綾乃 晶 の 場合 06
ボクが守野さんに酷いことを言ってからもう十日経つ。
それでもあのときのことが頭から離れずにいるボクは、登下校時だったり、教室からトイレに行くときだったり、棟内のコンビニを利用するとき、あの人たちを探している。
前までは会いたいという気持ちで探していたが、今はどんな顔をして会えばいいか分からず、影に怯え会いたくないがために探してしまう。
あれから昼食時のカフェテリアを利用しなくなり、お昼ご飯は自分で握ったおにぎりを二つと水筒を持参して男女問わず話すようになったクラスメイトと教室内で食べるようになった。
放課後になると、あの二人に出くわさないことを願いながらカフェテリアで定食や小鉢などを持ち帰り用の容器に詰めてもらい、そのまま帰宅する習慣に変えた。
だからあれ以来図書館を利用することもなくなり、こうして今も誰もいない部屋で机に向かい宿題や予習、そして。
このまま、あの二人から逃げ続けていていいのだろうか?
そう自問しては自責の念にとらわれた自分を誤魔化すように、より一層勉強に打ち込でいると机の上でUSBケーブルを差し込み充電中のスマフォが突然数回振動した。
差出人は多分あの人だろう。
ボクは右手に持ったシャープペンシルを開いたノートの上に置きスマフォを拾い上げると、電源ボタンを押して通知欄からメールの差出人を確認した。
[受信メール1件 守野眞緒 元気ですか?]
ボクはその通知をタップすると少し空いた間の後に、受信したメール本文が画面に表示される。
[元気ですか? 今日も大学で晶ちゃんを探してみたけど見つけられなかった。あのときのことは全然気にしてないから、また会って楽しいお話しましょう(*'ω'*)]
あれからだいたい一日おきに来るメール、このメールを受け取る度に罪の意識は蘇り、メールを読んでは返信もなにもできないボクは自分自身が嫌いになる。
ボクはまた逃げるのか?
ボクはスマフォ画面左下部にある◁をタップし、受信メールボックス内のメールを遡って、あるメールを探した。
[けっこう力強いんだね]
神座さんから送られた初めてのメール。
この受信メールを開くたびにボクの胸の中には暖かいものが湧き上がり、神座さんの顔が声が仕草が脳内で再生される、そんなところをみるとボクはまだ神座さんを諦めきれてない。
もう一度神座さんに会いたい。すでに嫌われていて会うことも拒絶されるかもしれないけど、このままそれも有耶無耶にして逃げ続けて、これが最初で最後のメールになり、これから大学キャンパスで顔を合わせてもずっと気まずいままなんて嫌だ。
まずはちゃんと守野さんに謝って許してもらわなきゃ、それこそ神座さんに合わす顔がない。
ボクは再び◁をタップして受信メールボックスの一番上にある守野さんからのメール本文を開くと、そこから返信をタップしメール作成画面に切り替えた。
今まで何通もメールをくれてたのに返信もしなかったボクが、いったいなんて送ればいいんだろう……。
あんなひどい事を言ったんだ、本当は会いたいと思ってないかもしれない……。
気にしてないとメールには書いてあるけど、あのとき額を神座さんの肩に預けて顔を隠した守野さんをボクは知っている。
ボクの胸に罪悪感がチクリと針を刺した。
ボクの罪悪感を鎮めたいがためだけの行為かもしれない、でも……
[明日一五時三〇分に授業が終わります、それから会ってくれませんか?]
ボクは親指を動かしフリック入力で簡潔な本文を打ち終わると、その文章を何度も読み返し、送信を躊躇っては文章を読み返すことを続けた。
送信をタップするのが怖い、さっきから呼吸が荒く心臓が胸の中でいつも以上に跳ねているのが分かる。
ボクは一旦スマフォの画面を下に向けて机に置き、ノートに置いたシャーペンを手に勉強を再開した。
目の前をスマフォからノートに切り替えても呼吸は荒く心拍数は早いままで、こめかみの血管が心臓の鼓動に合わせて脈打つ始末だ、とてもノートに向き合える気分ではない。
ボクはシャーペンをノートへ置き、ノートの表紙をすくい上げそれを挟み込む形で叩きつけるように閉じると、スマフォを掴み上げてまだ消灯せず表示され続けていたメール作成画面を凝視した。
再びスマフォとのにらめっこが数分続き……。
よし!
