第2話

 神湯の案内のもと、母子をリビングに移動して貰った。

 リビングには長方形のテーブルが置かれており、その長辺に対になるように長いソファーが置かれている。


 一応、上座には一人用のちょっと良いお値段のソファーがあるが、神湯の「これじゃ横に座れないじゃない」の一言で、その日の夜からそこには、2年間ずっと巨大な白熊のぬいぐるみ「ジャルール君」が鎮座している。


 さっきまで座っていた長いソファーに再び伴は腰をかける。

 対面のソファーには母子を座らせ、神湯が来客用の紅茶を淹れるのを待っている状態である。


「お待たせしました。砂糖とミルクはこちらになります」

「ありがとうございます奥様。お構いなく」

「おねえさんありがとう」


「良い子ねー。クッキーもどうぞ」


 神湯はニコリとどう考えても女性としか思えない柔らかな笑顔で対応を済ます。

 しかし、伴にはどうしても違和感が拭えないでいた。

 何か妙なのだ。

 その答えは、すぐに分かることとなる。


 全員が着席したタイミングで、母親がスクット姿勢をただし、発言をするタイミングを伺う。


「自己紹介がまだでしたね。私は『江口由花子』、氷山市でパートをしています。それでこちらが息子の……」

「『江口隆太』です。キリン組です」


 そこまで言ったところで、伴は違和感の正体に薄らと気付く。

 母親……由花子に手土産と思わし物が無いのだ。

 ゲスな考えではあるが、通常、こういう場合用意するのが大人として常識である。

 その違和感が気持ち悪さとして母親を評価してしまったため、とっととこの会話を切り上げるべく先手を打つ事にした。


「ああ、はい、それでどのようなご用件で? ちょっと仕事が立て込んでまして」

「はい、今朝の事なんですが」


「ええ、随分と早く来られましたね」


 その挑発的な伴の発言に、由花子の瞼がピクリと動いた。

 何なら来ないで欲しくて伴は嘘までついたのだ。このぐらいの失言は言いたくもなるものだ。


「あの、こちらをご覧になっていただけますか?」

「はぁ」


 すると由花子は息子の隆太の園児服を少し脱がす。

 肩の部分が少しだけ痣になっているのが見て取れた。


「ここ、痣になっているが分かりますか?」

「ええ、確かに」


「あなたの投げた何かが当たって、息子が怪我をしてしまった事になりますよね?」

「は? いや、あの状況では……」


「お認めになられましたね。こんな事は言いたく無いのですが、あなたのせいで隆太が怪我をしたんです」

「いや、だからってそんな言い方はないでしょう」


「しかし事実です。マスコミに公表されたくなかったら200万で示談したいと考えております」

「「…………」」


「「はぁああああああああ?」」


 まさかの恐喝に、伴と神湯は息ピッタリで驚きの声をあげてしまった。

 『お礼を言う』ものだと直前まで思っていた彼等の予想のはるか斜め上を行く由花子の発言に、理解が追い付くまで数秒を要した。


 神湯は、伴の袖をクイっと引っ張り耳打ちをする姿勢を取った。


「伴先生、この由花子って人、あたおか?」

「やめとけ」


 わざと聞こえるように神湯は由花子を挑発仕返した。

 この場で伴の勇姿を讃えるなら、土産の無いことにとっくに気付いていた神湯は、その無礼許してあげようと思っていた矢先のこの恐喝である。

 ちなみに『あたおか』とは『頭がおかしい』の略である。

 若者って怖い。

 

「今、あなた私の事を『あたおか』とおっしゃいました?」

「うん、とってもあたおか。ブレインハッピーセットとも言うんですよオバサン」


 ホホホと圧倒的に鶏冠に来ている神湯は叩き込むように挑発する。


「おい、やめとけって」

「伴先生、言ったったら良いんですよ。だって現実におかしいじゃないですか」


「オバサ……んんっ、とても綺麗な方ですが、発言は……これは明らかに名誉毀損に当たります。ただ、今朝の件と合わせて200万で示談したいと考えております」

「いや、払いませんて」


「どうしても?」

「当たり前じゃないですか。それを言いに来たのなら、もう結論は出てますので、お帰りいただけますか」

「お帰りはあちらになりまーす」


 伴も伴で、この由花子と言う女性には思うところがあったので、早急にお帰りいただくように促した。

 それに乗っかる形で神湯も玄関を指差し、由花子に帰宅を願った。


 しかし、由花子は一歩も席から動こうとはしなかった。

 神湯が淹れた紅茶を右手に持つと、次の瞬間、その中身を自分の左手にぶちまけた!


