ちに繕う野花 十二




 参の区画、黄檗町。『雪芒』の修行場から少し離れた、百八つある小さな岩山の合間を流れる細い川のほとりにて。

 小さな岩山に在る『雪芒』の修行場から飛び出して来た氷月ひづきと、氷月を追っては並走する仙弥せんやを、馬に乗って遠くから見つめていた杏梨あんりは若いっていいですねえと、杏梨同様に馬に乗って並ぶトキに話しかけた。


「真っ直ぐ駆け走っちゃって。氷月はもう紅凪こうし王子で頭がいっぱい。仙弥も然り。氷月と紅凪王子の事で頭がいっぱい。宿泊施設に置いた荷物も私たちの事もすっかり忘れていて、ここに置き去りにするでしょうね」

「どうだかな。そんな可愛げがあいつらにあると思うか?」

「………ない。みたいですね」


 あるんじゃないんですか。

 そう答えようとした杏梨はしかし、目敏く自分たちを見つけたのだろう。馬を借りる場所へと続く道を外れ、真っ直ぐに自分たちの元へ駆け走ってくる氷月と仙弥を見たまま、残念と呟き肩を落とした。


「私たちに気付かないまま駆け走ってくれたなら、あとでからかってやれたのに」

「護衛役の仙弥が氷月の衝動に引き込まれず俺たちの事を忘れずにいたのは分かるが。っは。氷月は俺の護衛の役目があると勝手に思い込んでいるらしいからな。衝動に駆られても忘れなかったんだろうよ。本当に頭が固いやつだ」


 気付いているのだろうか。

 トキを一瞥した杏梨は思った。

 呆れたと言わんばかりの声音を前面に押し出してはいるが、とても嬉しそうな表情をしている事に。


(氷月のトキ様に対する態度を見て、もしかして。と思ったが。まさかの両想いってやつだったのか。紅凪。憐れなやつだ。すでに求婚して断られていたからな。そもそも望みはなかった。わけでもないだろうが。まあ。誰と誰が付き合おうが結婚しようがどうでもいい。が)


「トキ様」

「何だ?」

「氷月も仙弥も紅凪王子も。私は結構気に入ってるんですよ」

「だから悲しませるなと釘を刺すつもりか?」

「ええまあ。そんな感じですね」

「俺が三人の誰かを殺すとでも思っているのか?」

「殺すなんてとんでもない。トキ様も三人全員気に入っていますからね。ただだからこそ、連れ去りそうだなあと思いまして」

「連れ去る?俺が?」

「はい。私たちの世界ではない、あなたの世界に」

「俺の世界。か」


 トキはどんどん迫ってくる氷月と仙弥から視線を外しては、隣で馬に乗る杏梨を一瞥してのち、視線を元に戻した。

 俺の世界と言われて、嘲笑もしなければ、驚きもしなかった。

 幾度も幾度も、やり直して来たのだ。

 やり直しては、まっさらになるはずの記憶にも、僅かでも、残されていくものもあるのだろう。僅かに残された記憶を蓄積していっては認識できる稀有な人間も居る事だろう。異分子に気付ける人間も居る事だろう。


(杏梨がどこまで認識しているのか。そもそも認識しているのかすら、分からない。追究するつもりもない。ただ、認識していたとして、だ。俺がこの世界に姿を見せたのは今回が初めて。俺が連れ去った事はない。俺は、見ていただけだ)


 それが、ただ見ている事だけが、自分が決めた規則ルール

 だったはず、

 こうしてこの地に降り立ち、姿を見せる事など、


「俺の世界に連れ去る。か」


 今迄と変わらない淡々とした物言い、だったはずだが。


(おわ。こえ~~~)


 甚だしい重圧を直に受けては怯えて駆け走りそうになる馬を優しく撫でる事で宥めた杏梨は、にやける口元を抑える事はできなかったが、大笑いは何とか堪えた。

 杏梨の表情を流し目で見ていたトキは、不敵な笑みを浮かべた。


「俺に惚れるなよ、杏梨。紅凪がヤキモチを焼いてしまう」

「あはは。自信ないなー」

「だよな。しょうがない。俺に魅力がありすぎるがゆえに誰も彼も虜にしてしまう」

「ええええ。しょうがないですよ。この経験豊富な私でも惚れてしまいそうなのですから、氷月なんていちころですよ。な?氷月」


 ニヤニヤと口元を緩ませたまま、杏梨は氷月を見下ろして尋ねた。

 俺に惚れるなよ、というトキの発言から耳にしていたはずの氷月はけれど、眉を顰めて杏梨を見上げた。


「杏梨殿が何に同意を求めているのか分かりませんが、今は時間が惜しいので問いません。今すぐ、『仁の区画』漆黒町の加治殿の家に行きたいのです。お二人にも一緒に来てほしいのですが、可能でしょうか?」

「ああ。可能だ可能。ほら。乗れ。帰りは私がおまえを護衛してやる。仙弥。おまえはトキ様を護衛しろ。いいな?」

「ああ。よろしく。トキ様」

「ああ」

「氷月。とりあえず宿泊施設に荷物を取りに行くぞ」


 仙弥は馬に跨るトキの後ろに颯爽と乗り込むと、杏梨の手を借りて馬に乗った氷月に話しかけた。杏梨の後ろに腰をかけた氷月が同意の言葉を返すと、仙弥と杏梨はそれぞれの馬の横腹を軽く蹴って、駆け走り出したのであった。












(2024.10.25)



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