守野 眞緒 の 場合 07
「ごちそうさまでした」
神座くんは手を合わせてそう言い、私が空にしたお皿と小鉢を自分が使った食器へ重ねると、それを両手に持ち立ち上がった。
私も神座くんと同じように「ごちそうさまでした」をしている時だったので慌てて、
「ご馳走になったんだし、お皿なら私が洗うよ」と言い、テーブルに手を置き立ち上がった。
「いいよ、食洗機に入れるだけだし」
神座くんはすでに二人分の食器をシンクへ置き蛇口からお湯を出していた。
「入れるだけなら、なおさら私が…」
私はキッチンへ回り込みながら言ったけど。
「いや、食洗機への入れ方にもコツがあってね、慣れてないと余計に手洗いしなくちゃいけなくなるから、おれがやるよ」
神座くんはそう言いながら、使った食器やまな板、フライパン等を軽くお湯で流し、予洗よあらいしていく。
「洗い物終わったらまた珈琲淹れるから、ゆっくりしてて」
私はダイニングテーブルへ戻り椅子へ座ると洗い物に立つ神座くんの動きを観察した。
神座くんの動きを見ていれば分かるけど、料理やその後の片付けもやり慣れてるんだな。
神座くんはすべての予洗いが済むと、シンク右下のビルトイン食器洗い乾燥機を引き出し、次々と食器を入れ器用に重ねていくと、最後にフライパンを入れて洗剤を投入する。
あとは電源を入れ、引き出された食洗機を戻し、もう一度スイッチを押すと、神座くんはスポンジを手に取り洗剤を垂らし泡立てて、パスタを茹でた鍋を洗い始めた。
ビルトインの食洗機って結構入るのね、まな板にフライパンまで入っちゃうなんて食洗機があれば、まな板除菌をやらなくて済みそうだわ。でもさすがにパスタ鍋は入らないわよね。
神座くんはスポンジで洗った鍋の泡をお湯で洗い流すと、ステンレス製の水切りカゴへ口を下にして置いた。
私は椅子から立ち上がり、再びキッチヘ回り込むと神座くんの隣、水切りカゴの前に立ち、そこにかけられていた布巾を手に取った。
「食器用の布巾ってこれでいいの?」
「うん、それだよ」
神座くんの返事を待ってから、私は今彼が洗ったパスタ鍋の水気を布巾で拭き取り始めた。しばらくすると洗われた鍋の蓋が水切りカゴに置かれたので、その水気も布巾で拭き取る。
「サンキュー」
神座くんは手の泡を水流で落とし、蛇口ハンドルを閉めてお湯を止めると布巾で手を拭きながら言った。
「本当はもっと手伝いたかったんだけどね、洗い物までありがとうございます」
ここでも、気が利く女アピールしておかなくちゃ。
神座くんは今私が拭いた鍋と蓋をキッチン下のキャビネットを引き出し、しまい入れる。
私は料理で使った黒胡椒とリンゴ酢が目に入り。
「これも片付けちゃうわね」
「ああ、ありがとう」
神座くんはしゃがんだ体制でキャビネットを押し戻しながら言った。
えーっと、たしか神座くんはここの棚から出してたような……。
私は自分の頭の高さより少し高い棚の扉を開けると……あれ? 黄色い袋がだんだんと近づいてくる……。
右手は棚の扉を開けるために取っ手へ、左手には黒胡椒とリンゴ酢の瓶、私は黄色い袋の正体に感ずく事はできても、どうしようもできないまま……。
「あー……」
バフッ! 私はそれをおでこで受け止めると私を中心に白い粉が舞い上がった。
「うぅぅー……」
神座くんが目を丸くしてこちらを見ている。
こんなにキレイにしてるキッチンなのに、小麦粉落して粉だらけにしちゃった……神座くん怒るかな……? さっきまであんなに女子力・有能・気が利くデキる女アピールしたのに、最後でこの失敗は恥ずかしいよ…。
神座くんは私を見ながら小刻みに肩を震わせてる。やっぱりこんだけ汚したら怒るよね…嫌われたくないな……。
「神座くん、ごめんなさい…」
「ブフーーーーッーーー!!!」
神座くんは突然息を拭きだすと、上半身をのけぞらせながら笑い始めた。
「眞緒、ごめん、ちょっとまって…」
神座くんは息も絶え絶えにそう言うも、笑い過ぎて立ってられないかのようにキッチン台に寄りかかりながらひたすらに笑った。
うぅ……私いったいどうしよう……。