 バシャアアーーー

「あつぅぅうううういいいいッッ!!」

「ママ! 大丈夫、ママ!」


「何してるお前えッ! ああもう、まことッ! 拭くもんと氷!」

「はいッ」


 バタバタと一斉に由花子の奇行に対応を進めていく。

 当の由花子はガタガタと震えながら、自分の右手で火傷を負った左手を押さえ、うずくまる形になっている。


「あんた一体、どういうつもりだ」

「……まえの、だ」


「はい?」

「お前の、お前のカップと紅茶で私まで怪我をしたッ! 200万で示談を……」


「しつこいぞあんた! 払うわけないだろ!」

「ウルセェェエエエッッ!! お前は人気作家なんだろうがッ! 200万、黙って200万払えばいいんだよォオオッッ!!」


「ママ、落ち着いてママ」


 隆太の言葉に「ハッ!」と我に返った由花子は、自分の言動を思い返しバツの悪そうな顔をする。


「すみません、取り乱しました」

「1つ、質問をしても?」


「はい」

「何故、200万なんです? その額に凄く固執しているように見えるが」


「そ、それは……」


 チラリと隆太を見た由花子は言いにくそうな顔をし、直後その顔を伏せた。


「言いたくありません」

「そうですか」


 きっと、息子の前では言いたくもない理由なのであろう。

 それを察しても伴は、お金は払えませんと毅然と由花子に向かい告げた。


「ねぇママ、もう帰ろう」

「……そうね。お邪魔しました」


 まさに、万策尽きたという感じで由花子達は帰り支度を済ませる。

 玄関で靴を履き、去り際の由花子の表情は絶望にみちているのが見て取れた。

 見送った直後、伴と神湯は顔を見合わせ同時に頷く。

 二人は執筆部屋に移動し、大急ぎでパソコンを立ち上げる。

 『監視カメラ』のアイコンをクリックすると、伴が住むマンションについている監視カメラの映像がいくつか映し出された。


 過去に色々あった時に、オーナーに頼んで自費という条件ならばと付けていた監視カメラが役に立った瞬間である。


「伴先生、5番」

「お、ええっと5番っと」


 5番の監視カメラがあるエレベーターホールには、先ほどの母子と思わしき人物がいた。

 特に由花子は膝を抱え込む程にうずくまっている様子がそこには映し出されている。

 伴は音声スイッチを入れ、5番に合わせた。


「ママ、ぼくがいなくなったら、おかねがはいるの?」

「そんな事言わないでッ! そんな……事、言わないでよぉお」


「ママ、ごめんね」


 由花子はがっしりと隆太を抱きしめている。

 しばらくして、泣いてばかりではいられないと感じた由花子は顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃになった顔を無理矢理笑顔にし、隆太の頭を撫でる。


「隆太、いつものカフェに行こっか」

「うん、クリームソーダ飲みたい」


 隆太と由花子は己を取り戻し、より強固に手を繋いだ状態で伴のマンションから出ていった。

 伴と神湯には、その光景に確かな親子の愛が感じられた。


「伴先生、使わなくていいの?」

「まだ、命レベルでどうこうってのも分からないし、何よりも隆太君の前ではな」


 この『使う』というのは勿論異能の事であるが、まだ時期尚早と判断した伴は先送りする。

 こういった場合、伴は作家としてちゃんと結末まで見送るのを知っている神湯は打開策を出す。


「なら、正攻法でやります?」

「だなぁ。とりあえ優子んとこに行くか」


「久しぶりのデートですねー。伴先生はどんな下着が好きなんです?」

「いや、違うしヤラんけど」


 冗談はこれくらいにして、彼等は『寝川駅』の優子なる人物の元へ向かった。

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