第6話
「あの、何故ここが?」
「それも含めてですね、お話がしたいんですよ。ちなみに私の後ろに居るのが弁護士と児童虐待……」
「結構です!」
由花子は勢いよく扉を閉めようとするが、こういった現場に慣れている春彦は既に扉に足を挟みそれを拒んだ。
児童虐待と言うフレーズを使ってしまった伴は自身の失言に『やってしまった』という顔をするが、春彦が上手くフォローをする。
「奥様、私達は貴方の味方です。今日は西園寺先生ではなく、貴方の味方で参ったのです」
「弁護士先生が、うちに何か御用なのでしょうか?」
その『味方』と言うフレーズに、ほんの少しだけ由花子は警戒を解く。
「由花子さん、話をしてもらえませんか?」
「お話することなど……ありません」
今しかないと言うタイミングで、伴は数枚の写真を由花子へ見せつけた。
そこに写っている隆太の痛々しい痣のアップを見せつけられた由花子は恐怖に顔を引つらせた。
「どこまで……一体いつ? どうして?!」
「あ、おにいさんとおねえさんだ」
「やっほー隆太君。遊びにきたよー」
中々に母親が戻って来ない事を心配した隆太が玄関へと現れる。
混乱と恐怖で頭が回っていない由花子はその表情のまま振り返り、とても見せてはいけない顔を我が子に見せつけてしまったのを即座に察し、表情を作り直す。
「奥様、許可なく我々が入れば不法侵入になってしまいます。ただ、先ほどの写真を然るべき所へ出せば『効力』が発生します。我々はそれを望んではいません」
春彦のトドメとも言える発言に、由花子は観念した表情を見せる。
「どうぞ、何もありませんが……」
とりあえず第一関門を突破した4人は、江口家へと足を踏み入れることに成功した。
『本当に何も無いな……』
言葉に出す事は非常に失礼に当たるため、心の中で伴は呟いた。
それ程に江口家は、とにかく何も無いのだ。
4LDKの間取りでいて、10畳はあろうかと思われるリビングには、場違いに小さなちゃぶ台がポツンと置かれている。
それ以外にはある程度の生活必需品しかなく、何故か50インチのテレビだけがドデンと鎮座しており、その存在感は圧倒的であった。
「お茶を淹れたいのですが、カップが3つしかありませんのでどなたかご希望の方はいらっしゃいますか?」
「「いえ、お構いなく」」
その3つのカップを使用したいと願うものは誰もいなかった。
「隆太君、あっちでお姉さんと遊ぼっか?」
「うん」
どう考えても、そのちゃぶ台に車座になるしかないのだが少し無理がありそうだ。
まことは由花子のプライドを傷付けぬよう、機転を利かせた。
そして、申し訳程度の茶菓子のみがちゃぶ台に置かれた所で、ちゃぶ台を囲むように4人が座り込む。
由花子はその痛々しい口元の絆創膏が恐怖で揺れるのを必死で抑えていた。
「由花子さん、単刀直入に言います。貴方は夫に暴力を受けてませんか?」
「……受けてません。私達は幸せに家庭を築いています」
「では由花子さん、その口元の怪我はどうなされたのですか?」
「これは……転びました」
「では、少し質問を変えましょう。隆太君の痣はどう説明されますか?」
「…………言いたく……ありません」
「隆太君に直接聞いても、そう答えますかね?」
「……もう、許して下さい」
「はい?」
「もう許してッ! 西園寺先生、貴方に脅迫したのは謝ります。だからお願いします。もう私の家族に関わらないでッ!」
堪えきれなくなったのだろうか?
