綾乃 晶 の 場合 00

 ボクは産まれた時から皆と違った。物心が付く前から何となく気が付いていたけど、初めて他人から指摘されたのは三歳の頃、お母さんと公園へ行った時だった。


 多分、当時のボクより一歳か二歳年上の男の子だったと思う、その子から「ガイジン」と言われた。


 四歳から幼稚園の年中さんに通い始めた時、入園式が終わって振り分けられた各組の教室に入ると「あの組にガイジンがいるぞ!」と誰かが大声で言ったとたん、ガラス戸で仕切られた教室出入口に年少・年中・年長さん全ての幼稚園児が大挙して訪れ大混乱に陥ったという経験もある。


 その後もボクは同じ組の子たちから「ガイジン」と言われ続けて、ボクの目の前で先生に「なんでガイジンが同じ幼稚園にいるの?」と質問をする子までいた。


 その子に取ってみたら悪気の無い純粋な疑問だったのかもしれない、いや…ボクの容姿に対する違和感が恐怖の感情になっていて、先生にその質問をする事で無意識にボクを排除、もしくはボクから守ってもらおうとしていたのかも。


 ボクは運動が得意ではなく外にはあまり出ない、幼稚園の自由時間も折り紙をするとか画用紙に絵を描いて過ごしていた。それも良くなかったんだと思う、容姿が皆と違うという事でボクの周りには誰も近づかない、それに加えて自由時間にも自分から積極的に皆の輪に加わろうとしない事が相まってボクには友達ができなかった。


 それどころか、お散歩の時間には園児男女二列に並んで手を繋いで歩くのだが、ボクの隣になった女の子は絶対にボクと手を繋ごうとはしなかった。「ガイジンと手を繋ぐのは嫌」なんだそうだ。


 お遊戯会や運動会に遠足など、ボクは同じ組の協力を得られないままに幼稚園のイベント事は過ぎていくだけ。


 特に楽しいと感じることもないまま幼稚園を卒園し小学校へ。


 小学校では何か変わるかもしれないと、密かに期待をして入学したけどクラスメイトからは「ガイジン」と呼ばれる事は止まらずに、むしろエスカレートした…。


 やはり人間っていうのは異物を排除しようとするのだろうか。ボクからのアプローチは全て無視、仲間はずれにされ、その代わりに容姿をからかわれ、消しゴムのカスやノートの切れ端を丸めたものなんかを投げつけられたり、ボクの居場所は小学校にもできる事はなかったんだ。


 ボクは次第に学校に登校する日が少なくなっていき、部屋に引きこもる事が多くなった。


 両親もやはり何かを察したんだと思う、考えられる理由はボクの容姿を見れば一目瞭然だから。


 両親はボクを無理に学校へ登校させようとはせずに、学校へ戻った時に勉強についていけるようにと問題集を買ってきては、お母さんがボクの勉強を付きっきりで見てくれた。


 ボクは勉強は嫌いではなかったし、学校に行かなくても良いのならと、お母さんに習いながら言われるままに問題集を解いていった。


 朝からお昼過ぎまで勉強、ボクは外に出ることはあまり好きではなかったし勉強が終わった後の娯楽といえばハリウッド映画かゲームだった。


 映画もゲームもアクションが好きで、色々なものを観たりプレイしたけど、存在感と印象に強く残るハリウッド俳優はアーノルド・シュワルツェネッガーだった、ボクが初めて名前を覚えた俳優でもある。


 ゲームでは『メタルギアソリッド』シリーズが一番のお気に入りだ、あの重厚な男臭くてユーモア溢れるストーリー、そしてスネークの存在。


 どちらも屈強で強い男が主人公のストーリー、映画やゲームの影響でボクも将来強い男になろうと密かに心に誓っていた。CIAやFBI、はたまた何らかの特殊部隊に入るのだって頭が良くなくてはいけない、強い男になるためにはもちろん勉強も不可欠だ。


 ボクはお母さんが出す問題集をどんどん解いていき、それがいつの間にか小学生の問題集から中学生の問題集になっていることも気が付かないまま勉強を続けた。


 小学六年生になった時、お母さんはボクに中学受験を進めてきた。私立の中学校へ行けば今通っている学校の同級生は居ないからと、試験は難しいけどあなたなら大丈夫。とお母さんは言ってくれた。


 今まで通りの勉強に受験勉強が加わったけど、そんなのボクにとっては難しくも何ともない子供騙しの問題だった。なぜこんな簡単なものが受験勉強なのかボクには考えも付かなかったけど、実際中学受験当日には簡単な問題しか出なかったし、ボクは試験を首席で合格して特待生として私立中学校へ入学することになった。


 中学へ入学して授業が始まりしばらくしてから初めて分かった事なんだけど、今までやってきたお母さんとの勉強が小学校の範囲ではなく中学校の範囲まで及んでいる事にやっと気が付いた。


 まるでお母さんと勉強した事を学校で復習しているような妙な感覚、すでにボクたちの勉強は高校の範囲まで行ってるそうだ、つまり中学の三年間は授業で復習をする妙な感覚から抜け出せそうにない。


 中学校生活を送るにあたってボクの一番の懸念だった事は、ボクの容姿をからかわれないか、クラスの皆がボクを迎え入れてくれるかだったんだけど、中学のクラスメイトは誰一人としてボクの容姿をからかうことなく皆が普通に接してくれて勉強で分からない事があった時などはボクを頼ってくれることもあるくらいだった。


