第3話 少年と少女


ガチャガチャと音を上げながら危なっかしい手つきで正太が急須と来客用の湯飲み茶わんを持ってくる。桐子は丸いお盆ごとそれを受け取り、空の茶碗に茶を入れた。


「お茶。体が温まるわよ」


少年の前にお茶を差し出したが、彼は険しい表情で首を傾げるばかりで飲もうとはしなかった。さっきから少なからず感じていたことだったが、どうも言葉が伝わっていないらしい。おまけにひとしきり泣いて気持ちが落ち着いたからだろうか、警戒するように口を一文字に結び、眉を寄せて桐子たちの様子を眺めている。


(…確かに見知らぬ土地で知らない人に急に飲み物を差し出されても怖いかもしれないわね)


そう思った桐子は差し出したお茶をそのまま別の容器に入れて、少し口をつけた。

ダイジョウブ、の意思表示のつもりだったが伝わっただろうか。

桐子がしっかりと飲み込んだのを見て、険しかった表情が少しだけ緩んだ。


「xxxxx! xxxx!」


急に少年が早口で何かを言う。相変わらず言葉の意味は読み取れなかったが、今度は身振り手振りがついていた。

まず右手で湯飲みを指しそれからその手を自分の胸に持っていく。

どうやら湯飲みをよこせ、と伝えたいらしい。

桐子は指示通りお茶を彼の前に寄せようとしたが、「僕がやる!」と横から正太が手を出した。湯飲みを少年の前に置いた瞬間、

「NON!」(と聞こえた)

少年が声を上げ、正太の行為を制した。突然のことに正太も桐子も目を見開いて静止する。少年は自分に視線が集まっていくことを確認した後、また同じ動作を今後は先ほどよりゆっくりした動きで行う。

どうやらどうしても桐子がやらなければならないことらしい。


「私じゃなきゃダメ見たいね…」

「なんで…!お姉ちゃんばっかずるいじゃないか!」


そう言って正太が涙目で怒鳴る。かなり好意的に接していたはずなのに急に声をあげられたことがかなりショックだったようだ。うわあん、と泣きながら部屋から出ていく。さすがにかわいそうに思い追いかけて慰めてあげたかったが、ここで少年を一人にするわけにもいかなかった。しばし葛藤して、桐子は大きなため息をついた。

今は少年のいう通りにして敵意がないことをわかってもらわなければならない。ここで急に暴れられても桐子一人では抑えきれないのだから。


しぶしぶ湯飲みを手にして少年の前に置く。すると少年は意外にもにっこりと笑顔で桐子のことを見てきた。なにかよくわからないが、二人きりになりたかったということだろうか。不穏な雰囲気に警戒しながらも湯飲みから手を離そうとした時、その上から桐子の手を包み込むように少年が両手で握りしめてきた。


(ななななに?)


思わぬ不意打ちをくらって桐子は固まった。だが桐子の様子など少年は気にも止めず、そのまま湯呑みを口元に持っていくとそのまま器用にお茶を飲む。

こく、こくっと少年の喉が動き、やがて、はぁ。と小さく満足そうな息が聞こえてきた。よくわからないがとんでもないことをさせられたようで、桐子の顔は耳まで真っ赤に染まった。


(なに?、なんなのこれは?)


混乱する桐子をよそに少年は笑みを深めるとゆっくりと握りしめていた手を離す。ほっとしたのもつかの間そのまま桐子の手首を掴みなおしてそのまま横になる。え、と思う間にそのまま瞼が閉じられた。困ったのは残された桐子である。


(え?なに。……これをどうすればいいの!?)


焦りながら空いた左手で少年の手をはがそうとするもののびくともしない。それどころかどんどんと強く握りしめられていき、手首に痛みがでてきた。


「痛い!やめて」


思わず声に出すと、すぐさま手首の力は緩められた。どうやら傷つけるつもりはないらしい。だがそれでも手を離そうとはしない。よほど自分が気に入られたのか、それともただ単にそばにいてほしいということなのか。

桐子は途方に暮れた。


(どうしろっていうのよ)


誰かに助けを求めたいものの、このままでは誰も呼べない。


(困った。……こんなことになるならば、家の中に入れるんじゃなかった)


そう強く思ったとたん、強烈な眠気が襲ってきた。

寝てはいけない、そう思うものの睡魔はそのまま桐子の意識を奪い去っていった。





その場に倒れこむように寝入った「少女」の体を少年はさっと起き上がって受け止めた。すやすやと寝息が聞こえてくるのを確認してから、自身のいるすぐ横に横たわらせる。それからようやく息をついて、寝かせた少女の様子をしげしげと眺めた。


この環境下で”睡魔を呼べるか”は大きな賭けだったが、どうにかなったようだ。

少なからず強引に手段に及んだのは反省すべき点だったが、今の状況を考えると致し方ないことだと思う。

しかしその思いとは裏腹に少女の腕にはっきりと赤くついた跡に申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。


(こんなに簡単に跡が残ってしまうなんて)


そっと腕を撫でながら後悔する。日頃から女の子は丁寧に扱いなさい、と言い含められていたものの、こんなにも力の差があるとは思っていなかったのだ。

だが、そんな思いも触れた自分の中指に嵌る指輪を見るまでだった。右手の中指に堂々と鎮座する蒼を見たとたん、どうでもよいことだと思った。


(……そんなことより大事なことが自分にはあるのだから)


懺悔の気持ちを吹き飛ばすように、少年は口の中で歌うように言葉を連ねる。


≪宝石の中にいる守護霊ジンよ、。我に繋がっている少女と同程度の言葉が不自由なく使用できる能力を授けたまえ≫


それは日本語でも英語でも他のどこの国の言葉でもなかった。


自分の指に光る宝石が答えるように淡い赤い光を放つのを少年は安堵の表情で見守った。



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