第12話 猫と青草の旅立ち

「確かに殿の治める虎猫の縄張りはとても居心地がいいですなあ」

 と、寅吉が、さて間が良いのか悪いのか判断しかねる合いの手を入れる。白髪交じりのその口元を見やって大福は問い掛ける。


「それで寅吉、お前は家族を持ったのか」

「いや、いっこうに。非モテでござる我が猫生」

 自己申告をした途端、寅吉の肩ががっくり落ちた。

「何の寅吉、昔日の、あの娘はどうしたのだ」

 己の忠臣の落ち込みように、寅衛門は気を引き立てようと昔の話題を持ち出だす。

「ほれ、あの寅吉に良くなついて、縄張りの見廻りなど、一緒に行っていたではないか、儂を除け者にして」

 少々不都合な思い出も一緒に思い出して寅衛門の髭が跳ねたが、寅吉の、目からはぽろんと涙が転がる。


「寅衛門様、みぃちゃんは儂の姉の子、姪だったのです」

「なんとそれは、でもぎりぎりなんとか」

「我らの親が既に従妹同士、これ以上血を重ねるわけにはいかないと泣いて別れたあの日の夕焼け」


 思い出しておいおい泣き出す寅吉をさておいて、大福の声は静かに響く。

「寅吉の若い頃このようなことが多発して、そのころ次の頭目と、推されておった白玉と白雲が儂のところに相談に来たのだ。儂は、ならばいっそ虎鯖をしばらく二つに分けようとそこの二匹に提案した」


 大福の目論見は、二つの集団に生殖的隔離を人為的に、いや猫為的に起こさせて、血縁交わらぬ集団を確立させんとする試みで、なかなかに壮大な遺伝学的実験のその実験圃場がこの地この場所。


「まずは鯖猫を集めてこの川原より離れた場所に本拠地を設けるよう白雲に命じた。白玉にはしばらく群れの頭数を制限しろと」

「そんなに前からあなたはここの猫たちの相談役をしているのですか」

 虎次郎が、寅吉を慰めて会話の輪に背を向けている寅衛門に変わり大福に問う。

「そうだな、儂のこの毛皮、今でこそ真白の雪に輝くが、こう見えて生まれたての頃はほとんど黒毛であった。年を経るにつれ白く白く、この頃ではその白ですら透くように」


 さてそうなると果たしてこの大福、どれほどの年を経た老猫なのか。


「…オグリキャップ」

 などという言葉が嗚咽に咽ぶ寅吉の口から洩れたような。

「あら、それは古いわ。やはりゴールドシップよ」

「白雲姉さま、今度はなんのお話をなさっているの?」


 葦毛の怪物に関わる戯言には耳を貸さず、大福は話を続ける。

「しかし今、年月を経て十分に、血縁が薄くなったのならまた虎鯖の縄張りは一つにもどすべし。元は同胞の虎鯖同士、相争うのはいかにも無意味。けれど頭数がやはり多いのは考え物だ」


「鯖猫は、雄なら若い内に次々と、群れの外に出して行って今、群れにいる雄猫は、そこの胡麻太とアンコのみ。あらそういえば、アンコはどこにいったのかしら。東雲、アンコはどうしたの」

「アンコならばしばらく前、この騒動の始まる前に本家に預けております」

「アンコの毛色、大福道士様の幼少の毛色とおそらく同じもの。今は煤灰ですが、後に道士様のような真白な猫になるのですね」

「そうか、我が毛色まで血筋は遡っているのだな。ならばいっそう、虎鯖の、群れの融合は進めて吉と」


 だが、とそこで大福は言葉を切って次につなぐ。

「頭数制限を白玉に課し、雄猫を積極的に縄張りの外へ出すことをも白雲に託したが、それでも頭数がまだ多い。もし志ある若い者、あるいは早期退職セカンドライフを望む夢見がちな中年がおるならば、是非今日この機会を好機とし、この虎鯖の縄張りを越えて己らの新しき領地を得るために群れを出る、その心を決めて欲しい」


 その大福の言葉に、俯きがちの東雲の耳がピンと上に伸び、次いでその顔をぱっと上げた。この話は白雲の、先ほどの話に繋がるのか。

 そんな東雲に白雲はちょっと笑いかけてから大福に進言する。

「ならば鯖猫の我らから、東雲を群れの外に出したいと思います」

 白雲がそういうと続いて白玉が、

「虎猫の群れはすでに成猫ばかり、前途を託して我が息子キナコを外に出したいと思っている。しかし少々年が足りない。虎次郎、弟に広い世界を見せてやってはくれないか」

「母上、それは私の思う所と同じ、我が同胞をこの縄張りの外に連れ出したいと思い、私はこの地に戻ったのです」


 大人同士で決められていくその会話、キナコは自分が外の世界に出ることに、未だ実感が湧いていない。

「胡麻ちゃんも一緒に行ったらどうかしら」

 蚊帳の外を決め込んでいた胡麻太にむかって、まるで散歩の気軽さで白雲は問う。 いや、これは胡麻太の意向を聞くものではなく、一緒に行けという命令と同義。いつもならば顔をしかめる場面だが、せっかく仲良くなったキナコが一緒と思えば楽しそうで、猫見知りした虎次郎にしろ、今まで胡麻太が接したことの無い大人の雄の雰囲気もまた、心ひかれるものがあり。


 雌猫ばかりの群れにいるより、雄猫同士の道中もまた楽しかろうと心が浮き立つ胡麻太だが、気になるのは東雲もいること。上目遣いに白雲をおずおずと眺めると、


「あら、胡麻ちゃん、東雲がいた方が良いのじゃなくて?」

 白雲はまったく気にしていない。

「姉さま、それは」

 私に対する気遣いでしょうか、と東雲が、白雲に問う言葉は途中で切れる。

 そんな東雲を白雲が見る目は常に優しい。


「東雲は、虎鯖の毛色が混ざった三毛の子猫を産んだら、一度はこちらに見せにきてね。三毛の子猫はとてもかわいいのよ」

おそらく虎次郎にも聞こえていただろう唐突な、その白雲の言葉に東雲が固まった。


 かくして青草狗尾草の草原を渡る猫影四つ、川の向こうに集まった虎鯖入り混じる猫たちと、しばらくこの地に逗留することを決めたらしい大福道士に見送られ、意気揚々と旅立った。


 今日この爽やかな夏風を受けて、彼らの前途に幸多からんことを祈念して、ここまで続いたにゃんこ狗尾草大合戦、物語の幕引きといたします。長きにわたるご静読、誠にありがとうございました。読者の方々皆々様の前途もより佳きものでありますよう、作者心よりご祈念申し上げます。

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