綾乃 晶 の 場合 02

 大学の図書館は今いるカフェテリアのある棟から連絡通路が繋がっているらしいのだけど、ボクは棟内をしばらく彷徨ってみるもそれがどこにあるのか分からず…一旦棟から出て外から向かおうと思い立ってスマートフォンから大学のホームページを開き大学構内見取り図を画面に映した。


 この棟と繋がっているのだから建物の周りを一周すれば辿り着くはずだけど、遠回りになるのは嫌だ。


 スマートフォンに映し出された見取り図によると棟玄関口を出て、右手に進むと図書館の入り口があるみたいだ。


 ボクは玄関へ急ぐと、外へ出る前にリュックから捻じった状態で四分の一に畳まれたつばの広いサファリハットと丸いフレームでブラウンの紫外線カット99.9%偏光サングラスを取り出し、身に着ける。


 日焼け止めクリームは塗ってあるけど極力日に当たりたくないし、外の光は眩しいので少しの距離でも帽子とサングラスは身に着けるようにしている。


 外に出る準備が整い棟から出て、しばらく歩くと外壁が煉瓦造りの図書館が見えてきた。


 大学ホームページによると、


 明治初期に建てられた本学校の図書館は日本建築学会から貴重な建築物としての指定を受け、国の登録有形文化財に登録されています。


とのこと。


 図書館を見上げてみるとなるほど、古い洋館造りの外観はネオ・バロック様式のウイング建築と年月を感じさせる朱色の煉瓦が相まって、とても重厚な存在感を醸し出している。


 数段の階段を上がり、出入口の雨除けも兼ねたバルコニーをくぐるとアーチ型の重厚な両開き木製扉を片側押し開けた。


 中に入るとそこは赤い絨毯敷きの吹き抜けのホールで、真っ先に目についたものは中央階段で、そこから階段を上ると踊り場からまた左右に伸びた両階段が続いており、二階の壁側に造られ手摺で囲われた廊下へと行くことができる。


 スゴイ、まるでバイオハザードの洋館みたいな造りだ……。


 ボクは入るなりゲームのワンシーンを思い出してしまう。


 玄関を入ったところにある立て看板には、


 土足厳禁。建物・本の保護の為、靴は下駄箱に預けスリッパを利用してください。


との注意書きがあった。


 大学の棟内は土足で入っても良かったけど、さすが重要無形文化財。ボクは靴を脱いで左手の一段高くなったフローリング部分へ上がり、箱に無造作に入れられたスリッパに履き替えると、何列も置かれたステンレス製の鍵が付いた下駄箱まで進み、下から四番目のボックスに靴をしまい入れ鍵を閉じて抜いた。


 ボクの身長では一番出し入れしやすい高さ、さっきの神座さんや守野さんだったらもう二つか三つ上のボックスが使いやすい高さなんだろうな……それどころかボクの届かない一番上のボックスですら使えちゃうんだからズルい……。


 手の届かないものを見ると、ちょっとネガティブになってしまう。


 ボクは握りしめた鍵ごと手をポケットに入れると、その中で投げ落とすように手を広げて鍵を落とし、先ほどから気になっていた玄関から左手に見た中央階段脇にある館内見取り図の前へと歩を進めた。


 見取り図によると一階図書館右翼に文庫・新書・雑誌等があるみたいなので右手にある長方形の木製ドアへ向かい真鍮のドアノブを握ってゆっくり回し引いて開けると身体を滑り込ませるようにドアを抜けた。


 ドアを抜けた場所からほど近い所には図書館司書が詰めて貸し出しや返却や事務作業をするカウンターが配置されているのがまず目に入ってきた。


「うわー」


 入室した右翼内部を見渡そうと目を左に向けると、ボクは思わず声を出して目の前に広がる光景に圧倒されてしまった。


 室内の中央部分には丸や長方形など様々な形をした複数人用・一人用の机が置かれた読書学習スペースが取られており、両壁側に壁と直角になる形でドミノをするかのよう等間隔に並べられた本棚がズラリと並べられている。


