ちに繕う野花 十四




 九年前。

 参の区画、黄檗町の温泉街にて。


 観光客で賑わうその道端に蹲っていた少女を保護する事にしたのは、誰も彼もが素通りしていたからだ。

 髪の毛はボサボサで、肌色は悪く、全身が痩せこけ、履物はなく、擦り切れた布を宛がったような衣服しか身に着けていない少女に事情も聞かないなどなんと薄情な、などと、叱責するつもりはなかった。

 素通りするしかなかったのだ。気付けなかったのだ。

 少女の気配があまりにも希薄だったから。その表情に湛えているのは虚無だったからだ。

 ともすれば、少女が背にしている宿泊施設の石積みの塀と同化しそうなほどに。


 迷い子ではなく捨て子だろうかどちらにしても警備所に連れて行くかと少女に話しかけるも、反応が一切合切ない。もしや、聴覚に何らかの病を発症しているのだろうか。文字はまだ教わっていないだろう。仕方がない。本人の了承を得ずに問答無用で連れて行こうと、少女を抱きかかえようとしたが、信じられない事に触れられなかったのだ。


 まさか、幽霊ではなのかと本気で疑いながら、もう一度触れようとしたが、また触れられず。

 だがそれは、少女が幽霊なのではなく、少女が避けていたからだ。

 無意識、なのだろう。

 動ける体力気力があるようには見えなかったが、そうではなかったのか。動ける体力気力がない中で必死に身体を動かして避けるほどに触れられたくないのか。

 どうしたものか。

 このまま、放置して、ただ少女が死ぬ姿を見るしかないのか。

 それが少女の願いなのでは。死を求めているのでは。不意にそんな考えが生まれるも、飲み込む事ができなかった。


 幼い子どもだったから。というのも、少女を放置できない理由の一つだったが。それだけではない。どうにも、気になったのだ。放置できない、してはいけないと。第六感というものだろうか。さざめくのだ。

 どうしたものか。少女のまん丸い目をじっと見ているが、恐らくその瞳には己は映っていないのだろう。


 何が映っているのだろうか。

 聞こえていない可能性があるのかもしれないが、少女に疑問をぶつけた。暫く反応がなく、それでもじっと片膝をついて待っていると、少女は初めて己を認識したのだろう。これ以上開かないだろうと思われた、まん丸い目をさらに見開いて、顔を少しだけゆっくりと左右に何度も揺れ動かし続けては、正面に留めて、己を見て、小さく口を開いた。


 己の声は届いており、疑問に答えてくれたのだ。

 何も映っていない。

 虚無を湛えた、その表情のままに。


 私と共に来なさい。

 気が付けば、口に出していた。

 私の娘になりなさい。

 『雪芒』になって、その何も映らない目に、様々な風景が映るようになりなさい。

 断定して言えば、少女はゆっくりと顔を膝に埋もれさせてのち、小さく頭を振った。

 行かないという確かな意思表示だったが、問答無用で抱きかかえては、連れ帰った。

 認識されたがゆえに、触れる事ができたのだろう。

 少女は抵抗しなかった。無駄だと思ったのか、その体力気力がなくなってしまったのか。

 ただ、連れて行ってほしいという気持ちがない事だけはよく分かっていた。分かっていながらも、連れ帰った。まずは家へ。その後に警備所に赴き事情を話して、誰か探している者が居るかを尋ね、誰も居なかったならば、養子に迎え入れようと考えた。


 九年後の今、少女は養子になり、『雪芒』になるべく励んでいる。

 色濃い死の影を背負ったまま。


 少女を、氷月ひづきを養子に迎え入れたのは、同情心ではなかった。自分勝手な願いを叶えてほしかったのだ。

 希望になってほしかったのだ。

 絶望しかけていた『雪芒』の希望になりうるのではないかと考えてしまった。

 絶望しかけていた人生の希望になりうるのではないかと考えてしまった。

 唯一無二の風景をその目に映してほしかった。生きていてよかったと言ってほしかった。


 己の想いが重荷になる。ただでさえ、本人の意思に反して連れて来たのだ。かける言葉は少なくしようと心掛けた。未空にもおばばにも、もっと言葉を尽くせと言われたが、そうしなかった。

 そうしなくてよかったのか、どうなのか、今となってはもう、






 仁の区画、漆黒町、天紅家にて。

 氷月が参の区画、黄檗町に赴いて六日が経った頃だった。


雪晶ゆきあき殿」


 未空に連れられて自室にやって来た加治かじの滂沱と涙を流す姿に、その手に持つ広げた白扇の中央に描かれていた泉と目高花に、氷月の成功を悟った雪晶は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、加治に向かって深々と頭を下げたのであった。











(2024.10.26)



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