おうぎを舞いし染の運命 七
仁の区画、漆黒町の
自室の扉を小さく叩く音が聞こえた
椅子に座っていた氷月は立ち上がると、勢いよく頭を下げた。
そう。本来ならば、紅凪に名乗るよりも先に雪晶に許可を取る事が道理なのだ。
けれど、氷月は先に紅凪に名乗ろうとした。許可を取っていないにも拘らず。だ。
どうしても、いの一番に紅凪に名乗りたかった。が。
(理由は。分からない。けれど。紅凪王子に最初に名乗りたかったけれど。やっぱり。道理を無視して、名乗ろうとしたから。理由は勿論、それだけじゃないけれど。名乗れなかった。雪晶様に許可を。貰おう。まだ。不甲斐なくても。『天紅』の姓に相応しくない事は重々承知しているけど。このまま。名乗れないまま。終わるのだけは、)
「氷月」
「はい」
氷月が雪晶にまずは謝罪を述べようと頭を上げた時だった。
雪晶に名を呼ばれた氷月は口を閉ざし姿勢正しく直立しては、雪晶の言葉を待った。
常と変わらない厳格な表情に態度。常と変わらないはずだった。のだが、氷月の胸中黒い靄が渦巻いてしまった。嫌な予感しかしなかった。
(もう、)
「氷月。あなたが『天紅』の姓を名乗る事を禁ずる。理由はあなたがよく分かっているだろう。そして、これに伴って、あなたには『天紅』家から出て行ってもらう。養子縁組は解消だ。今すぐに。加治殿には話を通している。あなたはこれより日草家の家族だ。私物は
深々と頭を下げて一分ほど。雪晶はおもむろに頭を上げると、氷月に一瞥もくれる事なく、氷月の自室から出て行ってしまった。
『氷月が。トキ殿の子どもだと?』
『ああうん。ウソウソ。ちょっとねえ。トキを動揺させてやろうって思ったんだけどさあ。あいつ。ぜんっぜん動揺しないの。嘘だって見破ってんの。ほんと。面白くねえ』
『………』
『あ。トキの娘だったら、もしかして氷月の命を助けてもらえるかもって希望を抱いちゃった感じ?無理だから。トキもまた滅びゆくだけだから。もう、そこまで時間は残っていない。オレも同じくね』
『………氷月が誰の娘だろうが、今は、私の娘だ。変わらない。氷月の運命も』
『そうそう。氷月の運命は変わらない。『雪芒』として漸く一人前になった処で狙ったように、『扇の舞』の舞者に選ばれて、ひと時の穏やかな時間を過ごせたかと思ったら、『扇の舞』本番当日に殺されちゃって。そして、殺された後は、意識を肉体から剥ぎ取られて、意識はオレたちの世界、時の世界に固定。次の時の神様が誕生するまでの補填にする。氷月はもう輪廻の輪に入る事はない。つまり、生まれ変わりは、ない。ずっと、死んだまま』
『………』
『まあ。そうなってもいいんだよね。オマエは。氷月は死にたがっているって。だから、殺してやろうって。そう言ってるんだもんね。オマエは。うんうん。その通りになるよ。ずっとずっと。氷月は殺され続ける。あ。間違っちゃった。死に続ける。よかったねえ。二人の願いが叶って』
『………氷月が選ばれた理由は何だ?トキ殿の娘ではないのだろう。では、あなたの、カイ殿の娘だったのか?』
『オレ?ハハッ。ないない』
『では、どなたかの神の娘なのか?』
『違う違う。と思うよ。多分。オレは理由は聞かされてはないけど。トキが執着してるから。ただそれだけ。氷月が時の世界の補填に選ばれたのは。それだけ。ほんと。可哀想。氷月。滅茶苦茶厄介な生物二体に執着されて。人生を滅茶苦茶にされて』
『………』
『あ。ちょっとは揺らいじゃった?あ~。よかったあ。オマエにも少しは血が通ってたんだな』
姿を見せた時と同様に、忽然と姿を消した様を見つめる事しかできなかった雪晶。もう出現せずに影で見守るだけかと思われたカイの発言に、気付けば歩き出して、気付けば氷月の扉を叩き、気付けば言っていた。
(ひと時だけでも。私から解放された方が。遅く………なってしまった。が、これで、)
開いていた手をやわく丸めて静止したのち、また開いては、衣に押し付けた。
(これで。よかった、)
(2024.11.3)
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