第25話 自分の感覚
ボクは普段の会話の中で、時々くだけた表現を使う。
使った方が会話が楽しくなるからである。
これは自分の感覚でくだけた表現を使うべきタイミングを判断している。
しかし、この自分の感覚を執筆活動のときに使えるのかどうか?
今のボクには自信が無い。
何回も出して申し訳ないが、くだけた表現の「ん」は普通に使う。(第3話)
これはもうボクの中でくだけた表現じゃない。
ボクが言うくだけた表現というのは、
「なんですかぁ~、こりは!!」
といったようなくだけた表現というより、ふざけた表現だ。
これを使っていいのか?使っちゃダメなのか?
それで迷っているわけではない。
ボクの答えは「使っていい」と出ている。
じゃあ何で迷っているかというと、
この表現を使ったとして、読む人が違和感を覚えないかな?と心配になることだ。
文章を書く上でボクが気を使うのが「誤字」
もちろん読み返すときも必ず誤字がないかチェックする。
みなさんも経験があると思うが、本の内容が面白くて気分がノッて来ると、読むスピードが速くなる。
まるで文字を追い求めるように、食い入るように読む。
しかし、そんなノッている時に誤字が見つかると急ブレーキを踏まれたような感覚になる。
せっかくお話の中の世界に飛び込んでいたのに、現実に引き戻されたような気分になる。
このボクのふざけた表現が読む方にとって「誤字」と捉えられ、気分を下げていないか心配になるのだ。
現実世界では間違いないと自信をもって使っているのだが、この世界では全然自信がない。
「いいよね?いいよね?使ってもいいよね?」
そんな疑心暗鬼になりながらふざけた表現を使っているのだ(笑)
他にも地の文で「怒っている」の前に「プンスカ」を入れてみたり。
けっこう無茶な書き方をしている。
小説ではないのだが、昔「北斗の拳」という兄弟喧嘩が世界を巻き込んだ壮絶なマンガで、ザコ敵が倒されるときの断末魔の叫びが非常に面白かった。
有名なのは「ぶべら~!!」だが、他にも「ちにゃ!!」という表現など面白いのがたくさんあった。
人が死ぬときにそんな断末魔を叫ぶことは多分ない。
しかし、敢えて断末魔の叫びをそう表現することで一つの楽しみとしてボクは読んでいた。
結局のところ答えは出ている——ボクの自由なのだ、どう書いても。どう表現しても。
「北斗の拳」のように断末魔の叫びのように表現したいように書けばいいのだと思う。
それが受け入れられるか、受け入れられないかはまた別の問題なわけで。
自由でいいのだ、自由で。
ただ、読んでいただく方のことも忘れずに敬意を払い、上手く折り合いをつけながら書いていきたいなと思う。
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