由花子はとうとう声を荒げ、この話し合いを拒むように突っ伏してしまった。
「ママ、どうしたの? ママ、ごめんなさい、ママ」
「……うう、うああああああッッ!!」
隆太は、母親の様子がおかしいと、まこととの遊びを即座に切り上げ近寄った。
その優しさに由花子は隆太を抱きしめ、決壊してしまった。
「お願いよぉッ! もう帰って、私の家族に近寄らないでッ! 私達は幸せです! 何も無いのッ! 幸せなのよぉッ!」
「ママ、ママ」
「奥様、落ち着いて下さい。我々は……」
「いやぁあああああああッッッッ!!!」
もう聞いていられないと伴達は、そう思っていた。
特に、まことはその異様な光景に既に涙ぐんでいる。
ただそれでも伴は隆太の事を考えると、このままにしておく訳にはいかなかった。
『出来れば、使いたく無かったが』
伴は『黒革の手帳』と『赤い万年筆』を取り出す。
今回は小銭は必要ない。何故なら、これ程にも近いのだから……
『本当の事を言え』ーー
伴は、そう書いた紙をそっと肩を抱くようにして由花子に近付ける。
ヒュンと吸い込まれたその紙を見届けると、伴は先ほどと同じ質問を繰り返す。
「由花子さんその口元の傷は、どなたにやられたのですか?」
「……お……お」
由花子はそのどうしようもない力に全力で挑む。口をパクパクとさせつつ、必死で抵抗していた。
『凄い精神力だ』と伴は素直に感動する。
どうしても『それ』を言いたくないのだろう。ただ、伴もこの悲しみを早く終わらせたかった。
「もう一度聞きます! 由花子さん、誰にやられたんですか!?」
「…………お」
「由花子さん! お願い言って! 隆太君のためにも、お願い!」
「…………お、お…………いや……」
その時突然、隆太がその小さい体で母親をギュウと抱きしめた。
それは、きっとどんな魔法だろうが異能だろうが溶けてしまうような、温かいものであった。
「ねえママ、痛いの僕のせいなの? ごめんなさい、ママ」
「…………お…………」
「夫……です…………夫に……やられました」
極度の寒さから身を守るような姿勢で、由花子はその事実を口にした。
それは、今まで頑なに守っていた『何かが』瓦解しているようでもあった。
「奥様、我々が味方と言うことを証明しましょう」
後は、春彦の独壇場であった。
その日のうちに由花子と隆太はシェルターに移り住み、由花子にはDVのカウンセリングなど手配を済ませていた。
隆太の幼稚園や職場斡旋なども、近いうちにやっておくとの報告を伴は受けた。
そして、あっという間に1週間が過ぎたーー
ーーーーーーーーー
「まことー、ちょっと出掛けてくるわ」
「え? そんなに私とデートしたいんですか? やだなー美容室行かなきゃなんで前もって言ってくださいよー」
「悪い、一人用だ。すぐ帰ってくるから、お土産だけ受け付けてやる」
「えー残念。じゃあですねー、なんかケーキっぽいやつお願いします」
「ケーキっぽいやつって、そりゃケーキだろ」
お昼をだいぶ過ぎた時間に伴のマンションにて、いつものやり取りが始まり、そして終わる。
一人で出掛ける時は、それを伝えれば神湯はそれ以上押してこない引き際の良さに伴は感謝し、マンションを出た。
「どうしても、確認だけしときてーしな」
伴はエレベーターホールで、ポケットに入った小銭をジャラジャラと玩びつつ、そう呟く。
それは今朝、春彦から届いた1通のメールから始まった。
『江口悠介は明日にでもマンションを出ていくらしい』
そう書かれていたメールを見た伴は、作家としてか、もしくは当事者としての性かは分からないが、悠介のいるマンションヘと向かったのである。
1週間前に訪れた部屋の前まで来た伴は、小さく深呼吸をする。
辺りは既に夕日が差し掛かっており、ドアの半分は影で覆われていた。
ピンポーンーー
「はい?」
「この顔に見覚えがあるだろ? さっさと開けてくれ」
すぐにドアは開き、初めて伴は悠介と対面し会話をするチャンスを得られたのであった。
初めてじっくりと見る悠介の顔は、あの日運転席で見た時より、だいぶ老け込んだように見えた。
「どうぞ」
「どうも」
部屋に入り、リビングへと通される。
何も無かった部屋が、それにもまして何もなくなっており、例のちゃぶ台ですらリビングの隅にあるダンボールに収納されていた。
巨大なテレビだけは、その日が来るまで片付けないらしく、あのままの位置で鎮座している。
電源はついており、少ない音量ではあるが、部屋中に音声は響き渡っていた。
その夕日が差し込むテレビをバックに、お互いに立ったまま会話を始めた。
「何か、言う事があるんじゃないか?」
「その節は、申し訳ありませんでした」
「よし、俺を巻き込んだ件については許す」
「え? 警察へ訴えるとかそう言う話では無いのですか?」
「これ以上、あんたから奪うものがあるとは思えなくてな」
「ハハハ、それはそうですね……」
伴の皮肉に、ぐうの音も出ない悠介はすんなりと、それを受け入れた。
ホッとすることもなく、ただ粛々と受け入れたのを見た伴は、あまりいじめる気にもなれず、早速本題へ入る。
「2つほど聞きたい事があるんだが、いいか?」
「私に答えられるものであれば」
「まず、1個目だ。どうして由花子さんや隆太君に手をあげた?」
「お恥ずかしい話ですが、その、カッとなってと言うのが1番の理由です」
「録音が途中からでな、出来ればその理由も聞きたいんだが」
