第4話

 伴達が松村探偵事務所を訪れてから5日後ーー

 あれから特に何もなく、時折謎の無言電話がかかってくるぐらいであったが、比較的平和な日常を送っていた。

 現在、伴は新作の執筆中であり、書斎にてうむむと頭を悩ませていた。

 神湯はその邪魔をせず、かつ直ぐに伴の要求に答えれるように、リビングでスマホをいじっている。


「まことー、コーヒーいれ」

「はい、コーヒーです」


 神湯は伴が別室に居るにも関わらず、コーヒーのタイミングだけはその経験で熟知していた。

 声が掛かってから作るのは妻として3流と考えている神湯は、要求を言い終える前にコーヒーを渡す。


「相変わらず、凄いなお前」

「奥さんですから」

「いや、ちげえけど」


 いつものやり取りの最中に、不意にインターホンが鳴った。

 ピンポーンーー

「はーい、今出ますー」


 神湯はチラリと伴を見る。いつもの手を振る仕草を見せたので、居留守作戦を行う体で玄関へと向かった。

 だが、ドアを空けた瞬間にそれは出来ないと悟る。


「やぁ、まこちゃん。近くまで来たから寄ったよ。伴はいるかい?」

「あー優子さんお疲れ様ですー」


 ホイっと優子から渡されたケーキボックスを、失礼に当たらぬよう振り返って即座に確認する。

 優子の手に握られた封書から色々と察するが、やはりその中にはタルトが入っていた。


「伴先生ー! 優子さんが来ましたよー。どうやら終わったみたいですよー」

「オーケー分かった。今行くよ」


 リビングのテーブルには、早速と切り分けられたタルトと、それを邪魔しない高級な紅茶が神湯によって用意されている。

 優子は母子来訪時と同じ配置で座り、紅茶をひと口啜ったところで伴がやって来た。


「急に来て悪いね」

「いやいや、こちらから頼んでるんだ。全然構わないよ。で、どうだったんだ?」


 まぁまぁ慌てるなよ。という表情をした優子は、その封書から数枚の写真を取り出す。


「実はまだ本当の事を言うと調査が終わってなくてね、中間報告と言ったところだ」

「なるほど、いつもはもっとかかってたもんな」


「ターゲット自体はイージーなんだがな、どうしても今日までに見せたいものがあったんだ」


 優子が言うには、子供がいるターゲットはどうしても外出したり働いたりをするので、探偵業界ではイージーらしい。


 伴はそういうものかと一通りの感想を抱きつつも、まとまった写真の先頭にある1枚が気になり、つい本題を急かしてしまう。


「これは? 隆太君か?」

「ああ、そうだ。見てられないよな」


 そこに映し出されていたのは、至るところに痣がある子供の写真であった。

 肩の痣から始まり、次の写真では太腿、お腹、めくればめくる程に、隆太君が背負っているものの大きさに伴は絶句してしまう。


「酷い……どうしてこんなこと」

「これは……結構来るな」


 神湯は過去の記憶が蘇ったのか、手で顔を覆い嗚咽の域まで達している。

 嫌ならいいんだぞ、と、伴は神湯に伝えるが、先日の発言の事もあり、気を取り直した。


「虐待ってやつか?」

「恐らくな。私も胸が痛い。まだ5歳なのに、ただこういう仕事柄、結構あるんだよ」


「少し順番を戻そう。本来のターゲットの江口由花子についてだ」

「おう、どんな奴だった?」


「江口由花子31歳……氷山市のスーパー『まるちょう』でパートをしている。仕事は可もなく不可もなくといったところだ。仲間内の評判もそこそこで、他の子供がいるパートとは特に良好な関係を築いてるな。生活は質素なもので、結構切り詰めてる様子が伺えたな」

「彼女が虐待をしている可能性は?」


「そこまでは掴めなかった。じゃあどうしてここに来たんだって話だよな。とりあえずこの写真を見てくれ」


 そう言って、優子は1枚の写真を取り出し伴達へ見せつけた。

 その写真集を見た伴は、驚愕する。


「おいおいマジかよ」

「え? この人がどうかしたんですか?」


「そのリアクション、ふむ、やはりビンゴだったか」




 そこに写っていたのはーーーー


「『逃げ太郎』じゃねえか……」

「伴先生、逃げ太郎って……嘘、じゃあこの人って」


「そう、由花子の夫で、隆太君の父だ」


 伴は打ちのめされるような感覚に陥った。

 誰がこれを予測出来ただろうか? 事実を知った神湯も同じく、まさかこれが現実であるとは認識できなかった。


「この逃げ太郎の名前は、『江口悠介』35歳。運送会社で働いている。左頬の傷があり、いつつけられたまでは分からない。性格は大人しいが、ハンドルを握ると性格が変わると言う証言がチラホラあったな」

