ちに繕う野花 十一




 参の区画、黄檗町。雪芒の修行場にて。


 植物と言ったはずだが。

 氷月ひづきの頭の中に直接話しかける声は、温度を感じさせずそう言った。

 はい。

 氷月は答えた。


「その灰色の枯れた植物の花や葉、枝、茎、根の色や形、質感、温度を細かに想像し、種に戻せ。あなたはそう言いました。けれど、私にはもう、この白扇の右端に描かれている灰色の枯れた植物は、私が作ったぺちゃんこに潰れた蒸しぱんにしか見えません」

「そうか。では、種はどのような形になる?」

「種は、仙弥殿が作った蒸しぱんです」

「そうか」

「はい」


 植物ではない答えを出してしまったので、もしかしたら、失敗と見なされて『雪芒』の能力をすべて奪われるかもしれない。

 その懸念はこの答えを見つけた時から常に付き纏っていた。

 けれど、


(私にはもう、)


 己の依り代になるのは、この蒸しぱん以外になかった。

 『雪芒』として勤めて行く中で、この蒸しぱん以外に己を保つものなど、己を己たらしめるものなど思いつかなかった。


(だからもしも、失格と見なされて『雪芒』の能力が奪われたとしても、)


 ゾッと、胸を中心にして吹雪が全身で暴れ回る。

 今更、植物の名を言わなかった事に対して後悔の思考が生まれるなんて。


(『雪芒』の能力が、奪われたら、私は、)


 離れなければならない。天紅あまがべに家から、雪晶ゆきあきから、未空みそらから、加治かじから、菜々美ななみから、ひびしから、紅凪こうしから、仙弥せんやから、紗世さよから、朱希あきから、杏梨あんりから、風早かざはやから。


(離れて私は、)


「ならばよい。修行は終了だ」

「え?」

「己の核とするには植物が好ましいが。おまえの核として植物はそぐわなかっただけの話。稀にいる。おまえの頭の中でしっかりと色や形、質感、温度を細かに想像もできている。合格だ。おまえはよほど自信がないようだが。私が『雪芒』と認めたのだ。安心して、『雪芒』としての責務を果たしなさい。『雪芒』は人々の心の安寧を保護し仄かな明かりを照らし続ける者。決して、悪戯に心に暗闇をもたらす者ではない………おまえが心を灯してくれると信じている者たちが居るだろう。早く行きなさい」

「私。は、」


 嬉しさ、だろうか。

 『雪芒』として認められた嬉しさ。

 みんなから離れなくていい嬉しさ。

 漸く名乗れる嬉しさ。

 漸く想いに応える事ができる嬉しさ。

 それらの嬉しさが、安堵が、吹雪を打ち消し、春風が身体中に優しく舞い流れる。安心していいと、力を抜いていいと、優しく語りかけてくる。


「ありがとうございました!」


 緩やかに形が崩れ落ちそうになる身体に声を出す事で活を入れた氷月は、地面に置いていた白扇を畳んで胸元に収めると、素早く立ち上がり、深く頭を下げて走り出した。

 恐怖はまだある。

 死への誘惑が消え去ったわけではない。

 己の空虚は残ったまま。

 初めて生まれた自信は微かなもので、ともすれば恐怖や死や空虚によって瞬く間に消し去られてしまうだろう。

 それならば、そうだからこそ、今は、今だけでも、


(加治殿の『雪芒』を成功させるまでは。成功させて、紅凪王子に名前を告げるまでは、この自信は絶対に、)


 横壁に灯されている蝋燭の火を消し去らん勢いで地下階段を駆け上がった氷月は、出入り口の前で鍛錬して待っていた仙弥を横切りながら、その勢いを殺さずに加治殿の家に行きますと言った。修行は成功したのだと悟った仙弥は、すぐさま駆け走っては氷月に追いついてのち並走した。

 守らなければ、と、強い衝動に駆られる。

 氷月が横切る際に見せた弱弱しい火。

 微かな風ですら消え去りそうなほどに弱弱しいが故に、氷月が必死に灯し続けるこの火を守らなければならない。

 この庇護欲は要らぬ世話なのだろう。それでも、


「一緒に行くぞ。氷月」

「はい」




 氷月と共に、この弱弱しい火を守り、届けたかった。











(2024.10.24)



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