第3話 虎次郎、故郷に帰る
葦原茂る川沿いを嫌って、丈の短い青草の茂る丘の上、鯖猫の三姉妹が三匹思い思いにくつろぐ姿。白色の毛が多い順に白雲、東雲、靄霧と名づけられた三姉妹は年の順もそのままに、おっとり気質の白雲がうとうと陽射しに微睡めば、その腰辺りの鯖の斑を、枕に三女靄霧の目も次第に細くなる。一匹だけは香箱座り、次女東雲は白雲に話しかける。
「まだあの胡麻太は狩りの技術が甘い、あれはいつも魚が動いてから狙いを定めるなどと悠長なことを。あれでは獲物が逃げるのを待つのも同然。このあいだも靄霧に大物を捕られて」
「そういえばそうだったわねえ、靄霧は頑張ったわねえ」
と、どうやら長姉に呼ばれた靄霧は、寝ていた髭をピンと立て、
「動きの鈍いものがいて、それに狙いをつけたの」
「それを見極めるのも狩りの上手」
東雲にどうやら褒めてもらえたらしいと靄霧は尻尾もぱたんと地面を叩いた。
「胡麻太はいずれこの縄張りを出ねば、ただのこどおじになってしまう。早く狩りの技を身に付けなければならないのに、あれではいつ一人で魚が取れるようになるか」
「ゴマちゃんには魚取りを一緒に練習してくれるお友達、いないのかしら」
ねえ、と白雲は靄霧と顔を見合わせ首を傾げる。
「友達がいたら私たちと一緒にここには連れてきていないわ、あのボッチ」
「あらでも同い年くらいの雄猫がうちの群れにいないんですもの、しようがないのかもしれないわね」
その胸の辺りの白毛のように、ふんわり語る白雲に、それはそうだけど、と東雲の口調が弱くなる。そこで靄霧が話の先を少し変えて、
「アンコは大丈夫でしょうか、胡麻兄さまについて行きたいというから行かせたけれど」
「胡麻太は弟の面倒ぐらい見るでしょ、大丈夫よ」
「そのあたりはちゃんとゴマちゃんを信用しているのね、東雲は」
にっこり笑う白雲に、東雲は据わりの悪そうな顔をして視線をそらす。そうして見つめるのは三日月にも似たその爪の先。肉球の間から出し入れしつつそろそろ手入れが必要かもと、このところ通い詰めたる研ぎ木に行くべきか、思案を装うその鼻先に初夏の風。
その風の中に嗅ぎ慣れぬ匂いがあったような。香箱座りをすらりと解いて丸めた背筋をうんと前後に伸び縮み、さて風の吹いてきた方を向けば伸ばしたばかりの猫背もなお伸びる、なんと縄張り破りの虎皮持ちが青草掻き分けやってくるではないか。これは大変一大事、姉様、靄霧、起きて起きてと騒ぎ立て、白雲はあらお友達かしらとこちらはペースを崩さない。
遠目に見るに大きさからは立派な成猫、他猫の縄張りに踏み入れる掟破りを知らぬ齢ではあるまいと、場合によってはこの伸び過ぎた爪の砥ぎ石代わりにしてやると東雲の考えは常に物騒、青草の間を小走りに、虎猫目指して歩み寄る。
近づくほどに悠々然たるその虎猫、あの小高い山に見え隠れする虎猫共には見当たらぬ落ち着いた風情。さては流れ者かと用心しながら近づいて、お互いの姿全身が見えるところで足を止め、視線を一時ちょいと逸らすのは猫の掟。東雲が、己こそが縄張りの主であると主張しつつ、何者か、と先手を取って相手に訊くと、名は虎次郎、と名乗りを上げた。
それを聞いた白雲が、あらフーテンの虎次郎ね、あたしたちの誰か一匹さくらに名前を変えるべきかしらと長閑に呟き、ふうてんとは何です?と靄霧が訊く。
その戯言を聞いてか聞かずか、虎猫が腰を下ろして述べる身上、あの山の上に縄張りを構える寅衛門の次男だが久しぶりに帰る故郷、道を失いこちらの縄張りに踏み入れたる無礼、平にご容赦。速やかに移動する故、どうか見逃してはくれまいかと、これは丁寧なあいさつを寄越す。
下手に出られれば東雲であってもそこまで喧嘩っ早いわけではない。縄張りのその外に出るまで後を着いて行かせてもらうと申し出て、
「勇ましく美しい姫君に見送りいただくとは大変光栄」
と、虎次郎からのお世辞をまんざらでもなくその桃色が滲む三角耳で受け取って、私一人で見送りは十分と白雲、靄霧を押しとどめた。
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