天と地のせいめい 十七






 羨望を抱いた事実に深く恥じ入り。


 事実を誤魔化そうとして大切な人間を傷つけたのは。




 一体誰だ、












『価値がないから私は、実親に捨てられたんです。どうして。自分が幸せになれると思う事ができるのでしょうか?』


 言いたくなかった。言えるはずがなかった。


 実親に捨てられても、立派に己の足で立って生きている人を知っているのに、


 知っていてどうして私は、あんな恥ずべき事を口にできたのか。


 心の奥底で思っている分には、構わなかった。


 表に出せば、誰かに伝えてしまえば、言い訳だけに成り下がる。


 現状何もできていない不甲斐ない己への言い訳。


 実親に捨てられたから?


 それがどうした。


 関係ない。


 何もできていないのは、己が足りないから。


 努力、能力、意志、何もかもが、




『氷月』




 この人にも、心配させてしまった。


 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、


 消えてしまいたい、




『氷月、頼む』




 この人のこんな顔を見たくなどなかった。


 笑っていてほしかったのだ本当に、


 ふたりともに、











『仁の区画』内、漆黒町の隣、憲房町、架け山内。


 頂上まで目と鼻の先という処で右側の細い道を辿った先。小さく開けた場所にあったのが、水の入っていない窪み。

 ここは、加治と菜々美の思い出の場所。

 今はもう枯れてない泉の中には、確かにナニカが在った、らしい。



 漆黒の闇が薄まり始め、灯さずとも景色の形が認識できる時刻。

 風早は窪みの前で佇んだまま動かない氷月を見つからないように見守っていたが、不意に考えを変えて、氷月の前に姿を見せた。




『………私で、足りますか?』



 幼き頃の少女は今も変わらないままに。

 彼女に拾われる前の自分と変わらない。


 生きる価値を見出せない。

 死んでも構わない。

 死んでたまるかと思っていた、同時に自分は。


 では、少女はどうなのだろう。

 死んでも構わない運命に反旗を翻すような意思はないだろう。



 あるとすれば、

 彼女を拾った人々への罪悪感。


 価値を見出してくれた人々へ、同等か、それ以上の価値を返せずにいる、罪悪感。

 死んでしまえば、僅かな時間であれ、迷惑をかけてしまう罪悪感。

 名が多く知れている人であるからこそなおさらに。失脚してしまう恐れもあるのだ。



 己の命なのに、それすら自由に扱えなくなったしまった絶望感。

 死にたくない。死んでもいい。

 出会わなければ良かった。

 拾われるのを拒めば良かった。



 無理だろう。



 即答する。

 無理だ。

 価値がないと心底思い知っていた自分に、そうではないと、差し伸ばされた手をどうして拒めようか。



(いえ、俺はふざけるなと叩き落としましたがそれは置いておいて)



 氷月が稽古をつけてほしいと頼みに来たのは、釈放されて、新たな雇用主が紅凪に決まってからそう時間は経っていなかった頃だった。

 大切な人を救い出せる力が欲しい。


 幼かった。だけで、納得できないのならば。

 今はまだ、と、納得する力をつけろ。

 前を向く力をつけろ。

 次の己に希望を抱け。


 その想いをぶつけながら、稽古に力を注ぎ続けた。

 言葉で伝え続けても反発を強めるだけだろうから、行動だけに留めた。

 方々とは違い、氷月から求められなければ手を差し伸べはしない。

 それすらも限定的ではあるけれども。




 氷月は窪みを見続けていた。風早は氷月の横顔を見続けていた。

 色はまだ、明確には認識できない。



「風早殿。私は、修行に出たいです。本当なら、成果が出るまで。でも、悠長に時間はかけられません。一週間。参の区画に行ってきたいと思います」



 変わっていない。幼い頃の印象のままに。

 横顔も。真正面から見る顔も。



「俺に言うという事は、紅凪王子と仙哉には黙って行くつもりなのですか?」

「はい」

「ならば私が共に行こう」



 突如として出現した杏梨。氷月の肩に腕を回そうとしたが、叶わず。腕を高く上げて、肩に手を添えるに留めた。



「いえ、私は一人で行きます」

「行かせられると思うか。次期王候補の婚約者を一人で」



 閉口した氷月。どうにか突破口を見出そうとしたが、思いつかず。肩を落として、できませんと答えた。



「ですが、杏梨殿は紅凪王子の傍にいなければいけないので無理です」

「網代が休暇から帰ってきているし、風早は置いていくから大丈夫だ」



 なあ、と、不遜な笑みを向けられた風早は反論したかったが、閉口に努めた。

 彼女の決定には大抵逆らえない。



「よし。ならば荷造りを終え次第出発する」



 さっさとしろと背中を強く叩かれた氷月は言葉を飲み込んで、杏梨と風早に向かって深く頭を下げてのち、駆け走って行った。


















『氷月、頼む。紅凪と結婚してくれ』






 変えられない運命だというのならば、


 せめて、


 せめても、


 これだけは、


 これだけだから、















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る