第6話 誰がために猫は泣く

 待ってはみたが白玉が、再び姿を現すことはなさそうで、兄弟虎猫二匹揃って坂を下りる。虎次郎の後をついていくキナコはとぼとぼと、尻尾は地面を擦らんばかりに垂れ下がる。いつもは優しい母猫の厳しい態度はもしや自分に落ち度があったかと悔やんでみるがいま一つ理由が分からない。


 意気消沈のキナコを背後に従えた虎次郎は道々に、寝転ぶ虎猫を起こして歩いて林の陽だまり、ひときわ枯葉の重なるその場所に、へそ天で大鼾をかく寅衛門をようやく見つけ

「父上、起きて下さい」

声を掛けたが暖簾に腕押し糠に釘。鼻提灯がぱちんと割れても動じない。


 どうあっても起きる気配のない寅衛門の枕元に腰を下ろした虎次郎、新たに生産されつつある鼻提灯が見え隠れするその鼻先と口元に己の肉球を押し当てた。


 と、一瞬間をおいて、ふごぉっ!と妙な声を発しつつ、ようやく寅衛門がその目を開けた。


「おや虎次郎、久しぶりだな。元気か。はてどれくらい会っていなかったか」

 喜びも驚きも眠気のムニャムニャに曖昧で、首をひねって目を閉じて、そのまま再び鼾を立て始めるその前に、かくかくしかじかと状況を説明する虎次郎、それを聞いて寅衛門、果たしてどこまで理解したものか、


「なんだ、鯖猫数匹で大げさな。それしき儂が追っ払ってやる」

 ぶるっと身震い、寝癖のついた髭を震わせて意気揚々と歩きだしたそのつま先に、尻尾の先を踏まれて気づいて追いついて、尻に枯葉を付けたまま、寅衛門に近寄る一匹の猫。

「殿、出陣は久しぶりですなあ」

 そう声を掛け、尻尾と尻尾でご挨拶。これはすでに虎模様も薄くなりつつある高齢の、寅衛門の幼き日から従う老臣寅吉で、いざ行かん、我ら二匹でこの場は十分と見得を切り、揃って歩くその様、ご隠居同士の散歩にしか見えず、虎次郎が声を掛けてもご両人、耳が遠いうえに何やら景気づけの歌まで歌っている。


 そのまま川の浅瀬をひょいひょい渡り川向こうの叢に躊躇なく足を踏み入れて、しばらくそのまま葦の原、そよ風ばかりが吹き過ぎて、さてそろそろご隠居両人、もとい両猫はどうなったのかと皆が思い始めたその刹那、きゃんっ、と到底猫の口から発せられたとは思わぬ声が辺りに響き、虎毛のかたまり、寅衛門と寅吉が血相変えて逃げ戻るその尻尾、それぞれ虎縞の先二本ほどが毟られて禿。


「父上、大丈夫ですか」


 虎次郎が走り寄ると寅衛門は涙目で、「抜けたハゲた」とひとしきり泣き言を訴える。寅吉はただふうふうと尾の先に息を吹きかけているが、さてそれでどうなるものでもない。


「なんだあの鯖猫どもは。こちらの名乗りが終わる前に寄ってたかって尻尾の毛を毟りに来おって」

「毟ったのは若い雌の鯖猫でしたか」

 重ねて虎次郎が尋ねると

「いや、年増だなあれは。鯖とはいっても足先と尾の先だけが白い猫だった」

 それは虎次郎の知るあの姉弟の誰とも違う様子のようで、はてどういうことかと今度は虎次郎が首をひねって考える。


 さて一方、川のこっちは鯖猫の陣地、毟った虎毛を丸め固めてじゃれついて、勝利に喜ぶ鯖猫たちは、胡麻太が走って呼びに行った本家の鯖猫姐さんたちで、その中心近くに東雲の姿、どうやら指揮を執る模様。


 そんな東雲を遠目に眺めて思案顔の白雲の隣、常にない長姉の様子に心配顔の靄霧が白雲を見上げるその褐色がかって澄んだ目に軽く笑みを返して曰く、


「靄霧、ちょっと出かけてくるわね、お留守番をおねがいできるかしら」

 靄霧に向けられた眼差しその一瞬、白雲の目に光るのは翡翠の如き緑色。

「姉さま、どこへ行かれるのです?私も行ってはだめですか」

「あなたはここにいて、東雲が無茶をし過ぎないか見張っていて頂戴ね」


 そう言い置いた白雲のしなやかな姿は直ぐ、穂を伸ばし始めた狗尾草の向こうに見えなくなった。

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