二巻 ちに繕う野花編
ちに繕う野花 一
やめてくれ。
やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ、
俺から大切な人を、二人とも奪わないでくれ、
助けたいんだ、
あいつだけじゃだめなんだ、
見ていたいんだ。
幸せになってほしいんだ。
幸せにしたいんだ。
この想いをただ胸の内に秘めて傍らに、
求められたら助けられる距離に、い続けようと思ったんだ。
『頼む、氷月を』
幾度、願いを破ればいい、
幾度、誓いを破ればいい、
『もう、今回で仕舞いだ』
いくら吠えようとも、
聲はかれやしない、
のどは潰れやしない
それはそうだろう、
とどきはしない、
ひびきもしない、
ちにとじこめられているのだから、
「三代目雪芒当主の修行場が黄檗町にあるんです」
トキと杏梨、氷月と仙弥がそれぞれ二人で馬に乗り、早馬専用の道を使って、仁の区画、漆黒町から、壱の区画を抜けて、参の区画、黄檗町へ向かう道中。休憩場で昼食を取っている今、杏梨が何故黄檗に行くのかを尋ねたので、氷月は答えたのだ。
「今まで行った事はあるのか?」
尋ねたトキに、いいえと氷月は返した。
「行く気が起こるほど、切羽詰まった状況になったわけか」
トキは言うと、未だほとんど口を開かず、馬の様子を確かめている仙弥を一瞥したのち、杏梨に笑顔を向けた。
「氷月が修行場に引きこもっている間、護衛は仙弥に任せて、俺たちはゆっくり観光を楽しむか、杏梨」
「いいですね。トキ様はお酒は嗜まれますか?」
「ああ。じゃんじゃん飲むぞ」
「はい」
ほどほどにしてくださいよ。届くかどうか甚だ疑問だが、釘はさしておいた氷月。分かっていると興じながら返すトキと杏梨に向かって、言葉を紡いだ。
まだ直接話す勇気は持てていなかった。
「……あの、仙弥殿も、観光に行っても大丈夫ですよ。修行場にいる時は誰も入れない状態になりますし、一日中入っているわけでもないので、時間が来たら、迎えに来てもらえれば、助かります」
無理やり連れて行ってくれないだろうか。二人きりになる状況はなるべく避けたい。
祈るように前髪に隠された眼を向ける氷月。トキと杏梨は互いに顔を見合わせたまま、数秒無言でいたのち、杏梨が口を開いた。
「無理だ。護衛が保護対象から目を離すわけにはいかないだろう?」
「…はい」
氷月は小さく返事をした。全くその通りだった。杏梨は会話を続けた。
「修行場には入れないのか?」
「はい」
「出入り口は一つか?」
「はい」
「なら仙弥一人で大丈夫だな」
「そう、ですね」
「俺も付き合う羽目にならなくて助かった」
トキが口を挟み、小さく返事をした氷月に向かって、しかし、と言葉を紡いだ。
「一日くらいは付き合う」
氷月は一驚した。
温泉街あり、自然豊かな景観ありの参の区画は、静かな療養と賑やかな観光を区分けしながらも両立して繁盛している。なので、てっきり、酒を片手に観光三昧の日々を過ごすと思っていたのだ。
何を考えているんだろう。氷月は疑問は口にせず、当然の事を口にした。
「繁華街ではないですし、温泉も飲食店もないですよ」
「景観はいいんだろ。酒とつまみを持っていけば退屈はしない。静かに飲みたい時もある。何時行くかはその時の気分で決める」
いいな、杏梨。問われて、杏梨は是と言い、仙弥に視線を向ける。
「一日くらい仙弥と思い切り手合わせする日がないとな」
「なら俺はそれもつまみにするか」
トキと杏梨に視線を向けられた仙弥。ただ、視線はすぐに外され、トキと杏梨が地図を間に酒屋の話に花を咲かせる中、馬の首元を労わるようにさすりながらも、気づかれないように氷月を見た。
まだ、氷月に語りかける言葉を探していたのだった。
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