第3話

 東京郊外最大級の都市『寝川市』ーー

 ベッドタウンから都心までのアクセスの中心地であり、一日の乗降車数は都心を除いて日本で1番と言われている街である。


 駅前には中島屋やROMINEなどの大手デパートがあり、映画館などもあり、それは都心と遜色ない程に発展している。

 伴自身は、寝川市は人口が多い分、治安が悪い事もあり住むには適さないが買い物をするには良い街と言う評価である。


 そんな寝川市の駅北口を真っ直ぐに10分程歩いたところにあるビルの3階に、その事務所はある。

 「松村探偵事務所」と一文字ずつ窓ガラスに書かれたビルの1階はそこそこ広いスペースに多数の食品業者がテナントを構えている。


「伴先生、チーズケーキで良いんですよね?」

「あーそうだな。それで」


 その中のケーキ屋で目当てのケーキを買った伴達は、早速とエレベーターに乗り込み、3階へ向かった。

 エレベーターホールの壁に刻まれている矢印の案内には目もくれず、なれた足取りで左手に歩くと突き当りには簡素な扉に『松村探偵事務所』と書かれている扉があった。


「いらっしゃい、松む……てなんだ伴じゃないか」

「なんだとはなんだ、とりあえずこれお土産」

「優子さーん、私も居ますよー」


「おや、まこちゃんも居るのか。ふむ、ウチで働く気になったのかい?」

「違いますー。夫の付き添いですー」

「いや、夫って……その手前すら行ってねえから」


「はは、相変わらず君たちは熱いな」

「からかうなよ」


 そのオフィスには数人の女性が働いており、本来であれば受付からの挨拶があるはずだが、たまたま優子が扉近くにいた為、すんなりと挨拶を済ますことができた。


 ちなみにオフィス内では、ほぼ全員が伴の存在に気付いているが、自社の社長と伴の関係性を知っている者が大半なので、変にざわつく事は無く軽い会釈の後、各々の仕事を再開しはじめた。

 それでもやはり、チラチラと視線は送られているのには気付いている。

 ただ、それは伴ではなく、どちらかと言うと神湯の圧倒的可愛さのせいである。


「おや? モンブランだと思ったが、ふむ、チーズケーキか……向こうのトカゲ部屋が空いてるからそこに行こう」

「悪いな」

「お邪魔しまーす」


 松村探偵事務所には顧客と密室で会話をすべく、いくつかの小部屋が設置されている。

 初期はその部屋には番号が割り振られていたが、「なんだか味気ないな」と歯医者帰りの優子が各々の部屋に名前とプレートをつけ始めた。

 ただその部屋達は『りんご』や『うさぎ』などではなく、『トカゲ』『タランチュラ』など優子の趣味全開で名付けられている。

 従業員からは大不評であったが、伴はそのあまりに女性らしからぬセンスがいかにも優子らしくて唯一の理解者である。


 トカゲ部屋に通された伴達は、四角いテーブルに対面で隣接しているソファーに座る。

 少し遅れた優子がノートパソコンを持って入室し、伴達の対面に座った。


「新作読ませて貰ったよ。ええっと『ユグドラシルの導き』だったか。中々面白かったぞ」

「タイトルぐらいサッと言ってくれよ」


「いや、悪い悪い。タイトルより内容を重視する方でな。しかしあれだ、何故ユリウスは……」

「あーっと、優子さん! 私まだ読んでないから! ネタバレストップストップ!」

「ふむ、そうか。悪いことをしたな。だが悪いのを承知で1つだけ聞かせて欲しい」


「ん? なんだ?」

「あの『アリサ』というのは、もしかしてだが……私がモデルなんだろうか?」

「よくわかってるじゃないか」


「本当か! ふむ、ならばもう3冊買って布教しないとな」

「毎度あり。それより、そろそろいいか?」


「おっとそうだったな。しかし珍しいな、一方的に仕事の話なんて」

「悪い、なんせ今朝の出来事なんでな」


「ほう、詳しく」


 松村優子ーーー

 子供の頃から「大人になったら本気でシャーロック・ホームズになると思っていた」と豪語する、黒を基調としたパンツスタイルの彼女は、『竹を割ったような性格』という表現がこれ程に似合う女性は居ないと思わせる魅力がある。


