第2話 鯖の巻

 さて、虎縞持ちの一家が城を構える小高い丘から川を挟んでこっち側、生い茂る葦に紛れて平城を築いているのは鯖猫一族。


 虎の奴等とはまるで色違い、黒と灰色の縞もくっきりと、しかし鯖模様が腹までくれば雉猫か、いや黒虎か。口元が白く鼻は桃色、鯖猫の顔がひょいと覗く。この雄猫は胡麻太という。

 

 冬に一度立ち枯れたとは云え、また青々と葦は伸び、胡麻太がその高さに負けじと後足で立とうとするも四足歩行が常の手段、なかなかうまく立ち上がれない。


 爪の先でちょいちょいと葦を掻き分け覗いていると、胡麻太の後ろから毛玉が突進してきた。尻尾に「兄上兄上」とじゃれついたきたのはアンコという名の末弟で。


「白雲、東雲、靄霧はどうした」


 と、弟の世話を言い付かっている筈、名ばかり雅な三姉妹を尋ねると、


「私たちは忙しいの。胡麻太お兄様に遊んでもらいなさい」


 そう追い払われたと、まだ耳が頭の横、あどけない顔で弟が言う。


 遊びではなく縄張りの見廻りだと言っても仕方なし。ただ正直言うと今、胡麻太の目を惹いているのは縄張りの境界線ではない。


 葦の隙間から覗いて見えるはそよ風にキラキラときらめく川の水面、あの流れの曲がった辺りに今、魚の陰が見えなかったか。

 

 魚影に気を取られ動きを止めた兄の尻尾からようよう口と前足を離して弟アンコ曰く、


「姉上達からの伝言は他にも」


 どうせあの雌猫たちの伝言など聞くだけ腹が立つからと、胡麻太が再び弟の前で尻尾を揺らしてやると途端に弟は尻尾に夢中。


 それを良いことに雌猫どもの言い分なぞ聞かずに済ますことにする。


 そもそも姉萌え妹萌えなど、実際自分が上下に姉妹を持ってみろ、あれらの我儘に付き合えば燃え尽きて灰になるのは十も確実、完全に空想の産物である。


 持つべきものは同性の兄弟だ、とは思っても、今、最も身近にいる同胞は己の尻尾をしゃぶるこの末弟のみ。


 共に野を駆け鳥を追い、姉妹猫どもへの愚痴を言い合えるまでまだしばらくはかかりそうである。


 それはともかく、やはりあの影、葦の茎に紛れるのはどうやら大物と見た。

 

 鮒か鯰か、思わず尻尾が大きくぱたんと地面を叩いて、吊られた弟がそのままぽちゃんと川に落ちる。


 慌てて川から咥え上げても乾いているのは耳先ばかり、全身見事にずぶ濡れである。

 

 身を震わせたところで柔毛に水は吸い込まれ、これは文字通り河岸を変えねばと溜息一つ、胡麻太は弟の後ろ首を咥えて持ち上げ、その場を離れた。

 

 日当たりの良い乾いた地面に下ろしてやると、アンコはくしゃん、とくしゃみを一つ。


 そもそも猫の間では、名前は生涯のうち幾度か変わるのは常識で、子猫と成猫、毛並みの雰囲気が変わる者も珍しくはないこの猫界、幼少の頃は短毛でタワシと名付けられはしたが長じて毛先は伸びるばかり、結局モップと改名したという話も聞く。

 

 今はアンコと呼ばれている末弟だが、長じてからの毛色によっては呼び名も塩羊羹ぐらいまで変わるやもしれぬ。


 猫の名として相応しいかどうかより、姉妹猫たちが呼び始めたら名は決まったようなもの。


 同じ羊羹ならば老舗の逸品、夜の梅ならまだ救いがあるか、いや雄猫にウメという名前は如何なものか、夜梅と縮めてよばいと読ませてもいささか風紀に反するような。


 せめてこし餡程度に落ち着いてくれればと、いささか己の名に不本意を覚える胡麻太は、弟アンコの毛先からぽたぽた垂れる水分を丁寧に舐めとってやりながら、その将来の毛色を案じた。

 

 毛繕いをされているアンコの方は全く良い気なもので、にゃあにゃあと兄猫に話しかける。


「姉上様たちは、もしアンコの毛先に草の実1つでも付けたまま返したら、胡麻太の奴を只では置かぬ、尻尾の先が濡れてでもしていたらあの髭全部引っこ抜いてやる、と言ってました」


 まったく恐ろしい話を聞いたものである。本当に聞いたことを後悔する話というのはあるものだ。日のまだ高い内になんとしてもアンコの毛皮をふかふかに戻さなければ。


 嗚呼、なにゆえ我が鯖猫一族の雄猫は、こんなにも雌猫に虐げられるのか。

 

 嘆く胡麻太は、さて、その扱いが己の身の上に降り掛かっているだけとは思いもつかず、いずれ下克上、反旗の旗を翻さんと心に誓い、腹心の同志と育てるべく、いっそう丁寧に弟の毛繕いをしてやるのだった。

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