ちに繕う野花 二




 参の区画、黄檗町。『扇晶国』の東南端に位置するこの町には二つの目玉があった。一つは、豊富に湧き出る温泉と、人が多く賑やかで建物が彩り鮮やかな温泉街。もう一つが、枯山水極まれりと言わしめる景観である。百八つある小さな岩山の合間を細い川が流れているのである。世の喧騒から離れた浮世めいたここは、雪芒の修行場がある場所でもあった。



 黄檗町は療養地としてここを提供する為、点在する十の小屋の予約客以外は、午前十時から午後四時まで開放、あとは立ち入り禁止との条例を作った。



 今現在、午後四時を過ぎた辺り。通り過ぎた温泉街とは対照的に、人が見当たらないそこは趣深い景観に似合った静謐な空気が漂っていた。



 馬を二度変えて休憩を挟みながら、約八時間。馬を飛ばして辿り着いた一行は氷月の修行場がある景観を高台から見下ろして、雪芒専用に用意された小屋に向かうのかと思いきや、トキと杏梨が温泉街に繰り出すぞと言い出した。



 馬の手綱を握っていなかった為、横になりたいくらいに休憩を欲しているわけではないが、温泉街まで戻る気にもなれなかった氷月。自分は小屋に行くので別行動を取ろうと言いたい処であったが、そうすれば、仙弥と二人きりになる状況が待っているので、否とは言えなかった。



 いつまでもだんまりを続けるわけにはいかない。

 謝らなければ。だが、何を謝ればいいのか。


 孤児を卑下するような言動を取った事。信頼を断ち切った事。


 修行をして、雪芒として、成果を上げられれば、

 菜々美の雪芒を成功させられれば、

 己に自信を持たせてくれる事象が行えれば、



(……胸を張れなくても、せめて、)


 前髪にちょんと、触れた。






『あなたが直々に出迎えたくらいです。さぞや素晴らしい雪芒になれるのでしょうな』


『おやおや。もったいぶらないで早くあの方のお眼鏡にかなった才を見せてくださいよ』


『なんだ。その目は。野蛮な。今にも食ってかかるぞと脅さんばかりだ。ッハ。捨てられた理由がよく分かる。おまえの両親は賢明な判断をした。それに比べてあの方は』


『あの方は当主の器ではない。使える人材を見極められないとは』


『修行に耐えられないなど。恥を知れ』


『前髪で隠した処で、おまえの本性が隠されるものでもあるまいに。まあ、しかし。見せられないだけましか。おまえの目と言ったら。まったく。おぞましい』


『目を隠すとは。あの方にどれだけ汚名を着せれば気が済むのだ。何時までも温情に甘えていないで、さっさといなくなればいいものを』


『紅凪様も時期王として自覚を持っていただかなければ。このような者と付き合うなど』




(早く、雪芒にならないと、)


 傍にいる間だけでも、






「氷月。行くぞ」


 乗馬している仙弥を見上げた氷月。差し伸ばされた手を通り抜けて顔を見れば、思わず眇めてしまった。



 とても、まぶしかったのだ。

 この人なら、

 この人ならばきっと、



(羨むばかりでは、)



 ふるり。小さく一度だけ頭を振って、仙弥の手を握った。仙弥は氷月が二つある内の後方にあるあぶみに足を通したのを確認してから、行くぞと言って引っ張り上げた。氷月があぶみに重心を置いて地面を蹴り上げた時と重なり合ったおかげで、すんなりと鞍に腰を落ち着かせる事ができた。



 いいかと訊けば、はいと返事があったので、仙弥は馬の肋を軽く蹴ると、馬は緩やかに動き出した。


 ここから温泉街までそう離れているわけでもない。辿り着くまでのように速度を上げる必要はなく、のんびりと行く事にした。




 遮断されているみたいだ。仙弥は殺風景な前の道を見ながらそう思った。

 温泉街からそう離れているわけでもないのに、あちらの活気がまるで届いてこなかった。


 気が滅入らないのだろうか。枯山水と言えば聞こえはいいが。

 岩山の灰。川の水。岩山や地に生える少しの緑。建物の茶系統。

 色がこれだけしかないのだ。せめて少しでも、小さくとも花があればいいと思う。



(しかし、本気で参った人間には、ここが最適なのかもな)


 きっと、鮮やかな色は邪魔なのだ。のんびりとそう思いながら、腹に緩く巻き付く手を一瞥した。



 小さな手だった。

 皮の厚い手だった。

 熱い手だった。




『価値がないから私は、実親に捨てられたんです。どうして。自分が幸せになれると思う事ができるのでしょうか?』


『今の私でさえ、路傍の石よりも価値が見出せない。私は、』


『あなた方に理由と道と光ももらったのに、私は生きる価値を見出せない』




 氷月はもう一人の自分だ。いくつもに分かれている道の一つだった。

 捨てられた故に、矮小になり。

 拾われた先が雪芒の当主だった故に、焦燥に駆られ。

 雪芒としての才が芽生えないが故に、絶望を抱き。



 氷月はきっと、自分が同じ状況に陥ったとしても、潜り抜けられたと感じているだろうが。

 そうでもないだろう。



 拾われた先の環境と時間が己にとって優位に働いていただけ。

 根こそぎ奪われず、傷つけられず、満たされているから、捨てられた事も気にならず、前を向いていられるのだ。



『俺と結婚しろ!』



 心を痛める必要など何処にあろうか。

 二人が結婚するなんて喜ばしい限り。

 幸せになってほしいのだ、


 二人ともに。

 幸福に満たされてほしい。


 助けを求められる距離にいられるのならば、欲深い懐もきっと満たされるから。



(ただ、今のままでは)



 傷つけて、傷つけられて、不透明になって、厚くなってしまった壁。

 氷月の問題だと。見守る事しかできないのだろうか。



(語れる言葉をまだ見つけられん)









 温泉街に辿り着いた一行。馬を馬屋に預けて、今日はここに泊まるぞと言うや、ささっと身近にある宿泊施設に向かっては取り付け、酒だ酒だと飛び跳ねて行ったトキと杏梨。花々が咲き誇る春爛漫の風景よりも彩り鮮やかな温泉街の中、値踏みせずに身近な居酒屋に飛び込んで、テーブル席に案内されると店主のお勧めの酒と夕飯を持って来いと声高に言い放った。



「おまえらは飲むなよ。私たちを連れ帰らなければいけないからな」

「酔っぱらう気満々か」



 呆れた仙弥に、トキと杏梨は当たり前だろうと返した。



「風呂に入らないのか?」



 長時間、しかもずっと駆け足で乗馬していたのだ。本当ならば、温泉に入ってこざっぱりして夕飯を食べたかったのだが、竜巻のようなふたりに負けてしまった仙弥の問いに、杏梨は明日の朝入ると言った。きたねえと仙弥が言えば、杏梨はうるさいと返した。



「もう、酒一色に染められたんだ。酒風呂があるなら入ってやらん事もない」

「止めてくれ。ここにいる間、ずっと酔っ払いの世話なんてごめんだぞ」


 仙弥の対面に座る杏梨はにたりと笑った。


「日頃の感謝をここで返してくれても構わんのだが」

「護衛で来ている事を忘れるなよ」

「誰にものを言ってんだ、仙弥」



 重圧など皆無の軽やかな物言いだったが、仙弥は気圧されるように口を閉じた。条件反射みたいなものだ。敵わないと身を以て知っているから、敢え無く言葉を摘み取られる。

 鼻を鳴らした杏梨は早速持ち運ばれた酒を一気に飲み干してから、感激の唸り声を上げて、ほどほどにするさと言った。そうしてくれ。仙弥は眉根を寄せた告げた。



 仲がいいんだな。氷月は思いながら、対面に座るトキに飲み過ぎないでくださいと忠告した。



「おまえ。結構口うるさいな。もっと無口だと思ってたんだが」

「トキ様は紅凪王子の婚約者なので、もしお酒を飲み過ぎて何か遭ったら困ります」


 二杯目を飲み干したトキは二、三回頭を振った。


「はあー。紅凪、紅凪言うくせに、結婚はしない。じゃあ、仙弥と結婚したいのか?」


 思わずお茶を噴き出しそうになった仙弥。防いだが、喉を傷めてしまい、咳が出てしまったので、冷たい水を口に含んだ。


「仙弥殿。大丈夫ですか?」

「ああ。大丈夫だ」


 だらしないな。からかう杏梨は、ほっとけと仙弥に返されてから、しかしと、言葉を紡いだ。


「私も気になるな。おい。氷月。紅凪と結婚したくないなら、仙弥とはどうなんだ?」


 仙弥は口をつぐんで、氷月を見た。氷月は仙弥をちらと視線を向けては、トキに戻した。


「仙弥殿とも結婚したくありませんが、嫌いなわけじゃないです」



 言い淀んでいるのは、嫌いだと誤解されたくないからだろう。

 仙弥は俺も氷月が好きだと言った。氷月は仙弥に身体を向けようとしたが、思いとどまり、下を向いて、ありがとうございますと告げた。



「つまらないですね」

「つまらんなあ」


 ぐびぐび酒を飲み干すトキと杏梨。通りかかる店員に、じゃんじゃん酒を持ってきてくれと注文した。




「だが、氷月がトキ様にずけずけとものを言うのは意外だったな」



 イカメシと地鶏の野菜炒め、ちくわなど五種の練り物、焼きそば、刺身の盛り合わせ、パセリと川海老のサラダ、白米の大半を食べ終えて、いいほろ酔い具合になった頃。杏梨が口を開いた。



「なんか、垣根が低いというか。身構えが少ないんじゃないか。もしかしたら、紅凪と仙弥よりも」

「そう、ですか」



 氷月は小さく首を傾げながらも、確かにと、思わないではなかった。



 正体が分からない時は持っていた警戒心は、王族の親類と判明してからは、少なくなった。否。なくなったとさえ言えた。紅凪が気安く接しているのを見ていたのも要因だろう。


 では、身構えが少ないのは。

 どうしてだろうか。

 紅凪に似ている、所為、

 ではなくて。



(………私に対して何も期待していないから)



 自分がトキに対して。トキが自分に対して。何も期待していないから、身構えが少ないのだ。

 紅凪や仙弥、雪晶に対しては、期待に応えたい、一方的であったとしても、応えたいと強く思っているから、どうしても、身構えてしまうのだ。

 他の人に対しても、そうなのだろう。彼らに結びついてしまうから、身構えてしまう。



 身構えない例外があるとすれば、未空、紗世、杏梨、風早の四人だろう。

 やはり期待がないからだろうか。互いに無関心なわけではないのだが。

 だが、出会って早々から身構えなかったかと言えば、そうではない。

 共に過ごす時間が積み重なっていく中で徐々に解かれていったはず。



 トキに関して言えば、出会ってからそれほど時間も経っていないのだ。

 何故、身構えが少ないのだろうか。



(分からない)



「おいおい。なら、俺と結婚するか?」


 トキの発言は冗談だと氷月は分かっていながらも、真面目に返すでも、軽く返すでもなく黙って、直視していた。


「……おい。本気にしてないよな?」


 せっかくのほろ酔い加減が些か冷めてしまったトキ。氷月が何を言おうと、軽やかに返そうと思っていたが。


「いえ。結婚しません」


 素っ気ない物言いだったが、何やら重みがあったような気がするトキ。ああ、そうかと、呟くように告げてしまった。


「……おい。仙弥。氷月。もしかして。もしかしてじゃないか」


 少しだけ前のめりになって話しかけてきた杏梨に、仙弥はもう宿に戻るぞと言っては、通りかかった店員に支払いをお願いした。











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