 室内の中央部分は吹き抜けになっていて二階部分は壁際から張り出したロフトのような造りになっており、吹き抜けの部分からは二階の床を囲む木製の手摺とそれを支える角形トップの子柱と広い等間隔で並んだ親柱の様が見えた。


 不思議なのは子柱の部分に目の細かい黒いネットが掛けられぐるりと一周覆われている事。せっかく吹き抜けの造りで解放感があるのに、わざわざそれを妨げるような事をしている。


 ボクは少し考え、俯うつむくとすぐにどうしてそうしているかの答えが分かった。


 そっか、スカートで手摺際に立つと、子柱の間から下の人に見えてしまうからか……ボクも慣れないスカートを穿いてこういった造りの場所に来たときは気をつけよう。


 ボクは蔵書の多さと内装の造りに圧倒され、しばらくドア付近で動けなかったが我に返った。


 さて、どうしよう……。


 図書館には来たかったけど、別に探している本があって来たかった訳ではなく、大学の図書館がどのようなものなのかを見たかったから来ただけで目的はもう済んでしまった。


 しかしせっかくなのでとりあえずカウンター横にある新聞と雑誌が置かれた一角に足を向ける。


 そこはバインダーに挟まれた数社分の刊行した本日の新聞が干されたタオルのように新聞掛けに掛けられていて、表紙が見えるよう収納されたディスプレイ型マガジンラックには政治経済を扱ったものから車バイク雑誌にカフェ巡りや料理に至る内容の雑誌が数多く揃えられていた。


 えー、大学生って新聞も雑誌も買わなくていいじゃん。


 大学生ではないけどボクはこれから、ここがいつでも利用できる事を素直に嬉しいと思った。


 何か面白そうな雑誌はないかな……あ……。


 色々なジャンルの雑誌が並んだ棚を見ながら、棚と平行にゆっくり移動していると今までボクが生きてきて全く必要の無かった、でもこれから必要となっていくだろう知識が取り扱われ記事になっているような一つの雑誌に目が留まる。


 レディースファッション雑誌……こういうのも読んで一応知識は入れておいた方が良いかもしれないな……。


 ボクは生まれて初めてレディースファッション誌を手に取り、利用者がまばらな読書スペースへ歩を進め、大きい長机の角に雑誌と、外した帽子とサングラスを置き、並べられた椅子に背負っていたリュックを下ろすと、自分は端の椅子へ座った。


 リュックとボクとで二つ椅子を使ってしまうけど利用者少ないし良いよね、隣に座ろうとする人もリュックでブロックできるし。


 ボクは大学名のハンコが押された表紙に指をかけて捲った。






 ボクは手に取ったレディース誌をまるまる読み切り、もう一冊、カフェの特集が組まれた雑誌に目を通してから図書館を後にすると、先ほどの棟へ移動しカフェテリアにほど近いスペースに入っているファミリーマートでブレンドSの紙カップを購入しているところだ。


「Suicaで」


 とボクは一言告げ、店員さんの簡単な操作を見計らってICカード読み取り部に財布ごと近づけると支払いが完了したことを知らせる音が鳴った。


 ボクは財布をリュックにしまって白いエンボス加工がされた紙カップを受け取り、レジカウンター端にある珈琲マシンの前まで向かうと、珈琲抽出口を隔てる透明なプラスチック製の扉を開けて紙カップをセットし扉から離した手でブレンドSのボタンを押す。電動ミルの作動音と珈琲豆を挽く音が響き、しばらくすると液体が紙カップを打つ音がし、それが液体が満たされる音に変わると抽出口からエアーが噴き出して「ピーピー」と電子音で珈琲が落ちきったことを教えてくれた。


