ちに繕う野花 六




 参の区画、黄檗町。雪芒の修行場にて。

 氷月は植物本から模写した花を丁寧に頭に浮かべながら、雪晶からもらった白扇の右側に描かれた灰色の枯れた植物を凝視していたが、今迄実際に目にしてきた花も、植物本で初めて知った花も、どれもこれも違うような気がしてならず、気が滅入るばかり。

 非情にも時間は刻一刻と流れて行く。

 今日で二日目。しかもあと数十分も経たずしてこの日の修行時間も終わりを迎える。

 残り三日で本当に花を見つけられるのか。

 肥大する疑問が、焦燥が、己を圧迫して、身の内に留めておけず弾け散るのではないだろうか。

 なんてくだらない思考。

 本当にくだらないが。


(恐らくこれは)


 この花は己の依り代。雪芒で他者に意識を飛ばした時に己と成り得るもの。

 本来、人間としての己を形作らなければならないが、それが難しい場合の代替。

 否。本当は人間という形に拘らなくてもいいのだろう。

 己を形作る存在ならば、他者から見たらそれがどんなに荒唐無稽な形であってもいいのだ。

 仮定の話。実際はどうか分からないが、あながち間違ってはいないと思う。


(花、で、なくとも)


 雪晶、紅凪、仙弥の姿が不意に脳裏を過り、ゆるく頭を振った。

 憧れている、人たちなのだろうが、違う。

 恩に報いたい。幸せになってほしいが、あの人たちになりたいと目指しているわけではない。

 凝視し続ける先では、白扇に描かれた灰色の枯れた植物が変化を続ける。


 まるで定まらない己の心。己の命。

 欠落している生への執着。

 恵まれている環境にもかかわらず。


(雪晶様は何故私を拾ったのか)


 尋ねたら答えてくれるだろうか。

 答えをもらったら生への執着が芽生えるのだろうか。それともいっそ、断ち切られるのだろうか。


(けれど、畏れ多くてできない)


 何か助言はありましたか。

 未空は時々氷月が雪晶に呼び出され用事を聞いて出てきた時にこう尋ねたが、ずっと否を返してきた。

 疑問を挟む余地などない決定事項を伝えられるだけなのだ。

 助言など。


(私も勝手に決めて勝手に行動してきた)


 こうだと決めつけて、体力作りも勉強も己で決めてがむしゃらに行動に移して、他者からの助言を求めはしなかった。

 できなかった。

 助言を与えられた処で、どうせできはしないのだから。

 己に時間を割くなど、無駄な事をしてほしくなかった。それよりももっと優秀な人材に、本人に時間を使ってほしかった。

 ひっそりと、迷惑をかけないように。迷惑だけはかけないようにと、心がけているのに。

 迷惑ばかり。

 幼い頃からまるで進歩がない。変化がない。



 変わりたい、のに。



 暗く冷たい地下へと沈み続ける思考は、けれど、ふんわりと優しく跳ね返って少しずつ浮上する。

 不思議な場所だ。

 氷月は思った。

 気が滅入る事ばかり考えてしまうのに、灰色の岩肌に囲まれている寒々しい空間なのに、悲しみや寂しさなど負の感情一色に染められはしない。

 ほんのりと温かくて、深く呼吸ができる。

 まるで、

 まるで。仙弥から初めてもらった蒸しぱんを食べた時みたいに。

 初めて、心休まれた瞬間。

 おもむろに思い出した瞬間、か細い電気が身体中から放出された気がした。


(好きな)


 唯一、ではないだろうか。

 好きなものは何かと訊かれたら、きっと、淀みなく答えられるのは。

 氷月は広げていた白扇を畳んでは胸元に収めて、立ち上がり、出入口へと歩き出した。

 ドキドキと痛みさえ生じそうな拍動が歩みを速ませては、遅らせる。

 いいのだろうか、と。

 いいのだろうか、もう返しきれない恩をもらったのに。

 立っていられる地をもらったのに。

 強請っていいのだろうか。


(初めて、だ)


 初めてなのだ。

 いつも、もらうばかりだったから。

 欲しいと強請るのは。

 作ってほしいと。

 いいの、だろうか。


(怖い)


 何が怖い?

 拒絶。呆れ。幻滅。

 突き放される事。

 そんなひどい事はしない。

 けれどもしも。

 もしも心傷つけられる事をされたとしても。


(言ってもきっと私は後悔しない)


 しないが、やはり怖いものは怖い。

 速くなる拍動とは裏腹にどんどん遅くなる歩行。

 けれど歩き続ければ無論、出入り口には辿り着くというもの。

 最後の一段を上り切り、平たい場所でいったん立ち止まり、深呼吸。したつもりが、浅い。


 やはり止めようか。

 弱い己が囁くも、大きく頭を振って追い払う。

 言う。言うったら言うのだ。


 距離の短い道を歩けば、外へと出られ。

 外へと出たら、必然的に、仙弥に出会う。

 氷月は仙弥を視界に入れた瞬間、身体の素材が何か硬かったり柔らかかったりと、兎に角、はちゃめちゃな物質と入れ替わったような感覚に陥り、思わず両手を見るも、見た目は変わらぬ手があるだけだった。


(怖い)


 肯定されても否定されても、身体が瓦解しそうだ。

 本気で危惧しながらも、一歩一歩、地を踏みしめて、仙弥との距離を縮めて、伸ばした腕一本分の距離を開けた地点で、視線を右往左往させながら、か細い声で言った。



 仙弥の作った蒸しぱんが食べたい。と。











(2021.10.21)


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