ちに繕う野花 十五
仁の区画、漆黒町の隣町である憲房町の架け山内に存在する小さな泉。
今は枯れてしまって水のないその泉には、かつて目高花という植物魚が棲んでいた。
植物魚とは、水が満ちている時には魚になり、水が地の底に沈んでいる時には植物になる不思議な生物の事である。
目高花とは、水田や川、泉など身近な場所で馴染みのある小さな淡水魚である目高でありながら、黒と黄と白と虹と、四枚の花びらがそれぞれ違う色の花を咲かせ、葉はまん丸い形の植物でもある植物魚であった。
かつては目高同様に、水田や川、泉などでよく見られていたが、近年になって急激に数を減らしていき、現在では姿を見ないばかりか、存在自体が忘れ去られるようになってしまっていた。
「水が沈んだり浮上したりする架け山の泉で最初に目高花を見つけた時には、泉を覆い尽くすくらいいっぱい泳いでいたのに、訪れる度にどんどん姿を消していって、たったの一体になって。寂しいだろうからって、君は頻繁に訪れて。そのたった一体も姿を消して。水だけになってしまった泉に、また棲むかもしれないからって、君は足を止めなくて。病気になっても、不自由になってしまった身体を必死に動かして泉に行った。こうして、寝台の上で眠るだけになってしまうまで。ほとんど毎日。ねえ。君が眠っている間に、この泉に水すらなくなってしまったんだよ」
仁の区画、漆黒町の
寝台の上で眠り続ける妻、
白扇の中央には、なみなみと透明な水が満たされた架け山の泉と、魚の状態と植物の状態の目高花の二体の目高花が映し出されていた。
「あなたがいいって。あなた以外に『雪芒』を依頼するつもりはないって。私が言い張ってしまって。
巷で流れている噂を思い返しては顔を曇らせた加治は、菜々美から白扇へと視線を移した。
ひそやかだった噂は日に日に量を増して行き、ただの噂ではなく、真実へと移行し始めていた。
『雪芒』は人々の記憶を改竄し、世の無情非情を植えつけては、人々を絶望に陥れ、『雪芒』に救済を求めさせようとしている悪逆非道な集団だと。
信じている者と信じていない者の数は、匹敵していると言っていい。
「信頼できるか、できないか。は、やはり、直に付き合ってみないと。いや、直に付き合ってみても、信頼できるかどうかの判断は難しい。けど。みんな。揺らいでいるから。自分自身の考えに自信がなくなってきている。色々な事が生活を蝕み始めているから」
商家として物を仕入れては売る仕事を担っているが、少しずつ少しずつ、物が入らなくなってきた。入って来たとしても、これを売っていいものかと悩むほどに質が落ちている物も出てきた。
人の手を介さずとも世の中が乱れる事もある自分のできる事をしようと励む者も居れば。
『扇晶国』が建立する前の悪夢の再来かと怯える者も居れば。
『雪芒』が見せている悪夢なだけであって現実ではない、『雪芒』さえ居なくなればこの悪夢から解放されると、憤る者も居る。
不安をぶつける相手が居る事は、随分と心に平定をもたらす事だろう。
「私は、氷月殿を信頼している。雪晶殿を信頼している。二人は『雪芒』だ。だから、私は。私も守ってみせるよ」
突如として家を訪れたかと思えば、依頼を受けますと言い、硬い表情のまま『雪芒』を終えては眠りに就いてしまった氷月を思い起こした加治。ほかほかと心が温かいまま。白扇に泉と目高花が映し出されてからずっと。心が優しさと嬉しさで満たされている。
思い出せた事。映し出してくれた事。思い出話をできるようになった事。自分の中から無事に帰ってきてくれた事。硬い表情が僅かに緩んだ事。
『雪芒』は心を乱す異能ではない。『雪芒』こそ心に安定をもたらす異能。
「異能だから何だってんだ。私だって、商家の異能を持っているさ」
ふん。鼻息を荒くさせた加治は、同じく隣で座っている雪晶に同意を求めたのであった。
(2024.10.27)
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