守野 眞緒 の 場合 06

「案外すぐに終わっちゃったねー」


 私は丁度いい具合に冷めた二杯目のブルーマウンテンの入ったカップを持ち上げながら言った。


 私と神座くんは言ってみれば真面目な大学生であって三年生ともなれば、ほぼ必修講義とゼミくらいしか取るものがなく、大学に行く日も講義を選べば週二日にもできたけど、私と神座くんの興味のある講義内容を吟味した結果週三日となったが、かなり余裕のある時間割になった。


 一年生二年生の時にたくさん講義を取っておいて良かったよ。


 仕事を終えた後の珈琲は美味しい。


「週三日の登校か、でも講義はないけど大学の図書館に毎日通う事になったりするんだろうね」


 神座くんはサーバーの珈琲を自分のカップへ注ぎ切りながら言った。


「う…確かに……でもそれが私たちのやりたい事だからね」


 そう、私は色々知りたい、勉強したい、大学院まで進んでもっと専門的な事にも取り組んでいきたい。


「そうだね、学生の本分は勉強だからね」


 神座くんもそう言ってカップに口を付けた。彼も一仕事終えた後の珈琲を美味しそうに飲んでる。実際神座くんが淹れた珈琲は美味しいのだけど。


 バルコニーを見ると少し日が傾いてきていた。一ヶ月くらい前だともう少し暗くなっていただろうか、もう四月に入って日も長くなってきているのをここにきて実感した。


「さて、やる事やったし、私はそろそろ帰るとしますか」


 足元のバックを膝に乗せると、重ね整えた用紙をバックへ滑り込ませながら私は言った。


「夕飯食べていきなよ。簡単なものしか作れないけどさ」


「え…いいの?」


 神座くんは椅子から立ち上がり、キッチン側へ回り込むと冷蔵庫を開けて中身を確認した。


「カルボナーラでいいかな?」


「えっと……うん」


 何この嬉しい展開は、大学で逢って、東京タワーで手を繋いで、神座くんの部屋で珈琲淹れてもらって、あまり長居しても悪いしそろそろ帰ろうと思ったら「夕飯食べていきなよ」ですって。


 この自然な流れって、私たち本当に付き合ってるみたいじゃない。夕飯を二人で食べた後ちょっと良い雰囲気になって「私、今日は帰りたくない…」なんて言っちゃったりして…。


 私は自然と顔がにやけてきたのに気付き、悟られないよう両手を頬に添えて咄嗟に表情を隠した。


 神座くんはそんな私を気に留める事無く、黙々と深い鍋に八割ほど、蛇口から水を溜めてコンロの五徳へと静かに置いた。


 そしてキッチンのワークトップにまな板・包丁・ボウル・パルメザンチーズ・黒胡椒と、冷蔵庫から出した卵・ベーコン・キャベツ・ニンジン・新玉ねぎを次々に置いていった。


 なんか色々出てきたけど。


「ねえ、その野菜は何に使うの?」


「ああ、キャベツその他があったからコールスローも作ろうと思って。トウモロコシがないから代わりに新玉ねぎを賽の目に切って入れます」


 なんと「カルボナーラでいいかな?」と聞かれたから、てっきり茹でたパスタにレトルトのカルボナーラをかけただけのものが出ると思ったけど…神座くん、手作りカルボナーラソースだけでは飽き足らず、ちゃんとサラダまで作ろうとしてくれるなんて……スゴく嬉しい、そして料理できる神座くん素敵。


「私も手伝うね、キャベツとニンジンは千切りでいい?」


 私も腕まくりをしながら椅子から立ち上がり、神座くんのいるキッチンまで入った。


 神座くんはキャベツを一枚一枚剥いて流水で洗っているところだった。


「ありがとう、じゃあ洗ったキャベツ千切りにしてくれる? おれはニンジン洗って皮剥くからあとでそれも千切りにしといて」


「まかせて」


 あー……キッチンに神座くんと二人で立つ日が来るなんて。そしてここのキッチンは結構広いけど、やはり作業スペースは限られてる訳で、さっきから私と神座くんの距離が近い…。私、今本当に幸せだわ。


