おうぎを舞いし染の運命 十三




 仁の区画、漆黒町、絶滅危惧種『ほの』が地生する森にて。


 何故自分はここにいるんだろう。

 氷月ひづきは目を瞑ったまま、身体を弛緩させては横たえさせたまま、気を抜けば瞬く間に散り散りになりそうになる意識を何とか手繰り寄せて丸めながら、考えた。


 何故自分はここにいるんだろう。

 加治かじの家に行くはずだったのだ。最初は。自室から、『天紅あまがべに』家を飛び出した時は。

 『雪芒』が失敗したのかどうか、確認をしたかった。失敗していれば謝罪をして、成功していれば。


(成功していても、もう。私は『雪芒』じゃない。『天紅』でもない。氷月でもない)


 駆け走る中で紅凪こうしを認識した時に、狂いが生じた。追いかけてきていると認識した瞬間。加治の家に行くという考えが抹消した。頭が真っ白になった。逃げなければと思った。逃げたいと強く思った。それだけだった。行先なんて、到着地点なんて、何も、まったく考えられはしなかった。

 そうして、辿り着いた処が、ここだった。幼い頃に、紅凪と仙弥せんやに強引に連れて来られた場所。紅凪と仙弥が二人で作った秘密基地がある場所。紅凪が誘拐された場所。


 何故自分はここにいるのだろう。

 いくら問いかけた処で、答えは出そうになかった。分からなかった。全く分からなかったのだ。

 何故自分は足を止めたのだろう。ここで。まだ体力は存分に残っている。『仁の区画』から他の区画からだけではなく、『扇晶道』から他の道へも余裕で駆け走って行けるほどに。信じられないほどに身体は軽かった。重たい心とは裏腹にとても。

 体力に不安はない。ならば何故自分はここで足を止めたのだろう。紅凪から逃げ切らなかったのだろう。逃げ切ろうとしなかったのだろう。


(加治殿の家に行かなかった時点で。私は、本当に。『雪芒』失格だ)


 雪晶から宣告された時点ですでにもう『雪芒』失格ではあるが、『雪芒』が成功したか否かを確認しに行かなかった時点でもう、本当に自分は『雪芒』ではないのだと、身に染みて思う。


(例え雪晶ゆきあき様に『雪芒』を追放されたとしても。『雪芒』であった者として、必要最低限の責務だろう。依頼を適切に果たせたか否かの確認は。けれど、それを怠った。それを第一としなかった。ここに来て。ここに横になって。もう。動かす力がない。自由自在に動かせるはずの身体を動かせない。本当にもう。私は、『雪芒』ではない。何も………)


 この地で生きる肉体、精神、魂魄。仙弥に与えられた地。紅凪に与えられた光。『雪芒』の依り代として与えられた蒸しぱん。

 残っていないわけではないのに。喪失したと、すべて喪失してしまったと、何故思ってしまうのだろう。取り払われては軽くなった身体。取り払われては重くなった精神。何が取り払われてしまったのだろう。




『氷月。いなくなるなよ。俺を置いて。どっかに行くなよ。俺は。眠らずに見張りをするつもりだけどよ。もしかしたら、眠るかもしれない。その時に氷月が起きても、呆れてもいいから、俺に声をかけろよ。絶対』




 風が吹いてくれたのならば。

 颶風でなくて構わない。軽風でも微風でも軟風でも何でも、風が吹いてくれたのならば。

 この浮薄な身体は容易く流れ去れるというのに。

 秘密基地から、『扇晶道』から、いっそ、『扇晶国』からさえ。

 何故無風なのだろう。静寂としているのだろう。竹の葉の擦れる音さえ、一つもしない。




『俺には。いや。俺にも、氷月が必要だ。だから。死んだなんて。言わないでくれよ。死のうと、しないでくれよ。俺は。ひどく。痛い。痛いんだ』




 傍にいるから、痛くなるのだ。傍にいなくなれば、痛くはならない。

 いなくなるなという願いを聞き続ければ、きっともっと痛みを与え続ける。

 痛みを感じてほしくない。自分の事でなら尚更だ。

 何故自分はここにいるのだろう。

 紅凪に行くなと言われた処で。紅凪に前に立ちはだかれた処で。何の支障もない。すぐに避けて、駆け抜いて、遠ざかる。遠ざける。

 叶えられる体力は存分に残っている。にも拘らず、実行に移していない。

 何故自分はここにいるのだろう。

 いくら問いかけた処で、答えは出そうになかった。分からなかった。全く分からなかったのだ。


(紅凪王子から逃げたいのに。傍にいてくれて、安心、してる、なんて、)


「氷月?」


 突然起き上がった氷月に目を丸くした紅凪。さらに深々と頭を下げられては、身構えて次の氷月の言動を待っていると、言われたのだ。

 加治の家に行くと。











(2024.11.8)




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