ちに繕う野花 九
宿泊客用に設けられた台所に持ち運んだ酒を全部飲み終えた杏梨が、氷月と共に使用する客室へと戻ったのを見届けた仙弥。蒸しぱん作りでの後片付けはすでに氷月と共に済ませており、飲み終えた酒瓶を集めるだけで後始末は完了したので、俺たちも戻りましょうかとトキに話しかければ、どこに隠し持っていたのか、小さな銀杏型の酒瓶を手に持っていて、仙弥に座るように促した。
飲みませんよ。仙弥は一言断って素直に丸太椅子に腰を下ろした。
「いいのか?」
酒瓶から直接飲むのかと思いきや、お猪口にわざわざ注ぐ様子を見るに、少し時間がかかりそうだと溜息を吐きながら、仙弥は止めろって言ったとしても聞きませんからねと返した。
「雪芒を止めさせたいんだろう」
「はい」
「おまえがまた泣き真似でもしたら聞くんじゃないか?」
「聞きませんよ」
「ならばまた繰り返すか」
「いえ、今回は。最後こそは必ず」
「聞き飽きたがな。おまえのそれも、紅凪のそれも」
「はい。本当に。思い知らされますよ。いえ。刻み付けられると言ってもいいです」
「紅凪に言わないのか?」
「はい」
「協力したら悲願が達成するかもしれないぞ。おまえたちそれぞれの、な」
「いえ。知っていると知ったら、瓦解しそうなんで。でも、もしかしたら」
「おまえたちは本当にどんくさいな」
「あなたが出てくるくらいに」
「俺には何も期待するなよ」
「はい」
「ただの戯れだ」
「はい」
「婚約者の役もな」
「はい」
「ただし、青嵐は本気らしいがな」
「………本気、ですか?」
「ああ」
「………氷月と本気で結婚する気があるという事ですか?」
「ああ」
「………困るんですが」
「勝手に困ってろ」
「氷月は紅凪と結婚するんですよ」
「それもおまえの勝手な願望だろうが」
「紅凪も氷月に結婚を申し込んだと聞きましたが」
「氷月はにべもなく断ったがな。おまえが居るからと」
「俺は。別に。好きだが。結婚したいわけじゃ。ただ。氷月以外はゆるしてやれそうにないってだけで」
「氷月もそう思っているだろうな。おまえ以外はゆるせないと」
「………紅凪、は、俺が、好きだと」
「知らん。と、言っておいてやる」
「言わないでくださいよ」
「誰に言っているんだ?」
「感謝はしています。とてつもなく。でも、退屈しのぎに何かをしでかしそうで怖いです」
「ああ。肝に銘じておけよ。おまえらの望まない何かをしでかすと」
「………氷月を連れて行かないでくださいよ」
「は?」
「まあ、でも。氷月を連れて行っても、俺たちが必ず連れ戻しますんで。宣言しときます」
「変な勘繰りはするなよ。言っただろうが。退屈しのぎだ」
「紅凪も同じく、ですよ。俺と氷月が必ず連れ戻します」
「っは。なら、おまえを連れて行ったら、氷月と紅凪が連れ戻すわけか」
意識してゆったりと飲み続けた酒も、この一口で終いだった。
トキは喉が焼き切れそうな強い酒を涼しい顔で飲み干してのち、空になった酒瓶を仙弥に差し向けた。
(莫迦なやつだ)
連れ戻してくれる。
何故そう断言しないのか。何故自分は違うと線引きしているのか。
トキは仙弥が受け取るより先に、仙弥の傍らに置かれた、酒瓶が纏めて入った竹籠に銀杏型の酒瓶を追加しては、グッと仙弥に顔を近づけた。
吐息がかかるような間近さで。妖艶に笑って、言ってやった。
可愛がってやるから安心しろ、と。
仙弥の反応にはもはや興味がなかったので、背を向けて入口へと歩き出し、さっさと戻るぞと告げた。
仙弥は何も言わず竹籠を抱えて、トキの後を追った。
(俺がもし連れて行かれたら)
頼もうと思った。
絶対に頼まれてはくれないだろうが、頼み込む。案外聞いてくれそうだ。
あいつらから記憶を消してくれと。
そうしたら、何も問題はない。
何も。
「紅凪と氷月がしあわせなら、俺は」
その為ならば、何でもする。弊害は取り除く。
己だって例外ではなかった。
(2022.4.29)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます