ちに繕う野花 七




 瓦解しそうだ。

 仙弥は思った。

 視界に入る肌全てを紅に染め上げる氷月を見て、微かにでも触れたのならば。

 肌で、爪で、言葉で、微かにでも触れたのならば、瓦解しそうだと。

 氷月が望んでいると。


 莫迦だな。率直に思った。

 自分の作った蒸しぱんを食べたい。

 たったそれだけの願いを告げるのに、その緊張具合はどうしたと。

 そんな。

 一生に一度しか叶わない壮大な願いを告げるような決死の態度で。


(莫迦だな)


 こぽこぽこぽこぽ。

 泡が生まれ、浮き上がる。


 こぽこぽこぽこぽ。

 五臓六腑から神経の先まで充満して、弾けて、生まれて、浮き上がって。


 幾度も幾度も、遅く、速く、繰り返して。

 思考より先に感情が身体を動かす。勝手に。

 仙弥は氷月の片頬をほんの少し、親指と人差し指で抓んでは、目を細めた。


「一緒に作るか?」


 肌を染め上げる紅をますます濃くさせた氷月は小さく頭を振って、仙弥が作った蒸しぱんが食べたいのだと、か細い声で告げた。

 仙弥は氷月の頬から手を退かしては腕を組んで、真顔になって嫌だと言った。


「あ………」


 わたわたと。傍目に見ても可哀そうなくらいに両の手を揺り動かす氷月はそれでも、分かりましたと言って引きはしなかった。


「一緒に。でも。私。料理は。一度も」

「一生しないつもりか?」

「料理ができなくても、野草や野実を収穫したり、お店で買ったり、時々食べなかったりすれば」

「待て」


 収穫か、購買か。その手があったと言わんばかりに駆け走る体勢を取った氷月に、仙弥は鋭い声音で押し留めた。途端、青菜に塩の有様となった氷月はまた忙しなく両の手を揺り動かした。

 どうすればいいか必死に考えているのだろう。


(一緒に作ると言えばいいのに、本当に頑固だな)


 やれやれ。

 仙弥は氷月に気づかれないように溜息をそよがせれば、僅かに手の汗が引いたように思えた。

 仙弥とて、氷月に求めるのはごくごく僅か。緊張も当然と言うもの。

 直近では、紅凪と結婚してくれと言ったくらいなのだ。決死の覚悟だ。


(いや。もしかしてあれが初めてじゃないか)


 一緒に居る時間が多かった幼少期は紅凪が自分たちを引っ張って、連れ回して。

 遊びたい。作りたい。話したい。見たい。聞きたい。刈りたい。釣りたい。走りたい。歩きたい。食べたい。買いたい。読みたい。眠りたい。


 一緒に。

 そう。求めるのは何時だって彼だったような。


(結局、似ているんだよな俺たちは)


 願いを口にするのが苦手。

 胸の内では大量に願っているはずなのに。

 数が少なくとも、何度も、何度も、何度だって、繰り返して。

 変わらない願いを心中でだけ巡らせ続けて。

 その他はどうでもいいと。

 些細で、けれどとてつもなく大切な。彼が求める事を。彼が求める事だけに応じて一緒に。


(どうでも、よくなかったのにな)


 待っているつもりなど毛頭なかったが。

 実はずっと。だなんて。


(なさけない。けど、しょうがない。思いつかないんだからな)


 役割分担。割り切る。求める事が思いついたらそれでいい。無理に思考を巡らせる必要なし。うん。そして今、思いついた。だから氷月に求める。


「俺は氷月と蒸しぱんが作りたい」

「あ………でも。失敗、します。材料が。もったいない。です。捨てませんけど。かわいそう。です。私に」


 自分に使われて失敗するなら、他の人に使ってもらった方が、その人が失敗しても肥やしになる。けれど、自分はただ、すり抜けて行くだけ。


 何も。


(残らない)




「俺と一緒に蒸しぱんを作るのは嫌か?」


 妙案はないかと考えようとした矢先の出来事に直面した氷月の全身に激震が駆け走った。

 しょんもり声だ。眉尻を下げて、肩も落として、声も小さく低くして、しょんもりしている。仙弥が。

 あわあわあわあわあたふたあたふたあたふた。

 氷月は視線も手足も右往左往揺り動かした。

 確実に。自分が断ったが故に仙弥にしょんもりさせているこの現状。

 取るべき選択は一つ。

 氷月は謝罪した。これから使う材料たちに。ちゃんと胃に治めるので赦してくださいと。


「一緒に。作り、ます」


 嫌ですけど。との態度を前面に出しながらも承諾した氷月に、仙弥は先程までの態度とは打って変わって満面の笑みを浮かべ、じゃあ行くかと明るい声で言ったのであった。








(2022.4.26)


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