第1話 雷雨の幽霊



その日は雷雨が酷かった。自宅の自分の部屋で机に向かっていた霧島桐子《キリシマトウコ》は窓に当たる雨粒の強さに顔を上げた。遮光カーテンの隙間を縫うようにして雷光が入り、時間を置かずに地響きが続く。


――雷は嫌いだ。イヤな思い出ばかりが思い出させる気がする。

桐子は顔をしかめて、つけたイヤホンの音量を大きくした。

外の音が全部聞こえなくなるわけではないがつけないよりマシだ。


今日は土曜日。今日中に中学の宿題を済ませなければならなかった。

夏休みの近いこのころは一学期の総まとめということで授業が駆け足で行われているせいか宿題が多くなる。

なにも今更駆け込まなくても、とは思うが出されれば出されただけ指示にしたがわなくてはならない。

あと、書き取りの漢字が一ページ、というところで唐突に後ろから肩を叩かれた。

がたん、と椅子が動く。


「ねーちゃん」


後ろを振り返れば、立っていたのは弟の正太だった。正太はとてもマイペースな小学3年生で、桐子とは対照的な性格をしている。今だって飛び上がるほど驚いた桐子の様子などかまうことなく、むしろなに何事もなかったかのように喋りだす。


「ねーちゃんって幽霊信じる?」


…謎だった。確かにいつも自分のペースを崩さないので唐突に変な事を言い出す弟だったが、今日は普段にもまして意味が読み取れない。


「なに、どうしたの?」


とりあえず話を聞こうと桐子は体を半分、正太の方に振り返る。正太はおびえるような仕草で桐子の制服の裾を掴んだ。そこでようやく正太の顔が普段より青白いことに気付く。

正太は深く息を吸い、心を落ち着けるようゆっくりと話し出す。


「……さっき、雷がすごいから外のようすを見てたんだ。そしたら裏の鳥居のとこに影が見えて、チータかと思ったらチータは家のなかにいたんだよ」


拍子抜けした。

チータとは家で飼っている猫のことである。チーターに似た柄から正太がそう名付けた。よく脱走して家の外に出るので今回もそうかと思ったが違うらしい。

焦った。この雷雨の中どこを彷徨っているかわからない猫の捜索は厳しい。

だが、それならなんで正太が部屋に来たのか。

正太の言うことがさっぱりわからず、桐子はいつの間にか握りしめていたペンを机の上に置く。


「なに?鳥でもいたんじゃないの?」


疑問符を浮かべながら桐子が返すと、正太はそうじゃないと頭を振った。


「そう思って、ちょっと様子を見に行ったんだ。そしたらこれが落ちてた」


そういって正太は制服をつかんでいる手とは反対の手を桐子の前につき出す。

それを桐子はよくわからないまま受け取った。

ごろり、と手のひらに大粒のなにかが落とされる。見れば大きな青い宝石のついた指輪だった。室内の照明の下でも光を反射して眩しいほどに煌めく。掌で躍らせればそれは一瞬ごとに煌めきを変えた。明らかに田舎の神社の境内に落ちていていいものではない。


「こんなもの、どこで拾ったのよ」


思わず声が大きくなった桐子に、正太はびくりと身を縮ませる。


「……裏の鳥居のところ」

「裏の鳥居?なんでそんなとこに…」


そういいながら桐子は指輪の輪の部分をつまみ目線まで上げて眺めた。青い宝石には傷一つなく、金目の部分にも細かな意匠が施されている。文字らしきものはあるが知らない文字で書かれているため、意味はさっぱりわからない。

すぐ様子を見に行かなければと思った。落とし物であればこれを落とした人はきっととても困っているはずだ。


「姉ちゃん、行くなら気を付けてね。さっきいった白い服の人がまだいるかもしれないから」

席を立った桐子の裾を離しそっと傍を離れた正太が消えそうな声で言った。

はた、と桐子は出ていこうとした足を止める。


「白い服の人?あんたさっき影だって言ってたじゃない」

「…それが落ちてたところに一緒に倒れてたんだ。でも変な服を着てたし、たぶん泥棒だと思う」


泥棒?この真昼間に?

嫌な汗が背中を流れる。


「正太、それいつの話!?」


声が荒ぶる。

大声をだされて、正太は無言で涙目になった。桐子は押し黙ったままの正太に苛立ちを隠せず続ける。


「いくら泥棒でもそのままにしておいて良い訳ないでしょう!!」


桐子の剣幕に押されて正太はうつむく。


「…さっき」


正太は消えそうな声でつぶやく。


「さっきっていつ?」

「さっきはさっきだもん。拾ってすぐにねーちゃんとこに来たんだから!」

「とにかく、案内して」


桐子は嫌な予感を頭の中で覚え、スマホを持って正太の腕をとった。



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