「自分の子供を、轢き逃げしかけて逃げる奴がいるのか……」

「隆太君、可哀想」


 江口悠介の説明を優子はしているが、伴はどうにも頭に入ってこない感覚でいた。


「ふむ、それでだな、この親子なんだが、ちょっと意味が分からなくてな」

「と、言うと?」


「この親子が住んでるマンションなんだが、家賃がものすごく高いんだ。確か、同じ階層で18万だったかな」

「結構するなぁ」

「ここより高いですね」


「そうなんだ、で、この江口悠介の運送会社の給料が手取りで13万ぐらいで、妻の由花子のパートタイムは出勤数を見る限り、月に4万あれば良い方なんだよ」

「家賃で既にオーバーしてるじゃねえか」

「あたおかですねー」


「そうなんだ、住めるはずがないんだよ。どう考えたってパンクしてるんだ。それで、ここからは私も疑問なんだが、こんな生活してたらどちらかが悲鳴をあげると思うだろう?」

「そりゃそうだな。身の丈に合ってないし」


「更に言うなら、悠介はここ2年ほど会社の昼食は毎日菓子パン1個しか食べていないとの証言もあった。なのにだ、お互いが『今の生活が幸せ』と答えてるんだよ」

「え? それは奥さんもってことか?」


「答えはイエスだ。幸せの価値観なんて人それぞれだが、毎日菓子パンで生きている夫と、質素な生活で切り詰めてる妻。なのに、どちらに聞いても『今が幸せ』と答えるんだよ」


 再度、優子が封書から出した写真には、ありとあらゆる催促状が写っていた。


「貯金が沢山ある線もこれで消えた。江口悠介は、色々な所から借金までして住んでるんだ。何故そうまでしてあの家に固執しているのかは、まだ分かってない……が、パンクしてるのは事実だ」

「それで、その借金はどのくらいあるんだ?」


「200万だ」


 すぅうっと伴が息を飲む音を全員が共有する。


「そう言う、事か」

「伴先生……」


 天井を見上げ、瞑想のような状態になる。

 知ってて聞いてはみた伴だったが、色々なものが綺麗に線として繋がっていく様が見て取れた。


「それで、最後になるんだが、ちょっとこれを聞いて欲しい」


 そう言うと、優子はICレコーダーを取り出しゴトッとテーブルの上に置いた。

 神湯は見るやいなやノートパソコンを持って来てそれを接続し、再生を押した。


ーーーーーーーーーー

『ーーーーだから、どうしてお前はいつも! ふざけるな! 何度言ったら分かるんだッ!!』

『(バシャアア)やめてぇッ! お願い、あなたやめてッ!』

『パパ、やめてください、僕が悪いの。ママを叩かないで! 僕のせいなの!』

『うるさいッ! 子供は黙ってろ! (バシーー)』

『やめてぇッ! やめてよぇッ』

『ママ、ごめんなさい、ママ、ママー!』

ーーーーーーーーーー


 そこで音声は止まっている。

 ループ再生が設定されていたため、数秒後に再び悠介の声が聞こえた所で、伴はこれ以上聞きたくないと停止ボタンを押した。


「この部分しか撮れていなくてね、申し訳ない」

「いいや、優子が謝ることじゃないよ」

「……うう……伴先生」


 神湯には刺激が強すぎたようだ。

 伴は神湯にしがみつかれているのを、ただ許すことにして、慰めた。


「こちらが出せる物は以上だ」

「ああ、ありがとう優子」

「優子さん、ありがとうございます」


「でだ、どうする? まだ調査を続けるかい? 決定権は依頼主である伴が決める事だが」

「そうだな。決定的な気もするが……」

「伴先生、私、すぐにでも隆太君と由花子さんを助けたいです」


 神湯はいても立ってもいられないといった感じだ。

 伴も、言わずもがな同意見だった。

 その様子を見た優子は、了解とばかりに、帰り支度を始める。


「ここからは伴の領分だ。私は調査しか出来ないからな」

「本当に、ありがとうな」

「優子さん、今度ケーキ持っていきますね」


 楽しみにしてるよと言い残し、優子は伴のマンションを去っていった。

 残された2人は、どうするかを話し合う事に専念する。

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