守野 眞緒 の 場合 02

「今日は車で来てるんだ?」


 私は神座くんが生徒用駐車場の方へ歩いて行こうとするので、彼から一歩後ろの位置から聞いた。


「そう、だから車で行こうか」


 神座くんは私の方へ振り向くとそう言い、彼は私が隣に並ぶように少し歩調を緩めた。


 神座くんはロードスターというスポーツカーに乗っている、しかもそれはオープンカーで二人乗りという絵に描いたようなスポーツカーだ。彼は普段大学へは自転車で通っているのだけど雨の日や荷物が多い日などは車で通学をしている。


 私も大学へは自転車で通っていて雨が降るとバスで通学する、そうすると帰りは優しい神座くんが、よく車で私のアパートまで送ってくれる。


 私はこのイベントが好き、だって狭い車内に二人っきりで私と神座くんだけの時間がそこは流れているから。


「鍵開いたよ」


 神座くんはドアの鍵穴から鍵を抜き、運転席ドアを開けながら言った。


 神座くん曰く「前世紀に製造された車だからボタン一つで鍵が開け閉めできる機能なんて付いてない」だそうだ。その言葉で真っ先に私の頭に思い浮かんだ車はヒトラーもお世話になったかもしれないフォルクスワーゲン旧ビートルで、目の前の九七年製スポーツカーとのギャップに思わず息が噴き出して一人笑ってしまった。一世紀は長いものね。


 見ると神座くんは長身で厚みのある身体を器用に慣れた動きで運転席へ滑り込ませていた。


 私も助手席のドアを開け車に乗り込もうとするけど、車高の低い車なので乗り込み難い。今日着てきたワンピースがさらにその難易度を上げている。


 あまり脚を開けないロングスカートだから神座くんがした様に先に片足をフロアーに入れてから身体を滑り込ませる動きは出来ないし…。


「お尻だけ先に入れて座ってから身体の向きを変えれば良いよ、その時車高が低いからスカートの裾が地面に触れないように気をつけて」


「んっ?」


 えーっと、じゃあまず両手で裾を軽く持ち上げてシートにお尻を向けてゆっくりお尻を下ろそう…そろそろ後ろに転がっちゃうかもってところでお尻にシートが触れ私は安心して腰を下ろした。


「なるほどー」


 私は正しく助手席に収まりドアを閉めると、右手を革張りのハンドルに乗せこちらを伺っていた神座くんに顔を向け乗れたアピールをした。


 狭い車内、少し顔を伸ばせば神座くんの顔…。


「乗り難い車でスイマセンね」


 神座くんはセルを回しエンジンをかけながら言った。


「かわいい車だから許す」


「この車かっこいいと思うんだけどなー…」


「ちっちゃくてかわいいよ」


 神座くんは「そうかなぁ」と少し腑に落ちない様に呟きクラッチを踏みシフトを入れるとロードスターを発進させた。


 神座くんはいつも二速発進だ。




 大学構内駐車場から出て、もうしばらく走っている。


 神座くんの運転はいつも心地いい。


 スピードも速過ぎず遅過ぎず、ブレーキや赤信号からの発進もマイルドで、MT車なのにAT車よりシフトチェンジが滑らか。運転は人を現わすと言うけれど、神座くんはまさにこの車の運転のような優しい人なんだなと思う。


「で、私をガラスの籠から連れ出し、どこに連れて行ってくださるおつもりか?」


 私は芝居がかった口調で、シフトノブに手を置いている神座くんに尋ねた。


 ガラスの籠? と神座くんは少し思慮した顔になったけど、すぐにそれが大学のカフェテリアだと気づいたみたいだ。


「ちょっと面白い話を聞いたからベタな所だけど行ってみたくなってさ、でも一人で行くのは気が進まなかったんだよ」


「ふ~~ん、それで私を誘ってくれるなんて嬉しいわ。ベタな所でも期待しているわよ」


「ご期待に添えれると嬉しいのですが」


 神座くんも私に合わせて少し芝居がかった口調でそう返した。


 そんな事を言ったけれど、本当は神座くんと一緒ならどこだっていい。目的地なんてなくったって、この狭い二人だけの車内で神座くんの奏でるエンジン音とマフラー音、振動を共有できていればそれだけでも幸せなの。


 「神座くんって飛ばしたりしないのに、何でスポーツカーを買ったの?」


 いつも優しい運転をしてくれる神座くん、その心地良さにそんな疑問が湧いてきた。


「速いからとか飛ばしたいからとかじゃなくて、小学生の頃この車を初めて見た時、純粋にかっこいいと思ったんだ。それで免許を取ったらあの車に乗ってやるぞーってずっと思ってた」


