第33話 倒置法と過去の自分と現在の自分は入り組んでいる

「子供はもう寝る時間よ」

こんなことを言う大人はよくいるが、最近気づいてしまった。気がついてしまった。

このセリフを吐いている時間は、大概、大人も寝るべき時間なのだと…


このような宇宙の神秘に気づく者と気づかない者に分けると、ボクという人間は気づかない側の人間だと思っていた。

でも、それは違ったようだ。

とうとうボクも気づく側の人間になってしまった。

グローインアップしてしまった。

なんだろう?急に周りの景色が違って見える。

「今夜も月がきれ…あ、曇ってるや」


まぁしかし、これは喜ばしいことであるが、反面悲しいことでもある。

例えるなら手品にタネがあることを知ってしまったときの気分だ。

子供のときはまるで魔法のようにしか見えなかった手品が、大人になった今はどうやっているのだろうと考えてしまうように…

純粋さがボクの中から消えて行く。


…前振りが長くなってしまった。

久しぶりにここに来たのではりきってしまった。

ここに来た…ということはまた思うところがあるのだ。

ちなみに今まで書いた内容はどうでもいいことだ。

もちろん、これから書く内容もどうでもいいことである。


現在、深夜1時。

間違いなく子供も大人も寝る時間だ。

さっさと書いて寝よう。


冒頭に

「子供はもう寝る時間よ」

と書いたが、

「もう寝る時間よ、子供は」

という書き方もあるわけだ。倒置法というやつですな。

ちなみに「倒置法」という単語もこの記事を書き終えたらきっと忘れてしまうのだと思う。


まぁ「倒置法」という単語は忘れてしまっても、この表現は日常茶飯事使っているわけだ。気づかぬうちに。

そして、こういう文章を書くときも。

文章を書いているときはちゃんと気づいて使用していることが多い。

「どうやったら一番伝わりやすいかなぁ?」

そうやって考えているからだ。

でも、これに戸惑う。


以前、句読点の記事のときにも書いたが、過去の自分と現在の自分。

同一人物であることは間違いないのだけど、意見の相違が度々起こる。

「あれ?なんで俺この言葉を後ろに持ってきたんだろう?」

文章を書き終えて、読み返していたときに30分前の過去の自分と異なる意見を出す。

この時、ボクの脳は現在の自分の意見を採用する。過去の自分の意見は間違っていると思うからだ。

だから当然文章を訂正する。


しかし、3日後。

「あれ?やっぱり前の方に持ってきた方がいいじゃん」

そんなことを思うてしまうのである。


別に他人様から見ればなんともないのかもしれない。

でも自分にとって、その一文に躓くような、ノイズが走るような感覚がするのである。


これは別に倒置法限った話じゃない。

「何卒…お願いします…」

「お願いします…この通り」

後からもっといい表現があったと思うことがざらにある。


「優柔不断な男は嫌いよ!!」

女の人がそう思う気持ちが今なら分かる気がする。

ボクも優柔不断な自分が嫌いである。


過去の自分と現在の自分、一生分かり合えない気がする。同じ自分なのに…

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