 朝、担任の先生が教室に来るまでの何気ない友達との会話や、授業と授業合間一〇分の空き時間にする読書だったり、ほぼ固定メンバーで机を並べ向かい合わせての昼食時間にはお弁当のおかずを交換し合ったり、お昼の自由時間もボクはほとんど読書しかせず校庭へ遊びに行くクラスメイトの輪には加わらなかったけど、それを理由にボクを蔑ないがしろにしようとする友達は皆無だった。


 それが普通の事なんだろうけど、幼稚園・小学校でボクが受けていた扱いと比べると中学校生活にとても居心地の良さを感じていた。


 しかし中学1年生も二学期になった頃、いつからだったか前々から気にはなっていたけど太ったのかもと無視できる範囲で膨らんでいた胸が、どんどん大きくなってきた。それは周りの目を服の上からでも誤魔化せないほどに。


 それはボクの両親も、実は前々から気が付いていた事で、この身体の大きな変化が目に見えて起きた時、両親から衝撃的な事実を告げられることになった。


「あなたは両性具有なの」


 お母さんが言いにくそうに、でもボクの目を真っ直ぐに見つめながら言った。


 両性具有なんて言葉は、その時のボクには分からなかったので両親の見せている表情から、とても深刻な病気を患っているのかと一瞬血の気が引いた気がした。


「……りょうせいぐゆうって……?」


 ボクは恐る恐る病気の名前を口にして、両親にそれがどんなものなのかという意味を込めて尋ねた。


「あなたは男の子じゃないのよ…」


「えっ……?」


 ボクはお母さんが言っていることが良く理解できなかった。


「かといって女の子でもないんだけど……」


 お母さんはボクが抱える身体の不具合を説明してくれているけど、上の空になってしまっていてその時の記憶があまりない。


 だけどボクに起こっている身体の異変は両親からの話で全て説明が付いた。胸や尻が大きくなってきたこと、声変りをしているクラスメイトもいるけどボクはまだだ、そして身体が華奢で身長が低いのだってもしかして……。


 それにボクは将来、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じる主人公や、スネークのようなタフで屈強な男になりたかったんだ。華奢なのは筋トレをしてどうにかなると思ってた、でもボクは男ですらないなんて……。


 ずっと見た目が‹ガイジン›だから皆が受け入れてくれないのかと思ってた、でも見た目だけじゃなくて中身までボクは歪な存在だったなんて…。


 案外ボクを排除しようとした人間たちは見る目があったのかもしれないな……。


 ボクはそんな考えが思い浮かぶと、妙に納得して自嘲気味に薄ら嗤った。


 人生なんて上手くいかない、ボクは中学一年生の時点で‹男›になる夢が途絶えてしまったんだ。でもショックを受けてばかりではいられない。


 ボクはもう部屋の中に引き籠りたくなんてなかった、中学校には初めてできた友達がいるから。


「お母さん、ボクこの胸のことがバレないようにしたい」


 ボクはそれから学校へ行くときは胸つぶしという、その名の通り膨らんだ胸を潰してほぼ平らにできる強力なサポーターを胸囲に着用して通い周囲の目を誤魔化した。


 さすが男装コスプレイヤーご愛用のサポーター、服の上からでも目立つようになっていたボクの胸を全く目立たなくしてくれて、走っても全く胸が揺れることがないので便利だ。しかし胸部を絶えず圧迫しているので少し蒸れてくるのが煩わしいところ、それはハーフタンクトップタイプの胸つぶしサポーターからチューブトップタイプの胸つぶしサポーターに変えてもあまり改善はしなかった。


 日々が過ぎるごとにボクの胸もだんだん大きくなってきてしまい、胸つぶしを着用しても胸部を真っ平にすることが難しくなってきた。そして圧迫感がキツく授業と授業合間の一〇分休みにトイレの個室にこもって制服ワイシャツのボタンをはだけてサポーターの留めを外し圧迫から解放させたり、その間に胸や背中の汗を拭いて学校生活を続けていたけど、ボクには限界がきているように感じた。


 この私立校は中高大一貫で、ボクの成績ならエスカレーター式に大学まで進めるだろう。でもこのまま同じ友達と一緒に進学して、キツく絞められた胸のまま登校し続けるのは考えただけでも今の胸のキツさも相まって気持ち悪くなってくる……。


 中学はこのまま卒業したい、高校はボクの事を誰も知らない遠い所に行って……。


 そろそろ皆、進路を決めようかという時期、そんな事を考え始めている時だった。


「少し遠い所の高校だけど、国立大学進学科というものが新設されたみたいなの。あなたなら受験無しでうちの高校に入れるはずだけど、もっと上を目指しても良いんじゃないかしら?」


 リノリウム敷きの廊下でボクは担任の先生に呼び止められて、そんな提案と高校名の書かれた白い封筒に入れられた高校受験の資料案内を渡された。


 多分、友達の大半は、もしかしたら全ての友達はエスカレーター式にそのまま付属の高校へ進学するだろう。今までの友達と離れるのは淋しいけど、ここから遠くボクを誰も知らない高校へ入学して胸部サポーターを取り払うのも良いかもしれない……。


 ボクは家に帰ると高校受験案内と学校資料に目を通した。

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