「男は度胸だ」
覚悟を決めたボクは右手で掴んだスマフォに映されたメール画面右上にある送信表示を左手人差し指でタップすると、すぐさま画面を下にして机に置いてしまった。
ボクはシャーペンが中に挟まり少し浮いたページに指を差し込んでノートを開くと、シャーペンを拾い上げてノートに視線を落とすわけでもなく指でシャーペンを回し続けた。
心拍数は下がることなく、見ないようにしていても視界の端にチラチラとスマフォの背中をとらえてしまう。
そんなに早く返信がくるはずがない、向こうだってスマフォを二四時間肌身離さず持っているわけじゃないんだ。
ボクは大きく息を吸い込むと、口から盛大に溜め息ついた。
カフェテリアを飛び出してから約一時間後に守野さんから最初のメールがきて十日、つまり二四〇時間それはつまり一四四〇〇分以上もメールを無視し続けたボクが一度返信して、その返信が三分間来ないだけでこんなにもやきもきしてるなんてボクはなんて我儘な人間なんだろう……ボクは守野さんにずっとこんな気持ちを抱かせていたのかな……このまま返信が来なかったとしてもボクは守野さんにそれだけのことをしたんだと諦めるしかないのかもしれない。
ボクはもう一度大きな溜め息をついて、シャーペン頭にあるノックボタンを親指で押し込んだままペン先をノートに押し付けてシャー芯をしまい入れると、それを寝かせるように机へ置いた。
今日はもう勉強に身が入りそうにないや。
ボクはノートと数学の問題集を閉じると、机横に置いた登校用リュックを持ち上げて膝に置き上部の開口部を開けると荷室から布製のブックカバーに包んだ文庫小説を取り出してリュックを床に置いた。
本でも読んで気を紛らわせよう。
そう思い机に向き直ったときだった。卓上のスマフォが短く振動すると、ボクはそれに素早く反応し視線をスマフォに向ける。
今の振動はメールを受信したときのだよね……。
ボクは怖さと期待を織り交ぜながらスマフォを拾い上げると電源ボタンを押して指紋認証でロックを外そうとするも緊張で出ている手汗のせいで上手くいかない、三度目の指紋認証でロックが外れて通知には、
[受信メール1件 守野眞緒 Re: ]
と表示されている。
一呼吸置いて通知をタップしスマフォが受信メールを開こうとする読み込みの間でさえも、まだ内容の分からない受信メールにボクはドギマギした。
[返信ありがとう。明日放課後だね、待ってるよ(^^♪]
ボクはメールの内容にホッと胸を撫でおろした。
会ってくれることにはなったけど、なんて言えばいいだろう。
ボクは待ち合わせの場所に向かい、守野さんがボクの姿を確認した瞬間、助走をつけて殴りかかってくる姿を想像した。
会った瞬間に殴られるとかしないかな……守野さんボクより背高いし、ちょっと怖い……。
いや、少しは怒ってると思うけど守野さんがそんなことをするとは思えない。
明日は許してもらおうとは思わず、誠心誠意謝ることだけを考えよう。
昨夜は、どう守野さんと向き合っていいのか頭から離れず緊張もあってか、あまりよく眠れなかった。
どうにか朝方眠りに落ちて、いつもの時間にスマフォのアラームによって眠りから覚まされると普段より身体が重く、身体の節々が痛むように感じた。
まあ寝不足のせいだろう。
まだハッキリとしない頭を働かせてベッドから起き上がりボクはキッチンへ向かう。
システムキッチンのワークトップに置いた炊飯器の蓋を開けてご飯が炊きあがっていることを確認すると蓋は開けたまま炊飯器の電源を切り、昨日洗ってシンク横の水切りカゴへ置いたままにしてある二つの三角形をしたプラスチック製おにぎり型お弁当箱を炊飯器の横に出した。
このお弁当箱にご飯を詰めるとキレイな三角形をした一個分のおにぎりになる。
ボクはまず二つのお弁当箱の上で大きめにカットしたラップを被せ、お弁当箱の底へラップが付くように手で押したそれを手に持ち、水切りカゴの箸立てからしゃもじを抜き取って、炊飯器からまずはお弁当箱の半分の高さにご飯を詰めた。
次にボクは冷蔵庫を開けて、練り梅の入った瓶と塩昆布の入ったジップロック袋を取り出すと肘で扉を閉めて、ご飯を半分詰めたお弁当箱の前へ。
ジップロックを開けて塩昆布を摘まみ上げて片方のお弁当箱半分に詰めたご飯の上一面にまぶし指に付いた塩を舐めとると、瓶の蓋を開けて水切りカゴの箸立てからティースプーンを抜き、それを使ってもう片方のお弁当箱半分に詰めたご飯の上には練り梅を一面に塗り広げた。