 ボクは再びプラスチック製の扉を開けて珈琲の注がれたカップを取り出すと、珈琲マシン横に置いてプラスチック製の蓋を押し込むようにして紙カップを閉じた。


 これをカフェテリアに持って行って飲もう。


 ボクは珈琲を手に自動ドアが開け放たれたファミリーマートを出て、カフェテリアの方向へと進む。


 外で珈琲を飲むならコンビニの淹れたて百円珈琲が一番美味しいと思う、缶コーヒーは珈琲というよりもはや缶コーヒーという飲み物だし、カフェに入って美味しいとも思えない珈琲に三〇〇円ほどを出すなら、やっぱり安いのに美味しいコンビニ珈琲の方をボクは選んでしまうな。


 しかしレディースファッション誌があんなものだったとは……今まで男として生きてきて女のファッションなんて興味無かったから新たに知りえたことは確かにあったけど、特集で夏までに痩せたいダイエット方法の記事が良くなかった……。ラップを巻いてとか脂肪を揉んでつぶしてとか、レディース誌って未だに部分痩せ云々をまことしやかに取り上げてるんだね、部分痩せダイエットなんかできないことはもう世間の常識だと思ってたけど雑誌で堂々と取り上げちゃんだな。


 レディース誌という全く興味のない雑誌を端から端まで読み、レディース誌の闇を見た気がしてボクの頭は疲労困憊だ。


 早く珈琲を飲んで気分を変えリラックスしたい。


 ボクはカフェテリア内へ足を踏み入れると軽く辺りを見渡す。


 ランチタイムのピークは過ぎているとはいえ時間をずらして昼食を取る人もいるだろうしカフェテリア内には大学生の利用者がまだ多く、ボクは人と離れて静かに珈琲が飲める席を探すも、どこに座っても人との距離がさほど変わらない席ばかりだった。


 さてどこに座ろうか……そういえば、お昼を食べた時とは日の差し込み方が変わって、さっきみたいに視界が奪われるような眩しさは感じないな。


 ボクは太陽の位置を確かめるようにカフェテリアの一面を囲うガラスの外に目をやると、中庭のような造りになった場所にテラス席を見付けた。


 ここ、外にも座れる場所があったんだ。


 見ると、テラス席はガーデン用丸テーブルにガーデンチェア二つが四組あり、今の利用者は一人だけ。


 あまり日も差し込んでないし、あそこなら静かに過ごせるかも。


 ボクはガラス面まで行くとテラスへの出入口を見付け、その扉を押し開きテラスへ出た。


 そこは朱色の煉瓦敷になっていて一五畳ほどの広さを高さ二.五メートルほどの縦板張りウッドフェンスに三方が囲まれ、外とは隔絶されここもカフェテリアの中という意識が見て取れる空間だ。


 ここなら静かに過ごせそうだ。


 ボクは一人で座っている人と一番離れた椅子に座ろうと、その人の後ろを通ろうとした時、何かに気づいた。


 この人の背中、どこかで見たような気がするな……。


 ボクがそう思うと同時に椅子に座った、人がこちらを振り向き目が合った。


「あ……」


「あー、綾乃さんか」


 神座さんだった。彼は一人でアルミ製のガーデンチェアに腰かけ、アルミ製の丸いガーデンテーブルにはファミリーマートの赤いブレンドMの紙カップと灰皿が置かれている。


「あ、あの、それって……?」


 先ほどの別れ方もあってボクは神座さんの存在に少なからず驚いていた、あんな別れ方をしたのだ、普段のボクならすぐさまここを立ち去り隅っこで静かに珈琲を飲むことを決断しただろう、だけどその驚きを更に超える驚きと好奇心を神座さんは持っていた。


 さっきから葉っぱが燃えるような煙草のようなお香のような匂いがしていたと思ってた。


 誰もがその存在を知っているだろうけど実際に目にしたこともなく触れたこともない物が、彼の右手人差し指と中指に挟まれている。


「それは葉巻ですか?」


 ボクは神座さんの右手を指さして尋ねた。


「ああ、そうだよ」


 だよね、少し細いけど、そうとしか見えないもんね。すごい、葉巻吸ってる人なんて初めて見た。葉巻なんてハリウッド映画のエクスペンダブルズかゲームのメタルギアでビックボスが吸ってるところくらいしか見たことがない。


