綾乃 晶 の 場合 04
春の日差しが心地よく、肌を撫でる風が気持ちいい。
時折強く吹く風はボクの白みがかったブロンドの髪をなびかせて悪戯に顔を打ち、露出した肌だけではなくスカートの中にまで侵入しては内太ももを撫でて通り過ぎていく。
ボクは辺りを見回してある人を探した。
待ち合わせの時間まではまだあるけど、もう来ているかもしれない。
到着するのが早すぎたかな?
現時刻を見ようとスマートフォンを取り出して電源ボタンを押すと、すぐさまボクの指紋を読み取りロックを解除するとホーム画面が表示された。
見ると、一件の受信メールがあるとの通知が。
ボクはその通知をタップすると受信されたメール画面に切り替わり、
[いつものカフェにいるよ。]
との短い内容を確認した途端、自然に顔が綻ぶのを感じながら迷わず歩を進めた。
ほど近い場所にあるカフェの敷居をまたぎ、店内のテーブルとテーブルの間をすり抜ける頃にはガラス越しのテラス席に目当ての人が座っている姿がもう見えている。
ボクはテラスへと続くガラス戸を押し開けて、その人の待つテーブルに歩み寄った。
その人は朱い煉瓦敷きのテラスでアルミ製のガーデンチェアに座り、右手人差し指と中指に挟んだ少し細めの葉巻を口に運び、煙を吐き出しているところだ。
「やあ、綾乃さん」
彼は横に立つボクに上半身ごと向くと、そう言ってアルミ製のガーデンテーブルに置かれた灰皿へ葉巻を横たわらせた。
テーブルの上には灰皿の他にプラスチック製の蓋がはめ込まれた紙コップが彼の前に一つと左隣の空席前に一つ置かれており、
「珈琲で良かったかな?」
ガーデンチェアを少し引き、ボクに座るよう促しながら聞いてきた。
「はい」
ボクはその質問に答えながら、テーブルと椅子の間に身体を滑り込ませスカートを折り込んで座ってしまわないように、尻からハムストリングスを撫でつけながら腰を下ろした。
彼はボクが座るのを見届けると灰皿の葉巻に手を伸ばし口へ運ぶ。
口に咥えられた葉巻は二秒ほど火種の赤さが増すと一呼吸置いてから煙が吐き出された。その後葉巻を再び灰皿へ横たわらせ、葉巻を持っていた右手で紙コップを持ち上げ珈琲を口に流し込んだ。
彼の喉仏が上下し珈琲が飲み込まれたのが見て取れる。
その一連の彼の動作を見惚れるように観察した後、眼前に置かれた紙コップの蓋にある閉じた飲み口を開けてボクも珈琲を啜すすった。
うん、ここの珈琲は美味しい。
ボクは袖が折り捲られ、あらわになった彼の左前腕部を、指の腹で手首から肘にかけて撫で上げた。
撫でられるのは、こんな太い腕を無防備にテーブルに置くのが悪い。
ボクは上目遣いで彼の顔を見るが、意に介したようでもなく自由な方の右手で珈琲を飲んでいる。
ボクは指の腹から手の平全体で彼の腕を握るようにして、手首と肘の間を往復する撫で方に変えると、手首から肘に向かうにつれて太くなる腕の感触を楽しんだ。
「喉仏、触っても良いですか?」
ボクは腕を撫でる手を止め、彼に聞いた。
「良いよ」
ボクは右手の人差し指と中指を伸ばすと、その腹で彼の喉仏にそっと触れて段差を確かめるように軽く上下を繰り返す。
喉から視線を下げると、彼の筋肉が発達した胸が目に入った。
「胸、触っても良いですか?」
「良いよ」
ボクは彼の胸に指先を当ててシャツの上から筋肉の膨らみを感じるよう全体を円を描くように撫でまわした。
膨らんだ胸を軽く押すと、ほどよい弾力で筋肉が指を押し返してくる逞しい胸。
「抱き付いても、良いですか?」
彼は軽いアルミ製ガーデンチェアの肘掛けを両手で握って軽く浮かせながら後ろに引くと静かに立ち上がり、
「良いよ」
と、軽く両手を広げてボクを待った。
ボクも立ち上がって待ち受けてくれている彼へ近づくと、両手を腰に回し顔の頬が逞しい胸に密着する形で抱き付いた。
ボクなんかとは全然違う男の身体に包まれている安心感と胸の高鳴りが反比例する。
心地いい、
もう少しこのままで、
珈琲の香りと、
葉巻の香りと、
彼の匂いに包まれていたい……
「ちょっと、さっきから高校生と何やってんのよ」
ボクはだんだんと意識がハッキリしていくのを感じ、
「最悪だ……」
と、微睡まどろみの中で呟いた。
ボクは午前の授業が終わるとリュックを持って、いの一番に教室を出て一階のカフェテリアへ向かう。
といっても昼食時間に教室を出るのはボクだけで、他のクラスメイトは持参したお弁当と水筒や登校時に購入してきたパンとペットボトル飲料を机に広げ、気の合う者同士賑やかに食べ、過ごしているようだ。
大学生の午前講義二限目が終わるよりボクたち高校生の午前授業終了時刻の方が二〇分遅く、もうカフェテリアの利用者数が少しは落ち着いてくる頃だが、速やかにカフェテリアへと移動し席を取るに越したことはない。
昼食時の賑やかなカフェテリアへ到着し、まずはなるべく日の当たらない空いている席を探すと、ついでに利用者の顔も見える範囲で見まわして一応あの人たちがいないか確認する。
相変わらずガラス面から差し込む光が眩しい造りの空間だ……。
今日もいないか。
ボクは胸が締め付けられるような感覚を無視しながら、日の差すガラス面から程遠いカフェテリア入り口付近、対面で椅子が二脚置かれた小ぶりな四角いテーブルの空席を確認すると、その椅子へリュックを置きリュック背面のチャックを開けて財布を取り出し食券販売機へ向かう。
食券販売機の前に立つとボクは迷わず、まずはキツネうどんのボタンを押すと液晶パネルに180と数字がデジタル表示され、次に小鉢と書かれたボタンを押すと表示された数字が210に変わった。そこでICカード読み取り部へ財布を押し当てると電子音の後、ワンテンポ遅れて取り出し口に落下した二枚の小さな食券を拾い上げた。
ここで神座さんの言葉が思い出される。
これからも見かけたら気軽に声かけてよ。
って言うからボクは登下校時だったり、トイレに行くときだったり、ここでご飯を食べるときだったり、ちゃんと探してあげてるんじゃないか。それなのに、その本人がいないっていったいどういうことなの? 実は講義にも出ない不真面目な大学生で、あの日ここで出会ったのは彼がたまたま数か月振りに大学へ顔を出したときだったの?
