守野 眞緒 の 場合 03

「そろそろお茶にしようか」


 大展望台を一周、更にもう一周して景色を満喫したあたりで神座くんがそう言った。


 普通の部屋としては広いけど、限られた狭いフロア内をゆっくり二周をしただけで不思議と脚が疲れる。


 普段大学の教室移動の方が階段もあって歩数も多いと思うんだけど、いつものペースよりゆっくり歩くと変に疲れるのが不思議なのよね。


 私と神座くんは、まだ繋がれた手のまま二人並んでカフェテリアへ向かった。


 今まで大展望台を周回していた時も見えていたけど、ここのフロアには手すりで囲われ一段高くなったカフェテリアがある。一段高いのでゆっくりと座って軽食や飲み物を取りながらでも景色が楽しめる作りだ。


「おれは珈琲を、眞緒は何にする?」


「じゃあ、私も珈琲」


神座くんは「オッケー」と言い「珈琲二つ」と店員さんに告げた。


「さっきのお詫びも兼ねて、ここはご馳走しますよ」


 神座くんはそう言ったけど、さっきのって…? あー、透明床で私がやらかした一件…思い出すとまた恥ずかしくなってきた…。


「えっと眞緒、もうガラス際からも離れたし、そろそろ手を離してもらっても良いかな? 財布も出せないし…」


 神座くんは困ったように、繋がれたままの手を私の顔の高さまで持ち上げながら言った。


「あ…」


 また急激に顔が熱くなった気がする…。


 そっか、あれからずっと手を繋いだままだったんだっけ。嬉しくて「離して」って言われるまでずっと握っててやろうと意識して握ってたんだけど、いつの間にか変な緊張も解けてこの形が自分の中で自然になってた。


 でもこれは次回からも神座くんが自然に手を繋いでくれる距離感になったのでは、と私は嬉しく思った。


「じゃ、じゃあせっかくだし、お言葉に甘えちゃうからね」


 私は、多分赤くなっているだろう顔を見られないように神座くんとは逆方向を向いて言った。


「はいはい。珈琲受け取ってから行くから、先に良い場所に座っといてよ」


「はーい」


 いい席、いい席は……うーん、ここかな。


 私は椅子を引いて座り、隣の椅子を引いて座りやすくしてからバックを膝の上に置いて神座くんを待った。


「あれ、ここで良かった?」


 私が座ったのはカフェエリアの端っこ、手すり際に設けられたカウンターテーブル席。


「ガラスとも一番近い位置だし、ここなら二人で景色見ながら座れるでしょ」


 私は青い紙の珈琲カップを二つ載せたトレイを持ち、上から訪ねてきた神座くんに顔を向けて言った。


 丸テーブル席もあるけれど、やっぱりここが一番景色の良い場所。それと横に並んで座るしかないカウンター席なら否応なく隣同士に座れるしね。


「確かに、そうだな」


 神座くんは私の下心なんかまるで察する事無く、少し引いておいた椅子とカウンターとの間に身体を差し入れ、トレイを静かに置いてから自分も座った。


 トレイには紙カップの他にも紙ナプキン・マドラー・スティックシュガーとクリープも載っている。


「ふー、やっと当初の目的を果たせた」


 神座くんは一息吐いて「妙に疲れた」と後に続けた。


 普段運動してる神座くんでも、ここを二周しただけで疲れるのね…東京タワー恐るべし。


 そういえばここへは珈琲を飲みに来たと言っていたけど。


「ねえ、なんでここで珈琲なの?」


「あー、まだ言ってなかったね」


 神座くんは、まだ湯気の上がった青い紙カップを鼻まで持ち上げ、一度香りを聞いてから一口啜った。あまり良い顔はしてない…。


 こういう所の珈琲の味は、ね……。


 私はまだ熱いうちにスティックシュガーの封を切って中身を珈琲の中へと流し込み、細くて軽いプラスチック製のマドラーで珈琲の中に円を描いた。


「昔、1889年のパリ万博に向けてエッフェル塔が建築されていた頃…」


「え………?」


 あまりにも突拍子もない話の皮切りに、マドラーで珈琲を混ぜる手が止まった。


 な…突然何を言い出すのかしら、神座くんは…?


「当時パリに鉄の塊が建つなんて多くのパリジャンパリジャンヌが反対してね、多くの著名人が署名する建設反対の声明文なんて出たり、そりゃもうパリの嫌われ者の建築物だったんだよ」


 と、とりあえずパリ万博の話ね…。


「へー、意外……ルーヴル、ノートルダム寺院、エトワール凱旋門、そしてエッフェル塔と、パリの名所と言われる中には必ず出てくるのに」


 もちろんパリの有名な建築物や広場などはそれだけではないけど、確かにエッフェル塔だけ時代が浅いわね。


「もともと古くから残る石造りの街の中に突然どの建物よりも高い鉄塔が建つとなったからね、パリの景観を愛する人たちはエッフェル塔をバベルの塔なんて呼んだりして、それは嫌ったらしい」


 ふーーん、と私は一口珈琲を啜った。お世辞にも美味しいとは言えない味だ…。


「でも建てちゃったんだね」


 それは現在のパリを見ても明らかだ。


「パリ万博が終わったら取り壊すなんて話も出てね、実際は壊さなかったんだけど。面白い話はここからでさ」


 神座くんも紙カップを持ち上げ珈琲で口を潤した。


「エッフェル塔建築反対の声明文にも署名したギ・ド・モーパッサンといういう人が居たんだけど、塔が建ってからよくエッフェル塔内のカフェテリアで昼食を取る姿が目撃されるようになったんだ」