スプーンを咥えて残った練り梅を舐めとりながら、再びしゃもじを手にして二つのお弁当箱よりも少し高い位置までご飯を詰めると、そのまま放置。
あとは湯気が取れたらラップを包み、少し高く盛られたご飯を圧縮するように蓋をしたら今日のお弁当は完成。
ボクはミトンを右手にはめると二つ分のお弁当箱丁度の量で炊いたため、キレイになくなった釜を炊飯器から取り出しシンクへ置くと、そこへ水を溜めて咥えていたスプーンもそこへ沈めた。
朝食は食べない派で、釜とスプーンは学校から戻ってからお弁当箱と一緒に洗うので、あとは身支度を済ませるのみだ。
ボクは洗面所へ向かった。
やはり身体がおかしいと思った。
学校に到着して二限目の授業が始まったあたりから突然体調が悪くなり、熱が急激に上がってしまった。
それを先生に申し出ると、一階にある大学保健室へ行くように勧められたのでボクは今その扉をノックしているところだ。
「どうぞー」
中から女の人が応えてくれたので、ボクは引き戸を開けて保健室へ入る。
ここへ来るのは二回目だ。
「あら綾乃さん、だったかしら」
健康診断のとき、ここで個別に対応してくれた常駐の看護師さんがデスクに付いたままこちらを向くとそう言った。
ボクの名前、憶えていてくれてたんだ。
「どうしたの……って顔が赤いわね、そこに座って」
看護師さんはデスク横に置かれたパイプ椅子を指してそう言うので、ボクはその椅子へ静かに腰を下ろした。
ボクの通っていた中学校の保健室より一回り大きい室内には三つのデスクと地震対策に天井へ突っ張り棒がされた薬品棚が三つ、ベッド三床、簡単な一口IHコンロと換気扇が付いた流し台があり、壁にはアルコールハラスメント防止、性病検査の勧め、アルコールパッチテストの案内など大学ならではのポスターが貼ってある。
その他にも臨床心理士によるカウンセリングは水・木とか、医師による診察は月・火などの案内も目についた。
看護師さんは自分のしていた仕事の手を止めて椅子から立ち上がり棚の前まで移動してガンタイプ非接触型赤外線体温計を持ってくると、その赤外線感知部をボクの額に近づけてトリガーを引いた。
すぐさま大きめのブザーが二度鳴ると、グリップ上部にあるモニターを看護師さんが確認し、
「三八度以上の熱があると、この音が鳴るの。三八度二分ね、今日はもう帰りなさい」
と心配そうに言った。
それは困る。ボクは放課後、守野さんと約束があるんだ。
「帰っても誰もいないので、ここで寝ててもいいですか?」
そう、もっともな理由で真意を隠してボクは看護師さんに聞いてみた。
「う~ん…そういうことなら、ここで寝てた方がいいかもね……」
看護師さんは棚の前に移動し体温計を元の位置へしまうと、別の引き出しから市販総合風邪薬の紙箱を取り出しPTP包装シートをミシン目で折り曲げ切り離してボクに渡した。
ボクは包装された二つの錠剤を右手で左手の平に押し出し、そのまま口に入れる。
そこに看護師さんが水を入れたコップをボクに渡してくれたので、水と一緒に錠剤を飲み込んだ。
「しばらくしたら眠くなると思うから、それで寝ちゃいなさい。ベッドはどれを使ってもいいし、私はここにいるからいつでも声をかけてね」
「はい、ありがとうございます」
ボクは窓から遠い廊下側に置かれたベッド横へ行き目隠しのカーテンを閉めると、まずはブレザーを脱いでハンガーに掛け壁のフックへそれを吊るした。
その後かけ布団をめくり、ベッドへ腰をかけ靴を脱ぐと足を上げてお尻で身体の向きを回転させ、そのまま倒れ込むようにして枕に頭を預ける。
ブレザーを脱いだら少し寒くなってきた。
ボクは布団を肩までかけて、天井の白に眩しさを感じ、目を閉じる。
少し身体が楽になってきたのは飲んだばかりの薬の効果か、それとも横になって休んでいるからだろうか。
この時間を使って昨日の夜に考えた守野さんに伝えようと思っている言葉を頭のなかで反芻しようとしたけど、頭がボーっとしてうまく文章が組み立てられない。
このままじゃ駄目だ、せっかく守野さんが会ってくれるのに、こんなんじゃなにも伝えられない。
薬の効果が現れてきたのと、さらに昨日の寝不足を原因とする睡魔に襲われてきた。
眠気にまかせて少し寝て、放課後に備えることにしよう。
ボクはだんだんと微睡まどろみの中へ落ちていく心地いい感覚を味わいながら意識が途絶えていった。
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