「神座くーん、切ったキャベツはそのボウルに入れていいの?」


 私はステンレス製のボウルに顎を向けながら尋ねた。


「うん、そこ入れといて」


 私は千切りにしたキャベツが乗ったまな板を持ち上げボウルの上で傾けると、そこへキャベツを移した。


 その後、神座くんが洗ってピーラーで皮を剥いたニンジンを千切りにする。ニンジンは赤く目立つのでキャベツに対して少量で十分。


 神座くんは鍋を置いたコンロに火をつけ蓋をすると、キッチン台下のキャビネットからもう一つステンレス製のボウルを取り出し、そこへ卵を二つ割り入れお箸で縦にかき混ぜ、白身と黄身が均等に混ざったところでパルメザンチーズをそこへ投入し再び混ぜ始めた。


「神座くん、ザルとお塩くれる」


「ちょっと待ってな」


 神座くんはボウルを置き、キッチン下キャビネットからザルを取り出し私に渡すと、別の小さな引き出しから塩と小さじスプーンの入った四角い透明なプラスチック容器を私の近くに置いた。


「ありがとう」


 私は千切りにしたキャベツとニンジンをザルに乗せ換えボウルに沈めると、軽く塩を振り蛇口からボウルに水を張る。


 そうする事で塩水から上げた時、野菜から余計な水分が抜けてコールスローが水っぽくなりにくくなる。


 キャベツとニンジンを漬けている間に、私は新玉ねぎを七~九ミリ角の賽の目に切り始めた。


 鍋のお湯が沸き始めると、神座くんは先ほどの塩を鍋に入れ煮立ってから二人分のパスタを掴み、少し捻じりを加えてから静かに鍋の中心へ落した。するとキレイに鍋のふち全体に広がるようにパスタが倒れ、黄色い花が咲いたようになった。


 やりなれてるわね、鮮やかだわ。


 神座くんは茹でられ少し柔らかくなったパスタをトングで掴み曲げるようにして全てお湯に沈めると、フライパンを取り出し中火にかけた。


「ベーコンなら切っておいたわよ」


 私は切ったベーコンを乗せた、まな板を持ってコンロ前に立つ神座くんの隣に行くと、


「もうフライパンに入れちゃっていい?」と聞いた。


「じゃあお願い」


 神座くんがそう言うのを待って、私はまな板を傾けフライパンの中へ包丁を使って切られたベーコンを流し込んだ。


 ベーコンが焼ける音が響く。


 ふふん、女子力と有能アピール。


「そういえば、カルボナーラって言ってたけど牛乳も生クリームも使わないのね」


 私は神座くんがさっき作っていた、ボウルの中身を見ながら言った。


「本場イタリアでは牛乳も生クリームも使わないんだってさ、使うのはフランス風だとか」


「へーー」


 私、フランス風の方しか知らなかった。


「そして何より、手抜きができる。パスタが茹であがったら、そのボウルに入れて炒めたベーコンとまぜて黒胡椒を振って終わりだよ」


「そうなの⁉ フライパンでパスタと和えながら炒めるのかと思ってた」


「もちろんフライパンで炒めても良いんだけど、おれは手抜き料理しか作らないから」


 神座くんは笑いながら言った。彼は手抜きと言うけど、ちゃんと作ってて私はそうは思わないけどね。


「私、コールスローに味付けしちゃうね。マヨネーズは冷蔵庫?」


「うん、勝手に開けて探して。味付けは眞緒のお好みでお願いします」


「りょーかーい」と言いながら私は奥のコンロから、キッチン出入口にあるシンクの壁側に置かれた冷蔵庫へ移動し、マヨネーズを取り出した。


 さっき塩水に漬けておいたキャベツとニンジンの入ったザルを上げ、シンクで水を切った後、広げたキッチンペーパーに中身を空けると上からもう一枚キッチンペーパーを被せ、軽く水分をふき取った。


 その後、水分をふき取ったボウルにマヨネーズ・塩・胡椒を入れ混ぜる…あ、お酢と砂糖も入れたいな。


「神座くん、お酢と砂糖ちょうだい」


「はーい」


 神座くんは先ほど塩が入っていた引き出しから砂糖を、壁側にある棚からリンゴ酢を取りだし持ってきてくれた。


「期待してますよ」


 神座くんはニッコリしながらそう言って置いてくれたけど、さっき珈琲を淹れてくれた時のお返しかな?