動くとおでこや肩に乗った小麦粉が落ちてさらにキッチンを汚しそうで、まだ片手に黒胡椒とお酢の瓶を持ったまま固まっていた。
「ごめんごめん、この前クッキー作った時、袋のチャックをちゃんと閉めてなかったんだな。今掃除機持ってくるからもう少し動かないで」
え、神座くんが手作りクッキー? そこのところもうちょっと詳しく。
神座くんは私に背を向けると、もう一度笑いを噴き出してからリビングを出て行った。
怒られても仕方がないと思ったけど、神座くんは眉一つ動かす事無く一つの文句も言わずに、この状況を笑い飛ばし逆に謝ってくれた。そんな温厚な彼をますます好きになっちゃうじゃない。
「お待たせ」
神座くんはスティック型の掃除機を片手にリビングへ戻ってくると、そのままキッチンまで回り込んでコンセントへプラグを差し込み掃除機の電源を入れた。
モーター音が部屋に響くと、神座くんは私の足元の小麦粉を掃除機でぐんぐん吸い取っていく。
「しゃがんで、頭とか身体の小麦粉落しちゃいな」
私は言われた通りにその場にしゃがみ込み、頭や肩など小麦粉で白くなっている部分を軽く叩はたいた。
少し宙を舞う小麦粉を見て、ここでライターを点火したら粉塵爆発が起こったりするのかしら? と関係ない妄想が頭を過よぎるも、さすがに汚した張本人が何もせずに掃除をしてもらっている手前、そんな冗談を言う気にはなれなかった。
「今、掃除機のモーターがショートして火花散ったら粉塵爆発するかな?」
神座くんは新たに落ちた小麦粉を掃除機で吸い取りながら、冗談めかして言った。
考えてる事は一緒だったのね…。
「とりあえず、こんなところだろ」
神座くんは掃除機の電源を切った。
「ホント、ごめんね…」
「こっちこそごめん、悪いのは袋のチャックをちゃんと閉めてなかったおれなんだし、笑っちゃったし…」
この状況、むしろ笑ってくれて良かったよ。
「シャワー浴びてきなよ」
うん、だから一緒にシャワー浴びよ……。
「え、シャワー⁉」
「うん」
神座くんは自然に答えたけど。
「シャワーなんてそんな、まだ早いっていうか、その心の準備ができてないっていうかー……」
私は大袈裟な身振り手振りを加えて言ったあと、胸に手を当て神座くんを上目遣いで見た。
「いいから浴びてきなって」
「えっと……」
私の顔をしっかりと見て言う、神座くんの意思の強さが伝わってきた。
分かったわ…私、シャワー浴びてくる。そして今夜は神座くんの……。
「鏡見る? 今の眞緒すっごい状態だよ」
「え……?」
あー、そうだったわ…そりゃ頭から小麦粉を被ればスゴイ状態になってるわよね……。
「わかった…シャワー浴びる……」
変な勘違いをしちゃった私のバカ。
「浴室案内するから来て」
神座くんは私に背を向けて歩き出し、リビングを出て玄関を右手に見た廊下突き当りにある引き戸を開けて私に入るよう言った。
引き戸を開けた右手壁側には洗面台と、その横にドラム式洗濯乾燥機、その横に畳まれたバスタオルとハンドタオルが置かれたスチール棚があり、左手には三分割されフロストガラスが入った浴室への引き戸が見えた。
「今着替え持ってくるから、まだ服脱がないでよ。洗濯するなら洗濯機放り込んどいて」
神座くんはドラム式洗濯乾燥機を指して言った。
「洗濯は家でやるから、大きいビニール袋頂ちょうだい」
「わかった、少し待ってて」
引き戸を閉めると、神座くんの足音が遠ざかって行った。
「は~~……」
私は大きく溜め息を吐つくと白い陶器製の広い洗面台に手を付き鏡で自分の顔を見る。
たしかにスゴイ顔だわ……何というか髪も顔も首も胸元も服も全部真っ白ね……。
こんな顔を神座くんに見られるなんて、私のバカ…今日一日だけで何回恥ずかしい思いをしたのかしら。さすがにもうこれ以上恥ずかしい思いをする事はないよね。
「眞緒、入るよ」
引き戸ごしから神座くんの声。
「うん」
さっき、まだ服を脱がないでと言って出て言った神座くんだけど、入る前にちゃんと声をかけてくれるなんて素敵な対応よね。
神座くんは引き戸を開けて入ってきた。その手には畳まれたパーカーとジーパンを持ち、その上には畳まれ結ばれて小さくなったスーパーのビニール袋が乗っている。