ボクは財布と食券を手に高く積まれたトレイの前に移動し、食券と財布、お箸と紙ナプキンも忘れずにトレイへ載せて、トレイが滑らせやすいよう三つの山がレールのように伸びたステンレス製の品出しカウンターへ。
今日の小鉢は……。
冷奴や温泉卵にひじきだったり調理場の気まぐれで内容の変わる小鉢のコーナーまでカウンターに置いたトレイを押し滑らせながら進めると、本日はほうれん草の胡麻よごしときんぴらごぼうの二種類が用意されていた。
これも迷うことなく、ほうれん草の胡麻よごしをトレイに載せると両手でトレイを持ち上げ、麺コーナーまで行ってキツネうどんを受け取りお茶を汲み、リュックで確保した席まで戻る。
ボクはトレイをテーブルにそっと置くと財布をリュック背面のチャックにしまい入れ、リュックと対面する形でもう一つの空いた椅子へと腰をかけた。
まずはほうれん草の胡麻よごしから、いただきます。
ボクはお箸で摘まみ上げたほうれん草を口に運んだ。葉を噛む音が口内から耳に響く。
甘くて美味しい。
炒ったすり胡麻の風味と砂糖の甘さがほうれん草のシュウ酸由来のエグみをマイルドにしてくれている。そして醤油の風味、甘じょっぱい味付けって好きだ。
ボクは一口胡麻よごしを堪能すると、キツネうどんのお揚げを均等に六等分にする作業に移り……お揚げとうどんを口内へと同時に啜すすり入れる。
こっちは砂糖の甘みだけじゃなく味醂みりんの甘さと、醤油と吸った出汁が合わさって複雑な甘辛さ。
ほうれん草の胡麻よごしとキツネうどん、この甘々な組み合わせは覚えておこう。
ボクは頬を膨らませ、うどんのコシを味わいながらそう思った。
入学式から一週間が経ち、大学キャンパス内で行う高校生活にも慣れ、高校の授業も本格的に始まってきた。
中学同様クラスメイトとも上手くやっていけそうだけど、性別を男から女にして入学したことによってクラスの男女とどう接していいのか分からずに男の輪と女の輪、そのどちらにも未だ入れないでいるボクがいる。
身体測定は個別にしてもらい、身長が伸びているか期待したが身長はそのまま、しかし増えても全く嬉しくもないし全く必要のないバストトップの数字だけが二㎝増えていることには納得いかなかった。
JIS規格で事細かに定められたブラジャーのサイズ表によるとトップとアンダーの差が一〇㎝のAカップから始まり、トップとアンダーの差が約二.五㎝広がるごとにカップのアルファベットが一つずつ上がっていく仕組みだ。
気になったボクはお箸を置き、スマートフォンの画面に出したブラジャーサイズ表に身体測定で変動したバストの数字を当てはめてみると……サイズが一つ上がっている……が、ボクはそれを見なかったことにして、再びお箸を持つとうどんを食べ進めた。
買い直すのとか面倒くさいし、してるのはスポーツブラだから今のサイズのままでも問題ないはず。
ボクは一度自分の胸元に視線を落とすと、一つ溜め息をついた。
このくらいの身体の変化はべつに無視できる範囲だ、どうでもいい。
ボクが気になっているのは今の精神状態が著しくおかしいことで……一週間前、神座さんと二人で話をしたときから何かが絶対おかしい。
あれからというものなぜか四六時中神座さんのことを考えては上の空になってしまったり、神座さんの手・手首・前腕部に胸元と喉仏の鮮明な映像記憶が頭から離れず、その映像が蘇る度にボクの胸はキューと締め付けられるような感じがして動悸がしてくる。
そしてあの悪夢だ……。
どうしてボクが普段着にスカートを穿いて神座さんと待ち合わせをしてカフェで隣同士に座っては珈琲を飲むだなんてデートみたいなことをしなきゃいけないんだ。
ボクは男なんだぞ、こんな身体をしてるけど将来は全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーみたいな身体になりたいって心から思ってる男なのにどうして……。
抱き付いても、良いですか?
良いよ
ここで突然、ボクの脳裏に今朝見た悪夢のワンシーンが蘇る。
うわわぁぁぁぁーーー………!!
ボクは心の中で叫び声を上げ、テーブルに突っ伏しそうになったが、うどんと胡麻よごしを守るためなんとか踏みとどまった。
なんだよあの夢、ボクが男の身体をベタベタ触るなんて……神座さんに会いたいのかな?
変な夢見るのも一向に姿を見せない全部あの人のせいだ!
ボクはお揚げとうどんを啜ると、どんぶりを両手で持ち上げて出汁を口に含み、頬を大きく膨らませて咀嚼した。
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