 私はさらにお酢と砂糖を加えると少し混ぜ、水気を拭き取ったキャベツとニンジン、そして玉ねぎをボウルに入れ、お箸で絡めるように混ぜ合わせた。


 これでこっちは完成。


 あとは……。


「あー、それでいいや、そのザルをシンクに置いてくれる」


 神座くんはコンロの火を止め、茹だったパスタの入った鍋を持ち上げながら言った。


 私はザルをシンクに置くと蛇口から水を出し、鍋から流したお湯の熱で排水管が痛まないようにした。


「サンキュー」


 ここでも私料理してます有能アピール。


 神座くんはザルにパスタを空け、軽く湯切りするとカルボナーラソースが入ったボウルに投入しトングで軽く混ぜ合わせる。


 すると、神座くんは食器棚からパスタ用のお皿二枚とサラダ用の小鉢二つを出すと、小鉢を私に渡し、彼はパスタをお皿に盛り黒胡椒を振ると、


「完成」


と笑顔で言った。


「こっちもサラダ盛ったよ」


「じゃあ、食べようか」


「おーー! 食べよーー」


 私はテンション高めに拳を突き上げながら言った。


 神座くんはカルボナーラが盛られたお皿を持ち、私はコールスローの盛られた小鉢を持ち、ダイニングテーブルへ。


 神座くんは対面に座るようにお皿を置き、私は隣同士に座るように小鉢を置いた。


 あれ?


「近くに座ろうよ」


 私は対面に置かれたカルボナーラを横に並べるように置くと、椅子もそのように移動させた。


「あー、そうしようか」


 神座くんは一度キッチンに戻り、フォークとスプーンを握り再びテーブルへ戻りながら言った。


「はい」


 神座くんは柄の方を向けたフォークとスプーンを私に差し出してくれたので、私はそれを受け取る。


「じゃあ…」


 神座くんは椅子に座りながらそう言い、


「いただきます」


と片手にフォークとスプーンを持ったまま手を合わせながら言った。


「いただきます」


 私も神座くんに倣ならい一度手を合わせると、さっそく本場イタリア風のカルボナーラをスプーンの上で巻いて一口。


「美味しい、パルメザンチーズと卵だけでも結構濃厚感があるのね」


「でしょ。眞緒のコールスローも美味しいよ、砂糖を入れると一味違うんだな」


 二人がそれぞれ分担して違うものを作り合い、一緒の食卓で食べるなんて、もうこれ夫婦じゃない。私いつ神座くんと結婚していつから同棲してたんだっけ? この後お風呂入って一緒のベッドで寝るまでを自然にできちゃいそう…でもそれはできない。


 本当に今日は夢みたいな一日だな、このまま時が止まってしまえば良いのに。


 この後の人生、何か嫌な事が起きるくらいなら、今この最高の瞬間に隕石が地球に落ちて、一瞬で死んだことも分からないまま人生が終わってくれれば……。


 私は横目でフォークに巻かれたパスタを口に運ぶ神座くんを見た。


 大丈夫、これから嫌な事があったって、これからも神座くんと一緒に居れば平気、そしてまた神座くんと今日よりもっと楽しい思い出を作って生きたい。


 私と神座くんが将来どうなっていくのかなんて、そんなの分からないけど……そんなの分からないから、神座くんとの一瞬一瞬を頭に焼き付けていくんだ。


「あっ!」


 神座くんが何か重要な事を忘れていたかのように、少し大きい声を上げた。


「ど、どうしたの?」


 何か今日、約束でもあったのかしら……?


「あー……せっかく二人で初めて作った夕食を、カメラに残すの忘れてたー……」


 あーーっ、と唸りながら天を仰ぐと片手で両目を覆い、心底残念そうな仕草を取った。


 神座くんの食器を見ると、カルボナーラもコールスローもキレイに平らげてしまっている。


 もう、そういうところだぞ。神座くんのそういう事を思って、言ってくれるところが大好き。


 でも私も言われて初めて気付いたわ……頭に焼き付けるのも良いけど、正直料理の画像、残しておきたかったわ……。


 残念だったけど、コールスローが空になった小鉢を見るだけでも嬉しさが込み上がってくる。


「料理、また一緒にしましょう」


 私はテーブルの上に並んだ空になった食器をスマフォで上から撮影した。


 次こそは盛られた料理を画像に収めるためにも、ね。

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