「お待たせ」
「ありがとう」
私は着替えを神座くんから受け取り、洗濯機の上へ置いた。
「タオルはそこにあるの勝手に使って。じゃあごゆっくり」
神座くんはサッサと洗面所兼脱衣所から出ていくと、引き戸を静かに閉め、遠ざかる足音から多分リビングまで戻っていったんだろう、ドアの開閉する音がすると静かになった。
私はビニール袋を持つと浴室の引き戸を開けて服のまま浴室へ入り、そこで白いフワッとしたワンピースを脱いで、軽く振り軽く叩はたくと結ばれたビニール袋を解ほどいて丸めたワンピースを入れ、口を縛った。
掃除機のモーター音がドアと廊下を隔て、聞こえてきた。
やっぱりさっきの掃除だけじゃ、ちゃんとキレイにならないわよね。後でもう一回謝らなきゃ。
私は下着姿で浴室から脱衣所に戻り、丸めたワンピースが入った袋を洗濯機の上に置くと女性ホルモン剤で膨らんだ胸を覆う後ろ留めのブラジャーを外し、ショーツを下げた。
理由はどうあれ、まさか神座くんの部屋で全裸になる日が来るなんてね。それも初めてお邪魔した日に。
湧き上がる恥ずかしさを抑えながら下着を洗濯機の上へ置くと、私は浴室へ戻りシャワーフックからシャワーヘッドを手に持ち、お湯の設定温度が四〇℃にされているのを確認すると、蛇口ハンドルを捻った。
水流を壁に向けシャワーヘッドから出る水が温かくなってきたところで、肩に当てる。
はー、気持ちいい。
思えば何で神座くんって、私にあんなに自然に接してくれるんだろう? 悲しきかな神座くんが私のような人間を恋愛対象に見てくれてる訳でもなさそうだし、ただ友達として馬が合うと思ってくれてるだけなのかな? まあそれでも嬉しいんだけど。
それか私みたいな人間を、ただの珍しい観察対象として見ていて仲良くしてるフリをしてるだけとか……いやいや、だから神座くんに限ってそんな事ないって……。
うーん、シャワーを浴びてる時ってたまにネガティブな方向に思考が傾く時があるのよね。
私は頭よりも高い位置にあるフックへシャワーヘッドをかけると、頭から温水を浴び始めた。
次第に髪の表面からお湯が浸透し始め、髪全体、そして頭皮にまで十分にお湯が行き渡ると、顔に張り付いた髪を後ろへ撫で付けた。
ネガティブじゃないか……。自分が傷つきたくないからワザと最悪なパターンを頭のなかで先に考えておく癖、嫌な自己防衛を覚えちゃったな…。
私は水流を顔に直接受けて、軽く擦りながら小麦粉を落としていく。
あ、お化粧……お湯で擦っただけじゃ落ちきらないし、今は石鹸で洗って、帰ったらちゃんとクレンジングで落とさなきゃ。神座くんの部屋にまさかお化粧落としのクレンジングなんてあるはずないもんね。
神座くんにはすっぴんを見られちゃうけど、たまにお化粧なしで大学に行って彼には何度も見られてるし大丈夫。洗顔フォームとかないかな?
私は備え付けの上下に広く間隔を取った三つの棚を確認すると、コンディショナーinシャンプーのボトルが私では少し高い位置の棚に一つと、鏡の前に張り出した棚にはソープディッシュに置かれた石鹸だけ。
神座くんって頭はコンディショナーinシャンプーと身体は顔も含めて石鹸派なのね。
神座くんの私生活が知れてちょっと嬉しい、どこのシャンプーなんだろう。
私はメーカーを確認しようとシャンプーボトルを持ち上げてみると、シャンプーボトルに隠れるように置かれた小さなポンプボトルが目に入った。
「あれ、これって……」
ボトルを目にした瞬間、息が詰まり胸の中で心臓が一度大きく跳ね上がるの分かった。
私はまずシャンプーボトルを棚に戻し、大きく息を吐きだすと、恐る恐る小さなボトルに手を伸ばしていく。
ちゃんと確認しなくても分かってる…だって、ドラックストアでよく見てるし……。
私は小さなポンプボトルのノズル部分を指で釣り上げるようにして、棚から持ち上げた。
「…っ………」
目頭が急に熱くなり、シャワーヘッドから放出されるお湯よりも、少しpHの高い雫が頬を流れ落ちた。
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