 あの頃の光景や気持ちを思い出したのか、神座くんは少し高揚したように話し始めた。


「でも車なんて免許を取るまで全く興味がなかったんだ、この車のメーカーや車名も知らなかったけど、たまに走っているのを見ていたし、ずっと形が頭に残っていたし、有名な車だから調べるのは簡単だったよ」


「意外だなー、こんな車乗ってるから昔から車好きなんだと思ってた」


 神座くんの事を知れるのは嬉しい、もっともっと色んな事を知りたい。何で今までこんな事すら知らなかったんだろう…。私も車の事は全く興味がないし、こんな疑問すら思いつかなかったのよね。


 人を知るには話題や知識も必要なんだ。私ももっと視野を広げて疑問や話題を振れるようにならなきゃ、好きな人の事を知るためにも。


「そろそろ着くよ」


 神座くんの言葉で車高の低い車に座った視線から外の景色を見渡す。


 実はさっきからチラチラ見えていたけどド直球でベタな所に行くのかしら。


「芝公園の桜を見に来たのね」


 今の時期なら桜も咲いて公園内もピンクでキレイなんでしょうね。二人で肩を並べて桜を見て歩くなんて、まるで恋人同士じゃない。


「芝公園の桜も見えるだろうけど、おれ達が行くのはこっちだよ」


 神座くんは交差点を曲がり、係員のいる駐車場へ車を止めた。


 「あー、こっちだったのね」


 そこは東京タワーの駐車場、神座くんは係員さんから「エンジンを切る際はサイドブレーキをしっかり引いて、バックギアに入れてから車を降りてください」と車の窓越しに説明を受けていた。


 前にインプレッサがサイドブレーキ不十分で動き出し建物に衝突したことがあるんだそうだ。確かに駐車した箇所には結構な傾斜があって、その先にはタワーの脚にまたがれた建物がある。


 神座くんは係員さんの言う通りにし「行こうか」と車のドアを開けた。


 私も続いて車を降り、最低限の強さでドアを閉めた。神座くんはそれを見計らって鍵を閉める。


 阿吽の呼吸って感じがして、この一連の動作が好き。


「んーーーーっーー」


 私は大きく伸びをしながら、あらためて地面から生えた巨大な脚とそれが支える赤い鉄塔を見上げた。


「やっぱり真下で見ると大きいねー」


 多分東京タワーへ来る度に行ってる言葉な気がする。


「ホント、デカいよなー。そしてやっぱり形と景観はスカイツリーより東京タワーの方が好きだ」


「あ、それ分かる」


 神座くんも同じ感想を持ったみたい、そして東京タワーのデザインの方が好きなもの私と同意見で嬉しい。


「スカイツリーの形と色とライティングは少し違うわよね」


 まだ駐車場なのに、こんなに楽しいなんてやっぱり東京タワーってすごいんだな。


 そういえば面白い話を聞いたから行きたくなったって言ってたけど、ここで何かイベントでもあるのかな。


「とりあえず登ろうか」


 私たちは大展望台までのチケットを購入して、入場すると待ち時間もなくエレベーターへと乗ることができた。


「で、何か東京タワーでイベントでもあるの?」


 私は遠ざかっていく地上をエレベーターのガラス越しに見ながら神座くんに言った。


 別にイベントなんかなくても良いのよ。ただ眞緒とここからの景色を共有したくて、なんて言ってくれても良いんだからね。


 神座くんが「実は」と口を開いた時、エレベーターの扉が開き大展望台のフロアが広がって一緒に乗り込んでいる係員さんが「大展望台でございます」とドアを扉を押さえて、出るように促した。