 葉巻ってどんななんだろう? 色々聞きたいなー。


「あ…あの、一緒に座っても良いですか?」


 あー、この人本当に男らしいな、背は高くて身体鍛えてて葉巻まで吸ってるなんて……。


「駄目だよ」


「え……」


「駄目、珈琲なら中で飲みな」


 優しい言い方だったけど即答でこんなにもハッキリ断られると心にくるものがあるな、断られるという可能性ももちろん頭にはあったけど……やっぱり昼食での態度が気に入らなかったのかな、確かにボクも大人げなかったとは思ったけど。


 神座さんが続けて口を開く。


「こんなことを言っても良いか分からないけど……」


 拒絶されるのは、やっぱり慣れない。


「綾乃さん、アルビノなんじゃないかな?」


 神座さんは先ほどより少し声の音量を下げて、気持ち顔を近づけてボクにそう言った。


「え……?」


「アルビノだったらあまり太陽の下にいない方が肌と眼の為だし、何より今この時間ここは喫煙所になっていて未成年は入っちゃ駄目なんだよ」


 神座さんはテラスとカフェテリア室内を繋ぐガラス戸横に置かれた立て看板を指さして、そう言った。


 神座さんの指先を見ると、なるほど今まで気づかなかったけど立て看板があり書かれている内容は、


 一四時からカフェテリア終了までテラスは喫煙可能になります、それに伴い未成年のテラス内への立ち入りは禁止とします。


とある。


「本当だ」


「だから、ごめんね」


 神座さんは自分が悪いでもないのにボクへ謝った。


「いえ、知らなかったものでボクの方こそすいません、すぐ退散しますね」


 ボクはガラス戸を引き開けて室内へと戻った。


 中を見渡すとカフェテリアにいる人数が少し減っている。ボクはガラス面から遠く、周りに人のいない四人掛けのテーブルを選ぶと手に持った珈琲をテーブルに、リュックを椅子に置き、自分も椅子へと腰をかけた。


 やっと珈琲が飲める。


 ボクはプラスチックの蓋にある飲み口を開けると、そこに口を付けて珈琲を啜った。


 珈琲を買ってからしばらく経ってしまっているので、舌を火傷するほどの熱さはもう無い。


 神座さん、ボクがガイジンとかハーフではなくアルビノだって気づいてたんだ……そういえば守野さんがボクの容姿をもの珍しげに羨ましいと言うのに対して神座さんはボクの容姿のことを一言も口に出さなかったな。


 ボクは自分で言うのもなんだけど、小鼻ながらに鼻梁が高く通っていて落ち窪んだ両目と堀の深い顔つきに、この肌と髪の色からいつもハーフや外国人と間違われる。街を歩いていると英語で話しかけられたり、お店で注文をするときに喋っただけで店員さんに驚かれたり日本語上手ですねと言われたりもする。


 神座さんとぶつかったとき彼は躊躇なく日本語でボクに話しかけてたけど、あのぶつかった一瞬でボクが日本人のアルビノだって分かってたのかな? だとしたらすごい人だと思う。


 ボクは紙カップを傾け珈琲を口に含んでから飲み下し、珈琲の香りが鼻から抜けるのを楽しんだ。


 出汁の話といい葉巻といい神座さんって不思議な人だ、ちょっと話をしたかったなぁ。


 ボクは手に持った紙コップをテーブルに置くと、それと同時にテーブルを挟んだ向かい側に人影が見え、赤い紙コップが中身があまり入っていないだろう乾いた音を立てて置かれた。


「待たせたかな」


 低すぎず高すぎない優しい声がボクの耳に響いた。

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