「それは……由花子……いや、すみません。言いたくありません」
そう来るか。と、内心伴は苛ついた。
ここまで解決したのであれば、伴は異能を使うことが自身のポリシーに反してしまう。
その苛ついた感情を抑える事が出来ないまま、2つ目の質問をする。
「じゃあ、どうして隆太君を轢こうとしたッ!?」
「私は、隆太を轢こうと思った事はありません。守りたかったんだ。もう、限界だったんだ……」
伴は思わず大きめの声で「は?」と叫ぶように言ってしまう。
「じゃあ誰を轢こうとしてた? 俺か?」
「それは……言いたくありません」
「お前、何を言っている!? ふざけた事を抜かすな!」
思わず、伴は悠介の胸ぐらを掴み一喝する。
お互いに相手を睨みつけるが、悠介は目に涙を浮かべ無言の抵抗をした。
その沈黙の中、夕方のニュースの音だけが部屋中に響き渡るのを不意に気付いた伴は、チラリとテレビを見るとそこから流れたニュースに言葉を失った。
『えー、速報です。大変痛ましい事件が起こってしまいました。
今日午後3時頃、東京都寝川市にあるマンションの一室で、31歳の母親が5歳の我が子を包丁で刺すと言った事件が起こりました。
刺されたのは《江口隆太》君5歳で、悲鳴を聞いた隣人が駆けつけた所、包丁を持ったまま座り込む母親の横で、血だらけになって倒れている隆太君を発見し110番通報。
駆けつけた警察官により、母親の《江口由花子》容疑者を殺人未遂の容疑で現行犯逮捕しました。
由花子容疑者は「止める人がいなくなった」などと意味不明な供述をしており、寝川署では事件の動機を調べると共に、日頃から虐待のあった可能性も視野に入れ、捜査を進めています。
続いては
伴は、足元からゆっくりと目の前が真っ暗になるのを抑える事が出来なかった。
今、このキャスターが何を言っているのか全くと言っていい程理解が出来なかった。
いや、理解が追いつかないというのが正解なのかもしれない。
伴は、悠介を掴んだままの手をゆっくりと外す。
「おい、どういう事だ……」
「やはり、持たなかった」
悠介はそう言うと、膝から崩れ落ち、両手を地面につけたまま、ピクリとも動かなくなってしまった。
『持たない』の意味が分からず、伴は問ただそうとするが、乾ききった口内からは、微かな呼吸をするのがやっとだった。
その代わりに、必死で脳みそを働かせる。
『何故だ? どうして隆太君が? どうして由花子さんが? 何故今この男は泣いている?』
答えは、1つしかなかった。
「知ってたんだな」
「もう遅い……」
「なんで誰にも言わなかった!」
「だから、遅すぎると言ったんだ!」
由花子の異常性を全て悠介は知っていた。
それでも、幸せな夫婦生活をを全うするために、彼はずっと我慢していたのだ。
しかし、悠介の言ったとおりである。
「そうだな……もう遅いな……」
既に夕日の存在は消えかけていた。
伴は、自分の足で歩いているのかも分からないままふらつき、悠介のマンションを出た。
そして、出たまではかすかに覚えているが、次に我に返った時は既に自分のマンションの前にいた。
「あ、お土産買ってないな……」
そんな状況では無いことぐらい、伴には分かっている。
しかし、考えれば考える程に、現実逃避の自己防衛が働いているのを実感していた。
玄関を開けると、少しバタバタとした音が聞こえてきた。
誰が何をしているのかは、伴はなんとなくではあるが、想像がついた。
「お帰りなさーい。ねぇ伴先生、今日は外食にしませんか?」
元気よく現れた神湯に、伴は自分予想が当たったことを確信した。
神湯は真っ赤な目を必死に隠しながら、元気いっぱいに、『いつもの伴とのやり取り』をしようとしているのが容易に見て取れた。
それが伴には、たまらなく嬉しく、そして辛かった。
「まこと……」
家についたからだろうか、忘れかけていたものが込み上げるのを必死で抑え込む。
「まこと、俺も……ニュース見たんだ。悠介の部屋でな。アイツ、知ってたんだよ。でもアイツ、それでもあの日以来最後まで……俺は、俺は……隆太君を……」
伴のそれは、感情が先に出過ぎていて、会話として成り立っていなかった。
ただ、その想いだけで伝わる人間は、きっと今の伴には一人だけであろう。
「そんな事言わないで下さい! 私は、私は分かってます。だから、私が悪いんです! ちゃんと調べてれば、私が子供だったんですッ!」
神湯まことは強くはない、体以外は女性であると伴は思っているし、そう扱っている。
その神湯に慰められた事が、伴の残り少ない理性を叩き起こした。
「いいや、俺のせいだよ。まことは悪くない」
「嫌ですッ!」
堰を切ったように、神湯は伴へ抱きつく。
お互いに、溢れ出るものを止める事は無かった。ただただ、時間だけが経過していった。
伴のポケットから携帯電話の着信バイブがずっと鳴っているが、優子からか? はたまた春彦からか?
しかし、どちらにせよそれは良い電話ではないだろう。
「俺、どこで間違えたんだろうな……」
「俺達って言って下さい……」
そして、その状態のまま、何を話すわけでもなく……
二人は互いに傷つけあい
二人は互いに慰めあった
作家、西園寺伴の異能な日常~奇妙な親子 前編~ 長崎ポテチ @nagasaki-86
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