 その中性的な外見からか、探偵になりたくて彼女の元に就職したのではなく、彼女と働きたいから探偵になろうとした従業員も少なくはない。


 伴とは中学、高校生と一緒に馬鹿をやった仲であり、お互いに子供の頃の夢を叶えた同士でもある。

 ちなみに、お互いに用事がある際は『用件に合わせたケーキ』を買う遊びをしている。

 学生時代の遊びの延長なのだが、その中身や法則性については伴と優子を除いては神湯しか理解している人物はいない。


 今回の『チーズケーキ』は、一方的に仕事の話がしたいと言う合図であり、更に言うのであれば優子は伴の異能を知っているので、人知れずギブアンドテイクの仲なのである。

 無論、伴が協力する時は人命に関わる事なので、滅多に伴は裏探偵稼業はしないのである。


ーーーーーーーーー


「ふむ、なるほど、中々に好奇心をくすぐられるな」

「だろ? 優子も気になるよな?」


「その『江口由花子』の調査。確かに受けよう。ただ、私ではなく研修の意味も込めて別の者が担当するけど、それでも良いかな?」

「全然構わないよ。ありがとう優子、助かるよ」


「んん、まぁ私と伴の仲だしな」

「はーい、それじゃあ優子さん。お願いしますね」


 良からぬ空気をいち早く察知した神湯は、これ以上会話を広げさせまいと打切ろうとした。

 伴は1つもそんな事には気付かずに、話を続けた。


「そっちは良いのか? 俺のポリシーに反しなければいくらでも付き合うぜ」

「ふむ、その事なのだがな」


 そのために持ってきていたと言わんばかりに、優子はノートパソコンを開き電源を入れる。

 何かの画面が開くと同時に、伴に見せようとパソコンをくるりとひっくり返そうとしたが、直前で手を止めた。


「まこちゃん、申し訳ないが……」

「あーそうか、まこと、すまんが……」


「優子さん、伴先生」


 退室を促す優子と伴に対し、今日こそはという顔つきで神湯は二人を見据えた。

 こういった場合、神湯はいつも退室される。

 何しろ、優子が伴に協力を依頼する時というのは、とどのつまり、探偵社が抱える人命に関する案件であり、たった一言で表すならば「ヤバい案件」なのである。

 伴も優子も、神湯の身を案じて、毎度この手の話題には参加させていなかったが、今日はいつもと違った。


「私はもう大人です。自分の行動の責任は自分で取ります。私は、自分の意思で伴先生の役に立ちたいんです!」

「そうは言うがな」


「私は、1番伴先生を理解していてッ! 1番好きなんですッ!」

「「…………」」


「私、どきませんから」


 ガシっと神湯は伴の腕にしがみつき、意地でも動かないと意思表示をした。

 ただその華奢な体は、伴であれば、容易なく退かすことは可能ではあるが、神湯の覚悟による迫力に動けないでいた。


「良いのか?」

「良いんですッ!」


「ふふふ、そうだな。もう子供ではないな。私にもその気持ち、分かるぞ」


 その光景に優子は思わず吹き出してしまう。

 かつての自分を重ねているのか、伴の許可が降りれば、神湯の覚悟を受け入れる気持ちでいた。


「オーケー分かったよ。優子、続けてくれないか?」

「ふむ、ではこれを見てくれ」


 今度こそズイっとノートパソコンを伴達へ向けると、そこには立派なビルの写真が1枚表示されていた。


「これは……」

「ゲームの寒天堂ですよね」

「ああそうか、しかし、超大手じゃないか」


 寒天堂ーー

 資本金70億、総社員数5000人を超えるゲーム会社として日本を代表する世界と戦える大企業である。

 大人から子供まで、寒天堂のゲームに夢中になり、特に『ドクターマグロ』というマグロに手足を生やしたキャラクターが世界中で大人気であり、今でもナンバリングが古いタイトルのリアルタイムアタックに熱中している者も少なくない。


「そうだ、この寒天堂にな、なんとも奇妙な部署があるんだ」

「奇妙?」


「そう、ここの『アウトプットパーソナルサービス部』まぁOPS部と呼ばれているんだが、この部にいる人間が毎年1人ずつ死んでるんだよ」

「はえ? 1人ずつってそりゃ大問題じゃないか」


「これだけじゃなくてな、こんな毎年誰かしらが死んでる部署なんて普通は行きたくないだろ?」

「確かにそうですね」


「ただ、この部署に異動したいって奴が社内に沢山居るんだ」

「おかしい話だな、というかそんなの直ぐに噂が流れるんじゃないか?」


「それがな、やはり大手だけあって法務部から何から強くてな。表向きは自主退社後に自殺であったり、色々細工されてるんだよ。それにこのOPS部……人数は20人いるか居ないかなんだが、何をしている部なのかすら全く掴めないんだ」

「意味が分からない部署に、異動希望は殺到してて、毎年1人ずつ死んでいる……こりゃ相当な案件だな」

「でも、気になりますね」


「そうなんだよ。私の所は女性で固めているのでな、合コンやら何やらで情報を引き出そうとしているんだが、誰が本当の事を言って、誰が嘘をついてるか全く掴めないんだ」

「本当と嘘が混じっていると?」


「と言うより、OPS部という部署があるという話以外、全員が全く違うイメージを持ってるんだ」

「んん? そんな事あるのか?」


「だからお手上げなんだよ。ある人間はただ座っているだけでお金が貰えるとか、またある人は肉体労働で低賃金だけどやりがいがあるとか……こんな案件初めてだよ」

「そうか……誰かが嘘をついてるか分からないとどうしようもないよな」


「そうだ、そして、そこを掴んだときに伴にお願いしたい。良いか?」

「オーケー、じゃあ纏まったら連絡くれや」


 探偵事務所を出た伴と神湯は、とぼとぼと帰路につく。


「ねえ伴先生」

「ん?」


「さっきの会社なんですけど、全員が嘘ついてるって線もありますよね?」

「ほお、確かにな。嘘なんて主観の誇張て場合もあるしな」


「なんかお腹空いちゃいました」

「ラーメンでも食ってくか」


 伴達は、寝川市駅前のラーメン総合店『ラーメンクレイドル』にある『味噌ジアス』で早めの晩御飯を食べる。

 そのラーメンは絶品であったが、心の迷いがその味を薄らせてしまった。

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