ちに繕う野花 五
買い求めた二十冊の内、十冊を自分なりに克明に描き終えた氷月は、寝ないまま朝食を取り終えて仙弥と共に雪芒の修行場に来ていた。
大丈夫だから、きちんと寝た方がいいし、根を詰めたら視野が狭くなる。もっと肩の力を抜け。その方がいい考えが浮かぶ。好きな花だって選び放題だ。大丈夫だ。絶対に合格する。おまえなら絶対に大丈夫だから。
発しそうになる上滑りな慰めの言葉をやわく押し留めて、ただ黙って氷月の後姿を見送った仙弥。本当に何の役にも立たないと思いながら、寂しい風景を立ったまま見下ろした。
もしも。
もしも、この修行に合格しなかったら。
雪芒の能力はなくなり、天紅家から出なければいけなくなり、青嵐の許嫁ではなくなり、紅凪とは今迄のようには会えなくなり。
(だが、おばばが多分氷月を引き取ってくれるだろうから)
少しずつ、少しずつ。
あの温かい場所で、癒されるのではないだろうか。
少しずつ、少しずつ。
好きなものが見つかるのではないだろうか。
少しずつ、少しずつ。
生きていきたいと思えるのではないだろうか。
少しずつ、少しずつ。
己の名を口にして、歩いて、歩いて。
何時の日か、紅凪の嫁になれるのではないだろうか。
身分など、紅凪がどうにかする。
時間など、紅凪がどうにかする。
災厄は、俺がどうにかしてやる。
俺が、二人を絶対に。
(俺の命を賭しても)
知らず握りしめていた指を掌からおもむろに離す。
短い爪にもかかわらず皮膚に痕を残しているくらいなので、相当力を込めたのだろうと苦笑を零す。
最初からおばばが氷月を引き取っていてくれたのならば。
否。
駄々をこねれば良かったのだ。
窮屈で苦痛になっていると分かった時に、あの家から氷月を引き離す為に。
おばばに強請れば良かったのだ。
妹として迎えたいと。
養子の分際で何を言うのかと責める人では決してない。
(俺が雪晶さんに)
言えば良かった。
そうしたら。
そうしたら、
(だが、氷月が)
きっと首を縦に振らないだろう。
頑固な子だから。
本当に。
小さい頃から今に至るまでずっと。
(本当は雪晶さんより早く氷月を見つけられていたら)
もしも。もしも、もしも。
何度も、何度も、何度だって。
(こればっかりはやり直せないんだけどな)
こればっかりは。
けれどこれからは。
ここからは。
後ろ向きな思考に陥っているのは。
ここが大きな変わり目だからこそ。
雪芒を辞めさせる、恐らく、さいごの機会だからこそ。
ゆるされなくとも。
まもれるならば。
仙弥は笑った。
この物悲しい景色に沿う乾いた風のように。
この雄大な景色にあまねく行き届くそよ風のように。
小さく、ちいさく、わらった。
(2021.10.20)
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