練が無い訳じゃない。でもどこか諦めというか疲れというか覚悟が決まったというか、どうして僕はこんなにもこの世にしがみ付いてしまっていたんだろうな。
ここまで気持ちの整理が付いたなら、僕の本能たましいが察している。あとはもう自然に任せれば良いんだと。
「じゃあな、タキ」
僕はいつも友達と別れる時のように右手を顔の高さに上げ軽く手刀てがたなを切った。
「おう、また明日学校でな」
滝本はレンズを僕に向けファインダーを覗くと二度シャッターが切れる小気味良い音が鳴った。
「はは、無理だろそ…」
木島がそう言い切るか切らない瞬間世界が変わった。
今までどこかくぐもって聞こえていた風、足音、車の音がクリアーになり滝本の耳に飛び込んできた。
ドン
会社帰りだろうか背広の男の肩が滝本にぶつかった。
お互いに謝り背広の男は、まるでそこには誰も居なかったとでも言いたそうに首を傾げながら去っていった。
「おめでとう、木島君は逝ったわ」
相変わらず滝本の横に静かに佇んでいる安藤が口を開いた。
「ああ、そうだな」
滝本は安藤の方を見ずにどこか上を見つめながら言った。
「平気?」
安藤はどこか様子のオカシイ滝本を気遣うように言う。
無理もないのかもしれない、死んだ友人に再開したと思ったら今度は本当の別れを自分で作り出したようなものだもの。
「大丈夫だ。それでこれは救えた、と言って良いのか?」
滝本は安藤へ疑問の声をぶつける。
「気付かない振りをして過ごすのは辛かったと思うわ。なにより木島くんが行ったのが証拠よ」
そうか。と滝本が小さく呟いた。
「1人目だな」
滝本の言う「一人目」という意味に安藤は気づいた、そしてそれを訂正する。
「私も滝本君に救われてるんだけどな」
相変わらず目を合わせない滝本の顔を見上げながら安藤は言った。
「じゃあ、二人で救った一人目だな」
滝本は少し上を見つめ背けていた顔を安藤に向けると笑顔で言ったが、その涙は友人を救った事の嬉しさからか友人との別れからか。
滝本はカメラの重さを両手で感じ、木島の温もりを探していた。
あなたをお見送りいたします。 Sasayaki Fuhn @Sasayaki-Fuhn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます