ちに繕う野花 三
「慰労会を一週間後に開催するから諸々よろしく。じゃねえ!」
『扇晶城』庭園にて。
紅凪は今、国王から突如として任命された慰労会取締役として、同じく任命された青嵐と共に会場とするここで、芝生の上に直に座って色々と打ち合わせをしていた。
「まあまあ、国王が稀に突発的な事をするのは何時もの事じゃないか。そんなに目くじらを立てるんじゃないよ」
「招待客ぐらいは選ぶもんだろっ」
やけにカリカリしている紅凪を青嵐は目を細めて見つめた。
「氷月と仙弥殿が一緒にいなくなって、そんなに寂しいのかい?」
「違うわい!」
「じゃあお腹が空いているのかい?しょうがないなあ。網代にお願いして、カスタードクリームのたい焼きを作ってもらおう」
「それ網代の好物!」
「嫌いなのかい?」
「嫌いじゃない!」
「何をそんなに怒ってるんだい。お兄ちゃんに話してごらん」
「黙秘します!」
「やれやれ。思春期真っ最中の弟は難しい」
「ぐるるるる」
青嵐はついつい顎下をくすぐりたくなる気持ちを抑えて、頭をそっと二度だけ撫でた。
二度だけ。思春期っ子の扱いは難しいのだ。
「氷月が手の届かない場所にいるのが不安なのかい?」
紅凪は青嵐を穴が開くほど凝視したのち、ぷいっと顔を背けた。
「仙弥と杏梨がいるから大丈夫だ」
「と言い聞かせている?」
紅凪は口を尖らせた。唇が限界を訴えるまで尖らせて、不意に力を抜かした。
「兄貴は氷月が雪芒の当主の子だから結婚するんだろ」
「そうだね」
「氷月が雪芒だから結婚するんだろ」
「そうだよ」
「どっちでもなくなったら結婚しないだろ」
「反対されるだろうし。反対されるなら、私も結婚する気が失せるよ。氷月と直接話すまではの話だけど」
「じゃあ、今はどうなんだ?」
「半々かな」
紅凪は眉根を寄せた。
「半々かよ」
「恋をしようと告げたばかりだし。了承も得てないからね。まあ、そうそう得られないだろうけど」
「好きになったって、本当か?」
「そうだね」
「兄貴は国王になりたいか?」
「紅凪が補佐を務めてくれるなら」
「なら、氷月は兄貴の嫁にはさせたくない」
「自分の花嫁さんにもさせたくない?」
紅凪は頬を膨らませた。随分と幼い言動を取る紅凪に、情緒不安定なんだと悟る青嵐。言うつもりはなかったが。思いながら、口を開いた。
「じゃあ、仙弥殿ならどうだい?」
「両想いならいい」
「顔面しわくちゃだよ」
「いろいろ複雑なんだよ!」
あー止め止め雑談終了本題に入るぞ。
言い放ち、招待客の話に戻る紅凪に、はいはいと優しく返事をする青嵐であった。
参の区画、黄檗町。雪芒修行場にて。
百八つある小さな岩山の一つの前に立っていたのは、仙弥であった。
その中に入って行った氷月が出てくるのを待っていたのである。
宿泊施設でも浴びるほど酒を飲んでいたトキと杏梨は、今もいびきをかいているだろう。
想像し、眉根を寄せる。
(風早にお小言を食らうな)
酒をあまり飲ませ過ぎないようにしてください。
杏梨の身体を気遣っての願い。風早自身もきっと杏梨の酒の量を減らせるなど期待はしていないし、自分も杏梨が自分の言を聞くとも思っていない上に、力で敵うわけもなく(事実耳を傾けてはくれなかったし、挑んでみてもお茶の子さいさいで倒された)。
尊敬はしていると思う、が、執着はなく、耳にたこができるまで、小言を口にする相手かと言えば、そうでもない。互いに軽く薄い関係なのだ。しかし果たして、悲観は全くない。互いに望んでいるから。
(だが、一度くらい面食らわせてみたいよな)
終日傍にいる機会などそうそうないのだ。ここにいる間、真剣に挑戦してみるか。
行って来いと言って、行ってきますと返した氷月を思い返して、軽く素振りでもしようと腰に携えていた剣を手に取った。
一方、岩山の中に入って行った氷月は、蝋燭が横壁に灯されている地下階段をひたすら下り続けていた。
歩くたびに反響する靴音しかしない世界の中、階段が終わった先には一本道があった。進むと、半円状の広い空間に出た。
天紅家の雪芒用の修行場『そめ』のように、純白に発光している場所かと予想していたが、違って、外観と同じ灰色だった。
氷月は辺りを見回し、階段とは違い音がしないその空間の中で、修行をつけてくれる人物を探した。
失敗するか、成功するかの二択のみ。
途中放棄は認められていない。
修行を付けてくれる相手が期間を指定。ただ、望めば、その期間に応じた修行を提供してくれる。また、修行場には終日いられるわけではなく、指定された時間に足を運び、時間が来れば去らなければいけない。
『そめ』同様に、食事など生理的欲求は発生しない。
命を落とすわけでもなければ、精神が病むわけでもない。
ただ、失敗すれば、雪芒の能力を根こそぎ奪われるのみ。
(いない)
それほど広くはない空間。岩肌ばかりで、隠れられる箇所はない。
もしや、雪芒の才が見当たらないので、出てくる必要なしと見限られたのか。
ゾッと背筋が凍る。
名前を告げて、修行をつけてくれるように嘆願しなければ。
思うのに、言えない。
天紅家にいた時も、雪晶にあちこちに連れられた時も、城局省にいた時でさえ、自ら名乗りはしなかった。雪晶や未空、上司が紹介してくれたから、お願いしますとしか告げなかったのだ。
唯一、名乗った事があるとすれば、雪晶に拾われた時のみ。
氷月だった時だけ。
天紅氷月になってからは一度だって、
『名前を告げるのを待ってほしいです』
『聴いた』
『…返事が欲しいです』
『……待ってやる。けど、もう何年待った?十年だろ。だからあまり待たない』
紅凪とのやり取りからもうどれだけ時間が経っただろうか。
十年待たせて、また待たせて。
(名前を、)
名を告げるなど。幼子さえできる容易い事なのに、
こんな事さえ躊躇してしまう己が、情けなくて、恥ずかしくて、腹立たしくて、
けれど、この固執を捨ててしまえば、
胸を張ってなど高望みはしない。
躊躇いも、震えも、淀みもなく、恥じずに名を告げられる人間になりたいとの、誇りを捨ててしまえば、
もう、誰の前にも立てなくなるような気がして、恐ろしいのだ。
無意識に手を置いていた。
雪晶と青嵐からもらった白扇を収めている胸元に。
ふと視線も向ければ、仄かに発光している事に気づき、白扇を二本とも取り出して開いてみれば、雪晶からもらった白扇の右端に灰色の枯れた植物が描かれていた。
自分がしたのかと動揺していると、声が聞こえた。咄嗟に辺りを見回すも、やはり姿はなく。
声だけが頭に直接語りかけてくる。
その枯れた植物の花や葉、枝、茎、根の色や形、質感、温度を細かに想像し、種に戻せ。時間は五日。午前十時から午後四時まで。
気張りなさい。
それきり声が聞こえなくなると、中央に足を運んでは正座になり、青嵐の白扇を胸元に戻すと、一度深く呼吸をし、枯れた植物を凝視した。
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