 四方をガラスに囲まれた地上150メーターのフロア。


 そういえば、さっきガラスが多用された大学のカフェテリアをガラスの籠と形容したけれど、むしろこっちの方が宙にぶら下げられたガラスの籠の様だわ。


「実は、ここへは珈琲を飲みにきたいと思っただけなんだ」


 わざわざ入場料を払ってしたい事が、ここでお茶したかっただけなの? でもそれはそれでスゴくオシャレな気がする。


「でもせっかく来たんだし、一回り景色も楽しもうか」


 そう言って、私と神座くんは並んでガラス際をゆっくりと歩いていく。


 遠くまで見通せる景色がキレイ、そして…


 私はカバンからスマフォを取り出して景色を撮るフリをしながらガラスに薄く映った私と神座くんとのツーショットをカメラに収めた。


 一緒に写真を撮りたいと言っても断られないだろうけど、人のいる所でイチャイチャして私のせいで神座くんが変な目で見られるのが嫌だからね。


 私、まわりからちゃんと女の子と見られてるかな・・・。


「あっちにスカイツリーが見える」


 私の心配と気遣いをよそに神座くんは普通に話してくれて、隣で腕から伸ばし遠くを指差した。


 本当に楽しい時間。腕を組みたい、せめて手を握りながらフロアを歩いて回りたい。大学内や外でも二人きりの時なら冗談交じりで抱きついたりできるんだけど、こういう所では勇気が湧かない。


「眞緒さー、ここ乗れる?」


 神座くんが早歩きで先を歩き出し、一部透明になった床で立ち止まりながら少し意地悪な顔で言ってきた。


 大展望台にある透明な床、そこから下を見れば当たり前ながら真下が見れる訳で……。


 私は絨毯張りの床際から透明になった床を覗き込んでみたけど…


「ちょっと、怖いかも」


「せっかくだし乗ってみなよ」


「いや、う~~ん…」


 尻込みする私に神座くんは軽く笑った。


 神座くん、実はSっ気ある・・・?


「ほら、手握っててあげるから」


 えっ?


 神座くんは垂らした私の腕から手を取り「ほらっ」と自分の方へと引き寄せた。


 透明な床に片足が付くけど、この勢いのままだと……ここで踏みとどまらなきゃ、でも…。


 神座くんの胸まで数十センチ、それがだんだん近づいてくる、まるでスローモーション、あと数センチ・・・


 私の顔・上半身は神座くんの胸に収まっていた。


「ンーーーーー!!!」


 自然と込み上がる声を上げながら、カクンと膝の力が抜けるのを感じた。


 事故とはいえこんな所でこんなに密着できるなんて…。


「おっと!」


 神座くんは、膝の力が抜けて崩れ落ちそうになった私の身体の腰を抱き上げ、更に自分へと密着させた。


 はああぁぁぁぁーーー! もう彼に抱かれたまま死んでもいい。


「いや、ごめんごめん…まさかこんなに怖がるなんて」


 今、顔を見られたくない……絶対変な顔してるし。


 私は神座くんの胸に顔をうずめたまま、必死に頭を再起動させて・・・え、私まだ神座くんに抱かれたまま…


「うわーー‼」


我に返った私は神座くんを押しのけようとしたけど彼の手が腰にあるので、その効果は薄く、ただ慌てふためく様と顔を見られただけだったと思う…。


「あー、ごめん。怒ってるだろ…顔が真っ赤だ」


 え、赤い? 恥ずかしい……違うのこれは怒ってるから赤いんじゃないの、神座くんのせいなのは間違いないんだけど、でも…


「もう、急に引っ張って! 怒ってないし怖くなんてなかったけど、手はしばらく離さないんだからね!」


嘘、付いちゃおう。


「本当にごめん」


 神座くんは本当に申し訳なさそうに謝ってたけど、心臓が未だかつてないほど跳ね上がったのは事実だしね。


 神座くんは私の手を軽く引きながら透明な床に背を向けてゆっくり歩きだした。


 私は神座くんと繋がれて引かれている手をまじまじと見る、まだ顔が熱く赤いのが分かる。


 スマフォ…はバックの中か、繋いだ手を写真に収めたかったけど、手を繋ぐのは今回が最後じゃないしね。でも今日の事は絶対に忘れない。


「あっ、あれ知ってる?」


 神座くんは眼下を指さし、


「まだ昼間だから分かりにくいと思うけど、左右に首都高が走ってて、それと交差するように人の字みたいな道路が走ってるでしょ」


今言った道路をなぞった。


「うん」


 神座くんの言っている道路は太く、この高さからでもよく分かった。


「なんとなく東京タワーの形に見えない?」


「あー、言われてみればなんとなく」


「これが夜になると車のテールランプの赤で道路が染まって、形だけじゃなく色まで東京タワーみたいに見えるんだよ」


 あー、なんとなく分かる。


「そうなんだー、じゃあ今度は夜にも来ようよ」


 一度だけ夜に東京タワーへ上がった事はあるけど、そんな話知らなかったからその光景を教えてくれた神座くんと見てみたい。


「そうだな、昼間もキレイだけど、夜景もキレイだからね」


「うん、また来よう」


 私は繋がれた手に少し力を入れて握り返しながら言った。

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