「えー、なにそれー」


 私は笑いながら言った。


「なんでだと思う?」


 うーん、一回上ってみたら景色が良くて気に入っちゃったとか? それとも…


「カフェテリアのウエイトレスさん目当てとか?」


 少し悩んでから神座くんに答えたけど、答えは違うんだろうな。


「モーパッサン曰、パリでここが唯一エッフェル塔が見えない場所だからだ。って言ったんだよ」


 あー、なるほど。


「逆転の発想ってやつね」


 古き良き保護された景観の街並みで、突然建てられた今まで景観保護の為の高さ制限をオーバーする鉄塔。パリの中ではかなり目立ったと思うけど確かにエッフェル塔内部に入ってしまえばエッフェル塔を見る事はないか。


「その話を聞いた時、東京タワーが思い浮かんでさ。絶対に東京タワーが見えない場所で珈琲が飲みたくなったんだよ」


 神座くんは紙カップを少し持ち上げながら、そう言い終わると珈琲を口に含んだ。


 そんな話でわざわざ東京タワーまで珈琲を飲みに来ちゃうなんて、まるで行動力のある子供みたい。神座くんにもそんな一面があったなんて、それを知れただけでも私は嬉しい。


 ところで、さっきから気になっているのだけど…なぜ神座くんは話の途中から椅子ごと私の方を向いて座っているのだろう…?


「か、神座くん…せっかくなんだし景色見ながら珈琲飲もうよ…そんな見られると…」


 あー、隣同士でこんなに見つめられて…私が神座くんを近くで見るのは良いの、私から抱き付いたりするのもね。でも逆に見つめられちゃうのは恥ずかしい…顔の毛穴とか目立ってないかしら、ファンデーションちゃんと伸びてるかな…。


 自分の粗がどんどん思い浮かんできちゃう……。


「いや、見つめる為に眞緒の方を向いてるんじゃなくて、ここカウンターの下が狭くて膝や足がすぐ手すりにぶつかって窮屈なんだよ。だから身体の向きをそっちに変えただけ。そういえば…」


 神座くんは私の気持ちも知らず話を続ける。


 私が神座くんを好きな事もあるけど、神座くんには私をドキドキさせる天性の才能があるよね。


「東京タワーでも面白い話があってね、大展望台から上の建材が米軍払い下げの旧式戦車を溶かしてできた物なのは有名な話だけど」


 え、なにそれ知らなかった…有名な話なの?


「戦車を買って、いざ解体…となった時、戦車の装甲が硬すぎて切れなかったんだって。だから急遽アメリカの製造元まで行って解体法のレクチャーを受けてから日本で事に及んだらしいよ」


 神座くんは色んな話を知っている、一つの事柄を掘り下げて話をする事もできるし、そこから話を枝分かれして発展させる事もできる。そんな神座くんの話を聴いているのは好き。彼と居るだけで知らなかった事を知れる。


「だから東京タワーって結構良い鉄が使われてるんだよね」


 神座くんが色々喋ってくれて、話を聴いて知識が増えるのはすごく楽しい。彼も私なんかといて退屈はしてなさそうなのがとても嬉しい。


「さてと、目的は果たした訳だし。思ったより早く済んだから、どこかで珈琲を飲みなおしながら講義の履修科目の選択を終わらせないか?」


「そうね、もう景色は満喫したし、取る講義は早めに決めておきたいものね」


 私は残った珈琲を飲み干し、すでに空になっていた神座くんのカップに重ねてトレイを持ちながら立ち上がった。


「おれが…」


「良いわよ」


 トレイを返し、私は神座くんと並びエレベーターへ。上りと同じく、下りのエレベーターも待つ事なく丁度到着したものに乗ることができた。


 そしてなんと、そのエレベーターに乗ったのは私と神座くんの一組だけ。


 エレベーター内の係員さんが「ドアが閉まります」と言い、手袋をはめた手でパネルを押すと私と神座くんと係員さん三人だけの空間になった。


 エレベーターが下りだしたのが少し軽くなった重力で分かった。エレベーターのガラス面からはぐんぐんと近づいて来る地上が見える。


 この中で、下に着くまでの時間だけなら良いよね。


 私は係員さんにあまり顔を見られないように俯きながらエレベーターに乗ったし、エレベーターに乗ってからはずっと外の景色を見るふりをして、やはり係員さんから顔を見られないようにしてる。


 大丈夫、私が×××なんてバレてない…今ここで自分から手を繋いでも神座くんが変に思われることはない。だから東京タワーの最後の少しの時間、手を繋いで終わりたいな。


 私はゆっくり手を伸ばし……


 私の指先が神座くんの手の甲に振れた時だった。


 伸ばした手に暖かい感触。


「やっぱり高い所怖いんだな」


 神座くんは私の手を握り、笑いながら「急に無口になるんだもんな」と頭一つ背の低い私に笑いかけた。


 嬉しくて、嬉しくて…。


 私は神座くんに寄りかかるように身体を預け、彼の顔を少し見上げながら


「ありがと」


と言った。


 神座くんは「どういたしまして」と返事をしたけど、私の「ありがと」の意味は分かってないんだろうね。

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